目を覚ましたらそこは異世界でした。

笑えない。






Und der Engel ging hinunter.
第三話





それからの三人は、はっきり云って大混乱だった。面子にかけて兄弟二人は顔には出さなかったが、どうしたらいいのやら、まったく見当もつかなかった。
ハーレムもこれはただ事ではないと、彼にしては根気強くから情報を引き出そうとしている。マジックに関しては云わずもがな。
どれほど顔を突き合わせていたのかも忘れてしまったが、徐々に平静を取り戻したも含め三人の出した結論はこれだった。

は異世界からやってきた」

直前の出来事。
互いにまったく知らず、繋がらない場所、話。
共通のものがあっても、話を聞けばまったく違うものであることがすぐにわかる。
笑い話にもなりかねないが、こうでもなければ説明がつかない。
何かのはずみで次元に歪みが出来、その拍子にが次元の歪みに引きずり込まれ、ここに来た。納得しがたい話ではあるが、とりあえずはこれで納得するしかないと自分に云い聞かせるしかなかった。
そしてひと段落したところでふとは思い出した。まだ彼らの名前を聞いていない。
髪の長い方の人は先ほどから短髪の人に何度か名前を呼ばれているが、これではどう呼んだらいいのか――声が出ないので今のところはどう書けばいいか――わからない。
未だに腕を組み難しい顔をしている二人をそっと見ながら、そろそろとはペンを走らせた。

『お二人のお名前を聞いてもいいですか?』

ここで漸く二人とも名乗っていないことを思い出したのである。
一瞬馬鹿真面目に答えてよいものかと思ったが、どうせ害はないと開き直った。

「自己紹介が遅れてすまないね。私はガンマ団総帥のマジック。こっちは愚弟のハーレムだ」

「愚は余計だ、馬鹿兄貴」

このとき、はガンマ団というものを何かの会社だと思っていた。彼らも、この世界の話はある程度していたが、さすがに自分たちが殺し屋だとは云えなかったのだ。

「まったくこの愚弟ときたら、私の話なぞ聞かずに好き勝手し放題でね。手を焼いているんだよ」

「てめ、この野郎!妙なこと云ってんじゃねぇよ!!」

「本当のことだろうが。いい年して…」

「うっせー年は関係ねぇだろうが!!」

「やかましい。くんが驚くから大声を出すな」

「こっの・・・」
このやり取りを目の前で見ていたは、目を白黒させていた。先ほどまでのシリアスな雰囲気とは打って変わって、普通の兄弟喧嘩を見ているようである。
しばらくは呆気に取られて見ていたが、途中から堪え切れなくなって小さく笑ってしまった。
は気付いていなかったが、彼女は初めて彼らの前で沈んだ顔以外の表情を浮かべたのだ。二人のやり取りがいつの間にか終わり、視線が自分に向いていることに気付いて慌てて笑いを引っ込めたが、兄弟はしっかりとの表情をとらえていた。見惚れた、と云ってもいいだろう。
よもや親子ほど年の離れた少女の笑顔に目を奪われるなどとは思っていなかったが、の並はずれに整った容姿では無理もない。誓ってそれを顔には出さなかったが、動揺したのは事実だった。
内心舌打ちしたハーレムは、とにかく話題を出さなければならないと思った。

「それよか兄貴。こいつ、どうすんだ?」

「うーん。どうしたものかねぇ」

を煮るのも焼くのも、マジックの言葉一つにかかっている。それがわかっているは、緊張した様子でマジックを見つめた。
今はじたばた足掻いても仕方がない。元の場所に帰る方法が見つかるまでは、無事でいたい。無理は承知だが、出来れば最初に出会った縁からここで世話になるわけにはいかないだろうか、というのが正直なの考えだった。が、それが厚かましすぎる考えであることがわかっていたので、何も云えなかった。
顎に手を当て思案していたマジックは、うーんとひとつ唸ってから云った。

「今すぐには決めかねるね」

「あん?じゃあどーすんだよ」

「とりあえず部屋を用意するから。ゆっくりするといい」

このマジックの提案に、はほっとした。出て行けと云われたらどうしようかと思ったのだ。これまでの彼の態度でそんなことを云い出すとは思えなかったが、問題はハーレムである。
好意的に見えるマジックとは対照的に、ハーレムは自分を厄介者だと思っているように感じていた。ハーレムがマジックのように接する人間などいるはずもないし、そんな彼は彼ではないのだが、はそんなことは知らない。
思わずハーレムの様子を窺ってしまった。
その視線に気付いたハーレムは眉間にしわを寄せそっぽを向いてしまう。これにはも傷付いた。

「ハーレム。大人げないことをするんじゃない。すまないね、くん。こいつはそういうやつだから」

「黙れ馬鹿兄貴」

マジックのフォローもほとんど耳に入らず、はしゅんと項垂れてしまった。
この愚弟が!と心の中で盛大に毒づいたマジックは、そそくさと内線に手を伸ばした。
そのすきに、ちらりとハーレムはを見る。別に落ち込ませたくてこんな態度を取っているわけではないのに、彼の性格がいつも損をさせている。長い髪に手を突っ込んでガシガシと頭をかくと、ぼそりと呟いた。

「当面ここで面倒見てやるから、安心しろ」

はっとは顔を上げる。相変わらずそっぽを向いたままだし、面白くなさそうな表情をしているが、今のセリフは間違えなく彼のものだ。ちらりとマジックの方に目をやれば、彼も苦笑していた。曰く、素直じゃない、である。
改めてハーレムを見る。すると、なんだか自然と笑みが零れてきた。
唐突に理解したのだ。きっと彼はこういう人なのだ。本当は優しいのに、ちょっと素直じゃないから誤解されやすい。そういう人なのだ。
そう思うとなんだかとても嬉しくて、座ったまま姿勢を正し、は深々と頭を下げた。本当に嬉しかったのだ。
心細かった。
寂しくて怖くて、頭がおかしくなりそうだった。
自分がこれからどうなるのか、皆目見当もつかないが、初めて出会った人がこの人たちでよかったと、は本気で思っていた。
そんなの様子を見ていたマジックは、とりあえずは安心していた。が、今は部屋の用意が先だ。内線に出たティラミスに手短に用件と事情を説明する。案の定彼は絶叫しかねないほど驚愕していたが、腐っても総帥の腹心である。なんとか平静を保ち、了解しました、と答えて通信を切った。
今は彼女のことを公にはできない。それだけは確かだった。なんと云ってもあり得ないことなのだ。事情を知らせるのは最低限の人間に留めるべきだろう。
が。
こういう非常事態に何かと鼻の利く連中がいることを、このときマジックは忘れていた。

「たーいちょーッ!!」

ぎょっとした。まったく彼ららしくなかった。
突如部屋の外から聞こえてきた声に、は不思議そうに首を傾げる。そして、マジックとハーレムを見てこちらもぎょっとした。
彼らはこの世の終わりを見てきたかのような顔で固まっていたのだ。これにはも驚かずにはいられない。
そんな彼らの心境など知る由もない外の声は、無遠慮に大きくなり、この部屋に近付いているのがわかる。
ドアと二人を交互に見やり、はどうすることも出来なかった。が、勢いよくマジックとハーレムが動いた瞬間飛び上るほど驚いた。
マジックは、

「そいつらを中に入れるな!!絶対にだぞッ!!!」

と内線に向かって叫び、ハーレムは、

「てめぇら今は入ってくるんじゃねぇッッ!!!!」

と同じように内線だが、違う回線に叫んでいる。
なぜ彼らが急にこんなに慌てだしたのかわからなかったが、今は動かない方がいいと感じたは黙ってソファに座っていた。
しかしそんな彼らを嘲笑うかのように派手な音を立ててドアが吹き飛んだのは、直後のことだった。
事態についていけず、はただただ驚いて閉口していた。
ドアが吹き飛んだ。こんなことは、台風でもない限りのいた世界ではあり得ないことだ。
呆気に取られて吹き飛んだドアを見ていると、もくもくと煙立った向こうからどやどやと人が入ってくるのがわかった。

「なーんすか隊長。入ってくるななんてめっずらし」

「お前はなんでそうすぐにものを壊すんだ、馬鹿が」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

ぼんやりとそれに目を移しただったが、次の瞬間、勢いよく目をそらした。
それに気付かずマジックとハーレムは、今入ってきた人物を睨みつける。低い声で唸るように云う。

「お前たち、外の部下をどうした?」

「え?なんか邪魔すっからぶっ飛ばしちゃいましたー」

「てめぇら、入ってくんなっつったのが聞こえなかったのか…?」

「聞こえていましたが、ロッドのやつが強引に」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「って・・・」

ここで目敏いのは例によって例の如く彼。ロッドと呼ばれたイタリア人である。
上司であるはずのマジックの話を適当に流しつつ部屋の中に目をやり、ソファにちょこんと腰をおろしているを見つけたのだ。

「女ぁ?」

もちろんには聞こえている。口は聞けずとも耳は機能しているのだ。しかし、顔を上げることはなかった。
それをロッドは照れているのだと勘違いしてさらに声をかける。

「あらあらウブな子だねぇ〜?お兄さんとイイことする?」

やはり顔を上げない。不審に思ったロッドがおもむろに近付こうとすると、それを気配で察知したは急いで近くにいたハーレムの後ろに隠れた。
驚いたのはハーレムの方である。なぜいきなりがこんな行動を取ったのか理解できなかった。

「なんだ、どうした?」

「・・・・・・!!!!」

肩越しにを見れば、顔を真っ赤にして思いきり顔を横に振っている。はてなが飛び出したが、もう一度ロッドに目を向け、なんとなくわかった気がした。

「おい、ロッド」

「なんすか?」

巨大なため息を吐いたところで彼を責める人などいないだろう。

「服を着やがれ」

安心したようにが息をついたのを、ハーレムは見逃さなかった。


*****


兄弟にしてみれば最悪の事態だった。
絶対に知られたくないやつらに、早々にばれてしまったのだ。珍しくも彼らは本気で頭を抱え込んだ。ストレスで禿げるかと思った。真剣に。
しかし、問題のメンバーは――というか人物――と云えば至って能天気である。

「なんすか二人とも〜。こんな可愛い子俺に内緒にしようだなんて、水臭いっすよッ!」

「黙れイタリア人」

「マーカー、そいつ燃やせ。跡形もなくな」

相変わらず事態が飲み込めていないのはだけだった。今はロッドが上着を着たので顔を上げているが、その表情は困惑に尽きる。
上機嫌に笑うイタリア人がロッド、冷たさすら感じさせるほどの美人中国人がマーカー、終始無言の無表情を貫いているドイツ人がGと自己紹介を受け、も紙に自己紹介をする。口がきけないことはすでにマジックによって説明済みだ。
今彼らは、最初のソファに腰をおろしていた。を挟んで両隣りにマジックとハーレム、向かい合ってロッド、マーカー、Gである。
頭痛と胃痛を抑え込みながら、マジックは押し殺した声でしっかりと釘を刺した。

「いいか、お前たち。くんのことは今のところ極秘に扱う。他言無用だぞ」

答えるイタリア人はいたって軽い。

「わかってますって!ばらさないっすよッ!」

不安だ。
マジックの顔が面白いように歪んだが、それを気遣う相手ではない。代わりに隣にいたが気遣わしげにマジックを見上げた。その視線に苦笑して見せる。
一方ハーレムは物騒な視線を彼ら三人に向けていた。曲がりなりにも彼は、三人の上司、それも直属の上司なのである。その命令を無視した挙句、反省の色を見せない彼らにハーレムの堪忍袋はブチ切れそうだった。

「あとで覚えてろよ、てめぇら・・・」

この地を這うような声に三人は震え上がったが、それよりも今は少女のほうに興味があるらしい。ぱっと上司から視線を外し、まだ安全なマジックと、びくびくしているに向き直る。

「事情はわかりましたが、これからどうするんです?」

「だから、決めかねている。すぐに判断出来るような簡単な問題ではない」

「じゃぁちゃんは特戦部隊ってことで!」

「馬鹿を云え。そんなこと出来るか」

「え〜?いいじゃないっすか〜。ね、ちゃん?」

突然話題を振られたはぎょっとしてロッドを見た。ばちんとウィンクまでされてしまい、途方に暮れたようにマジックを仰いだ。
この馬鹿が、とため息をつき、ぽんとの肩を叩く。そして横に首を振った。
空気を読んだは、小さく頷いた後、ロッドを見て頭を下げた。ごめんなさい。
チェッと口を尖らせるが、いい大人がそんなことをしたところで可愛くないし逆に気持ちが悪い。隣のマーカーに裏拳を見舞われ、ロッドは器用に座ったまま気を失った。
彼らにとってはこんなことは日常茶飯事であるし、今日は炎が出てないだけまだ大人しいほうなのだが、は驚いてわずかに後退する。実際はソファがあるので気持ちだけなのだが、マーカーにはショックだったらしい。ほんの僅かに表情を暗くしていた。
が、さすがには若かったので、順応するのが早い。どうにもならないことに腹を括ったようで、この世界のことを積極的に質問したし、質問されたことにはしっかり答えていた。こんなことにならなければ、彼女の成績はほとんどトップクラスで進学していたに違いない頭脳の持ち主なのだ。
話しているうちに、彼らの誰もがの頭の良さに気付いた。拙い言葉使いは多少あるが、それはさすがにまだ17歳の少女だ。それを抜きにしても頭の回転が速いし、柔軟性もある。
まだ完全にとは云わないが、三人とも随分打ち解けたようだ。そして特に最初に出会ったマジックとハーレムには心を許しているらしく、話しかけられれば犬のように嬉しそうに目を輝かせる。これが後から来た三人(Gを除いて二人)には面白くないが、まさか面と向かって上司にそんなことを云えるはずもなく。
これはなかなかいい拾い物をしたかもしれない、と内心舌を巻いていたとき、緊急の通信が入った。
そして彼らは、のちにこのことを酷く後悔するのである。

『総帥!会議中申し訳ありません!』

「どうした」

『Dブロック、制圧終了いたしましたのでご報告を致します!』

「わかった。画像を回せ」

『ハッ!!』

このとき、彼らは忘れていた。
は、この世界の人間ではない。
つまり。

「―――!!!!!!」

モニターに映されたのは、戦場だった。
煙と炎が立ち昇り、音をたてて建物が崩れていく。
よく見ればところどころに人間の手や足が埋もれ、それらは一様に血に塗れ、ぴくりとも動かなかった。
彼らにしてみれば当たり前のことで、何気ないことだった。
戦争がある。
人が死ぬ。
その多くを自分たちが殺している。
日常だった。
だから、ほとんど気にも留めずに画像を眺めていた。

「おー、やったねぇ」

「ふん、大分時間がかかったようだな」

「状況は?」

『ハッ!敵は全滅、こちらの被害は数百程度ですッ!!』

「まぁまぁか?」

「一般兵にしてみりゃよくやったんじゃねぇか?」

「・・・・・・・・・」

だから、気付かなかった。
だから、わからなかった。

―――ガタンッ

なぜ、が愕然とモニターを見、真っ青になっているのか、理解できなかったのである。










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だって普通の人だもの(´ω`)