許されるならば。 私は、ここで生きたい。 |
Und der Engel ging hinunter.
第七話 |
『お世話になる以上、何かお手伝いがしたいです』 そんな少女の気遣いは非常に嬉しかった。が、ここは腐ってもガンマ団。右を見ても左を見ても、上下斜めの三次元を見ても男しかいない集団である。 そんな中に、こんな男の欲求を直で刺激しかねない美少女と云う名の爆弾を放りこめるはずがない。 しかしそんなことを理由にいつまでも放ってはおけないというのも本音だ。 ならばつまり、安全なところに置いておけばいい。 そして、結局落ち着いたのは。 「いやぁ、女の子の秘書って、いいもんだねぇ!」 特戦部隊の猛抗議をあっさりと受け流し、マジックはを自分の秘書として傍に置くことに決めたのである。 確かにこれならばいつでも彼の眼の届く範囲にいるだろうし、何かあればすぐさま対処できる。 マジックはこの少女を大いに気に入ってしまったのだ。信頼している彼の部下のもとであろうと、喉から手が出るほど彼女を自分の部隊に欲しがっている弟であろうと、自分以外の傍に置いてやるのは癪に障るのである。 完全に個人的な問題だったが、総帥である彼の決定は覆らない。 何より、自身がこの決定に大喜びしていた。どうやらいろんなことが吹っ切れた彼女は、最初から好意的に自分を受け入れてくれていたマジックに並みならぬ信頼を抱いているようなのだ。 当然ハーレムは面白くないが、確かにそこが最も安全な場所だということはわかっていたので文句は少ししか云わなかった。代わりに彼の部下が大ブーイングを起こしていたが、仕返しだとばかりに知らん顔で通していた。 一方、一介の高校生からいきなり巨大組織の総帥秘書にまで成り上がってしまった少女は大変だった。 マジックの隣で働けることは嬉しいが、何せもとは秘書としての教養は何も受けていない高校生なのだ。当然、学ばなければならないことは山ほどある。これまでチョコレートロマンスやらティラミスがしてきたことを、少しずつ教えていかなければならないのだ。 教える方も大変だが、教わる方はもっと大変なはずだ。が、そこはさすがに聡明な頭脳を持つである。 教えられることは片端から一度できちんと覚えたし、一を教えれば最低でも五は学ぶ。 器量もいいしよく気が利いて、何よりしっかりマジックに仕える構えなのだ。 そうして一月もすれば、巨大組織の総帥に似合いの美人有能秘書の出来上がりだった。 しかも、これまで主に二人で分担しつつこなしてきた仕事をいっぺんに一人で覚えてしまったのだから彼らは手放しで喜んだ。 総帥の秘書であることに彼らは少なからず矜持を持っていたが、そうは云っても仕事量は半端でないし、楽になるならそれに越したことはない。 が、頭の良い少女だとは聞いていたが、まさかここまでとは思いもよらなかった。内心舌を巻きつつ、彼らは素直に総帥秘書の座を受け渡したのである。だからと云って押し付けるつもりは毛頭なく、自分たちは補佐に回るつもりだった。 マジックも同じように驚いていた。とんだ掘り出しものだったのだ。同時に自分の目に狂いがなかったことに大いに満足した。やはりこの少女は只者ではない。 こうなると、やはり口が利けず筆談でしか会話が出来ないことが少々痛かったが、それは彼の腹心が代行すればいいことだ。どうにもならないことを嘆いても仕方ないと彼は思っていた。 ***** 『私、お役に立てていますか?』 正式に仕事を始めて一週間が経過したころ。 こちらを窺うように小さくそう書いた紙をちらつかせた少女に、マジックは掛け値なしに大真面目に頷いて見せる。 「大助かりだよ。仕事の面は勿論、目の保養にもなる」 どうやらここは、の世界とは違い女性を褒めるのは当たり前のことのようだ。だが特に自分の容姿に頓着しておらず、飛び抜けた美人である自覚が微塵もないにはこれが恥ずかしくてたまらない。お世辞を云うにもほどがある、と本気で思うのだ。実際お世辞でも何でもないのだが、頬を桃色に染めて目を逸らす少女にはそれがわからないらしい。 『マジック様なら、綺麗どころが放っておきませんでしょうに』 鏡見て来い、と云いたくなるが、今はそんな言葉を飲み込んだ。 「いやぁ、それがさっぱり」 『ご冗談でしょう?』 「いやいや、こんな仕事をしてるとね、うかうか遊んでる暇も機会もないもんだよ」 逆に云えば、暇と機会があれば簡単だ、と云っているようなものだが、少女は納得したように頷いた。 『それもそうですね。分刻みのスケジュールの中で遊ぶ暇なんてありませんね』 ぐっとマジックは息を詰まらせた。なかなか痛いところをついてくる。 会話の流れは、うまい具合に彼に仕事を催促しているのだ。確かに今は休憩中で、の入れたコーヒーで一息ついているところだったが、それが終わればすぐさま仕事に戻ってやらなければならないことが山ほどある。綺麗な笑顔でしっかりと、さぼりは許さないと釘を刺しているのだ。いくらマジックに傾倒しているとはいえ、決して甘やかすようなことはしない。侮れない少女である。 背筋にヒヤリとしたものを感じつつ、天下のガンマ団総帥は誤魔化すようにコーヒーを飲み干した。 ここでふと思った。 云うまでもなく彼女はこことは違う世界からやってきた異邦人だ。勿論、彼女には彼女の生活があったはず。 なぜ、何の戸惑いもなくここで生活することを受け入れたのだろう。自分の仕事を持つということは、この世界に適合しようという心の表れである。 彼女の生活がこんな血生臭い組織とは程遠いものであることは想像に難くない。それなのに、一体なぜ。 が元の世界での居場所を失くしたことをマジックは知らない。だからこれは当然の疑問と云っていい。事実を知っているのは、当人である少女と、聞いてしまったハーレムだけだ。 カップをソーサーに置き、執務机で手を動かす少女を見つめる。銀灰はわずかに伏せられ、その眼は書類の文字を追っていた。 マジックの視線に気付いたは、小さく首を傾げながら微笑んだ。 答えるようににこりと微笑んだマジックは、ちょいちょいと手招きをする。おいで、という彼の意図を読み取った少女はいそいそと彼のすぐ傍に立つ。 そして、マジックはまるで父親が娘にするように、大きな手での頭を撫でた。 何の意味もなかった。ただ、唐突にそうしたくなっただけだった。 突然のことに驚いて少女は大きな瞳をぱちぱちと瞬きをした。なんとも可愛らしい表情だった。 少女はしばらく撫でられたまま硬直していたが、ふいに、泣きそうな笑みを零した。 一瞬ぎょっと動揺したマジックだったが、おくびもそれは悟られないように優しく問いかける。 「おや、どうしたんだね?私のお姫様」 するとはゆっくりと横に首を振る。 『ごめんなさい。なんだか懐かしくて』 「懐かしい?」 頷き、さらさらと手を動かす。 『父も、よくこうして頭を撫でてくれたんです。もう高校生にもなったのにって云っても、子供は親にとっては死ぬまで子供なんだって云いながら』 「・・・・・・・・・」 『折角整えた髪も、全然気にしないでかきまわすから出かける前はとても近づけなかったんですよ。あの人、隙あらば人の頭を撫でようとするから』 「・・・・・・・・・」 滑らかな文字を生み出しながら、少女はくすくすと困ったように笑っていた。 『優しい父でした』 ああ、と思う。 この子は。 わかりきっていたことだったのに、思い知った。 ―――この子は、寂しいのだ。 そして、同時にとても強い子だった。 寂しくないわけがない。家族に会いたくないわけがない。それでも、そんなことを気付かせないように振舞っていたのだ。仕事を覚えるのに必死になっていたのも、もしかしたら寂しさを紛らわせるのに丁度よかったのかもしれない。 「・・・帰りたいかい?」 思わずついて出たのは、ある意味禁忌のセリフだった。 帰りたいと云われたところで、今は何をしてやることも出来ない。けれど、帰りを待っている人がいるであろう世界に帰りたくないわけがない。 何を云っているのかと後悔しそうになったが、前言を撤回する気にもなれなかった。 ゆっくりと瞬かれる銀灰を、見据える。 美しい銀細工は、そっと細められた。小さく首を振る。 『私は、帰れませんから』 綴られた文字と、横に振られた首が示すのは否定の言葉。 わからなった。 帰りたい、という願望でも、帰りたくない、という拒否でもない。 帰れない。 それは不可能を表す言葉。 『もう私に帰る場所はありません』 「なぜ?」 問い詰めるように云うマジックに、少女は哀しげに首を振るだけで、もうペンを動かそうとはしなかった。 意味がないことを知っているのだ。 聡明な少女は、不可解な自分の運命が他人には到底理解されないものだと気付いていた。 話さないのは話しても意味がないとわかっているから。 けれど決して、マジックを軽んじているわけでも、信じていないわけでもない。 むしろその逆なのだ。 彼は優しく、信用に足る人物だ。短い時間しか共有していない中でも、には確信があった。 理解されないとわかっている話をしたところで、彼に負担をかけるに決まっている。優しい人だから、きっと自分を気の毒に思って気遣うだろう。 そんなのは嫌だ。 負担になりたくない。ただ役に立ちたい。 だから云わない。 それがマジックを寂しくさせてしまっても、こんなおかしな運命をその肩にのしかけることに比べたら。 帰れるものなら帰りたい。 しかし今はそれが叶わぬ願いだと知っている。 だから願わない。 とても悲しいことだし、寂しさで胸が潰れてしまいそうだった。 それでも口にしてしまったらいろんな思いが溢れ出してしまうから。 だから云わない。 だから、微笑んだ。 涙の代わりに笑みを零した。 漸く動かされたペンは、彼女の想いをひっそりと映した。 『ここに、居たいんです』 自分が死んでこの世界に飛ばされたのにはきっと意味がある。何の根拠もなかったけれど、そう思ったから。 父によく似た人が優しいから。 異邦人である自分に何の隔たりもなく接してくれた人たちがいたから。 何より、ここにいてもいいと云ってくれた人がいたから。 帰れないからじゃない。 運命がそう決めたからじゃない。 はの意思で、心から、そう思った。 少女が信じた青色は、何も云わずに微笑んだ。 もう充分だった。何も云う事はなかった。 かける言葉が思いつかなかったと云ってしまえばそれまでだが、そんなものは必要でないと思ったのだ。 ただ微笑んで、頷いた。 それだけで充分伝わった。 本当に伝えたいことは言葉にし難かった。だから、不安げに揺れる銀灰を安心させる言葉だけを静かに告げた。 「いいよ。ずっと、ここにいるといい」 いみじくも、ひと月前に彼の弟にも同じことを云われたことを思い出す。ああ、やはり兄弟なのだと思った。優しい人たちだと思った。 「ここが君の居場所だよ」 本当は泣きたいくらい嬉しかった。 けれど、は泣くのではなく、極上の笑顔を浮かべることで答えた。 -------------- マジックパパにめろめろ(´ω`) |