目に映る、強烈な金色。
太陽、と思ったけれど、やはり違う。

あれは、きっと。






Und der Engel ging hinunter.
第八話





いくらが優秀だとは云え、新米である以上、出来ることは必然的に限られてくる。特に今の彼女は自由に話すことが出来ない状態であるので、遠征時の付き人にはなれないのである。
遠征の場合は少女の前任であるティラミスやチョコレートロマンスがそれにつくことになり、代わりには総帥室での書類仕事を割り当てる。総帥不在で総帥室を空にしておくわけにはいかないので、簡単に云えば留守役だった。
今日はがマジック付きの秘書になって初めての留守役である。
多忙を極めるはずのガンマ団総帥は、これまで何かと理由をつけて遠征をせずひたすら可愛い少女と一緒にいたがったのだが、今回の遠征だけはどうしても総帥自ら赴かなければならない重要な会議を兼ねていたので、泣く泣く出かけていった。
とはいえ短期のものなので、一週間もすれば帰還できるようなものだったので、なるべく早く帰ると云い残して騒がしいナイスミドルは今朝方出発したのである。
苦笑しながらそれを見送ると、は早速総帥室で書類と格闘を始めた。
しかし、普段している仕事をこなすだけでも、総帥がいるのといないのでは大違いだった。彼がいれば多少曖昧な部分は確認を取れるし、彼でなくとも先輩秘書に尋ねることができたが、今は総帥室にたったひとりで、誰にも何も聞けない。少々寂しかったし、心細かった。
が、そんなことで仕事を疎かにして云い訳がない。なので出来る限りのことを必死でこなしていたのだが、何せここは総帥室。持ち込まれる書類の量は半端ではないのである。
朝の時点では小山だったはずの書類は、昼近くになったときにはひとつの大きな山脈を作り出していた。これにはさしものも辟易し、途中から若干泣きそうになっていたのだが、それでも少しずつ確実に片付けていた。
ハーレムが訪ねてきたのはその日の夕方のことだった。
このときもは延々と書類を格闘しており、漸くひと山が片付いたので休憩しようとしていたところだった。
やはりノックも内線も入れず、彼は金の髪を揺らして入ってきた。
どっかりと客人用のソファに腰を下ろし、煙草をふかしてちらりと最近スーツが板についてきた少女を見る。そして。

「茶。」

開口一番これである。
かちん、と来たは、しかしにこりと笑った。そして、どんっと彼の目の前に置いたものと云えば。
茶筒。
何様俺様ハーレム様は、ひくりと頬を引きつらせた。

「最高級茶葉ですってか?おいてめぇ、どこの姑だ」

『お茶とおっしゃいましたから、そのようにしました。何かご不満な点でも?』

「ご不満だらけでどこから云ったらいいのかねぇ」

『では、要点を絞ってお願いします』

「飲めるものを出しやがれ」

『ただ今お水をお持ちいたします』

「味のついたやつをお願いしたいもんだな」

『塩水でよろしいでしょうか』

「よろしいと思うなら持って来い」

『かしこまりました。少々お待ちください』

「本気で塩水持ってきたら殺すぞ」

『御心配なく、海水を持ってくるつもりです』

「どこにあんだよっつーかお前いい度胸してんな」

『恐縮です』

「褒めてねぇよ」

澄ましたように云うものだから余計に腹立たしかったのだが、ここでいつものように怒鳴り上げることはしなかった。いくらなんでもそれが大人げないことだと理解するだけの分別はあるのだ。
ひとつため息を落とし、頬杖をついて少女を見上げる。
相変わらずつんと澄まし顔でその場に立っていたが、彼と目が合えばにこりと微笑んだ。その表情は、云いたいことがあるならはっきりどうぞ、と云っており、改めて重いため息をついた。

「総帥付きの秘書さんよ。出来ればお茶をいただきたいんですがね」

『ただ今お持ちいたします』

本当にただの少女なのか、今更ながらハーレムは疑問に思ったものである。
一月前に現れたこの少女は、何も知らないただの少女だった。
異世界からの訪問者。戦いも血の匂いも知らず、殺しは己の手の届くものではない。白い手は恐らく虫も殺せない優しい手なのだろう。
突然の侵入者に、彼が身構えなかったわけがない。少しでもおかしな動きを見せればその場で殺すつもりでいた。
しかし少女は声を失い、完全に自分の置かれている状況を理解していない様子だった。
これはおかしいと兄と目配せし、話を聞いていけば何やら妙な方向に話が行ってしまう。
日本から来たと少女は云い、それならば自分たちを、ガンマ団を知らないはずがないと彼らは思う。
よくよく話を聞いてみれば、彼らの知っている日本とは何かが違う。なんと云うか、まさに平和ボケした国、というのが彼らの受けた印象だ。
戦争は遠い国のこと、殺人は自分の生活範囲での外の出来事。
彼らの知る日本ならばそれこそ平和だとかそんなものは無縁だ。何せ日本はガンマ団の第二の本部とも云える支社を構えており、つい最近も国内で不穏分子排除のための紛争が起こったばかりである。
それなのにこの少女はそんな話は知らないと云う。
この少女が筋金入りの箱入り娘で、大事に大事に育てられ、且つその場所と云うのが外界の情報などほとんど入ってこないような山の中か絶海の孤島だというのならば話は別だが、普通に育っている以上、知らないというのはあり得ない話だ。
嘘をついているようには見えない。
作り話とも思えない。
ならば、考えられるのは別世界での話であるということだった。
考えられると云っても信じがたい話であることに変わりはない。かといって面と向かってそれを云うのは憚られる。
本来の彼の性格ならばそんなことはあり得ないのだが、この少女に関してそれは通用しなかった。
なぜか、保護しなければならないような気がしたのだ。
それは兄も同じだったようで、とりあえずはここで面倒見ることになった。
そのあとは馬鹿な彼の部下が総帥室に押しかけ、目下の最大の秘密になりかねない少女を発見された。幸い何事もなく少女の存在を受け入れられたので問題にはならなかったが、肝が冷えたのは事実だったので、後でささやかな制裁を加えておいた。
さらにはちょっとしたごたごたを挟み、この少女はこの世界に留まらなければならないことがわかった。
一体どんな気紛れだったのか、自分でもわからなかったが、帰れないと泣きながら微笑んだ少女を抱き締め、ここにいろと云った。
放っておくこともできたはずなのに、そうしなかったのは自分だ。
眼の前で泣く少女を、泣かせてはいけないと思い、抱き締めたのは自分の意思だ。
らしからぬ行動が自分でも不思議だったが、不快感はなかった。
ここに居たいと云った少女を見て満足した。
少女の淹れた香り高い紅茶を口に運びながら、彼はある一つの結論へと達していた。
―――自分はきっと、この少女を好いている。
ああ、なるほど。
そういうことだった。
兄が自分を見る目に好奇心を含めていたのは、こういう意味だったのか。
かなり癪ではあったが、自分の成長を間近で見ていた兄がこういったことに目敏いのはわかりきっていたので、むっとするくらいで諦めた。どうしようもないことはどうしようもないのだ。
どうせ休憩にするつもりだったのだと自分の分のカップを用意し、ハーレムの目の前に腰を下ろした少女は、身体は正面に向けたまま、顔は窓の方へ向けていた。必然、彼は少女の横顔を見ることになる。
長いまつげは天に向き、すぐ下では銀灰が煌めく。高く結いあげられた髪はふわりと滑らかなウェーブが掛っており、その栗色はまだ子供らしい少女によく似合っている。流れた髪を耳にかける仕草は少しずつ大人へ変化するかのように艶っぽいが、色香というよりは可愛らしさの方がまだ強い。
どんなに目の悪い人間が見ても、美少女と云い切れる美貌だった。肝心の本人にその自覚がないのが恐ろしいところだ。
ただしハーレムは自分がその容姿だけに惹かれたわけではないと断言出来る。容姿が整っただけの女なら、彼は過去に腐るほど相手にしてきた。
その過去とは違う、本能が惹かれる何かを少女は持っていた。
呆れるほどに離れた歳ではある。親子と云われてもおかしくない歳の差だ。実際、彼の兄の息子とこの少女は同い年なのだ。そう考えると少々複雑ではあるが、好きなものは好きだからしょうがない。合言葉である。
声が聞きたいと思った。
この美しい少女から発せられる声は、一体どんなものなのか興味があった。
想像でしかないが、きっと鳥の鳴くように軽やかで、鈴のように清らかなものだろう。
今は聞くことのできないその声を、一番初めに聞くのが自分であればいいと思った。独占欲だ。
子供じみたそれに内心苦笑しつつ、飽きることなくその横顔を眺めた。
特に何を云ったのでもなかったのだが、不意に少女が顔を正面に戻した。視線は勿論目の前にいるハーレムに向く。
一瞬どきりとしたが、小さく首を傾げながらペンを動かし始めた少女には気付かれずに済んだようである。

『今更ですが、マジック様に何か御用でしたか?』

最初のやり取りのせいで流していたが、もしかしたらハーレムが兄であり総帥であるマジックに用事があって訪ねてきたのではないかと少女は気付いた。
総帥不在の今、何か用件があって訪ねる人があれば対応しなければならないのは自分なのだ。
当然のことを失念して呑気にお茶を飲んでいた自分を叱責しつつ尋ねれば、たてがみのような金を豪快に流す人はあっさりと首を振った。

「ねぇよ。兄貴がいねーのは知ってる」

首を捻ったのは少女だ。ではなぜこんなところに来たのかがわからない。
腐ってもここは総帥室、ガンマ団トップの部屋なのだ。間違っても遊びに来るような場所ではないし、まして総帥不在の今遊びに来たとなれば厳重注意は免れない。
疑問を込めてじっと彼を見つめる。するとハーレムは、ふいっとそっぽを向いてしまう。

「別に用なんざねーよ」

ぶっきらぼうに云うセリフに、ますます少女は首を捻った。
ならば一体どういうことなのか、まだここに馴染みきっていない少女には想像がつかなかった。
しかし、次のセリフに完全に動きを止めた。

「てめぇの仕事ぶりを拝みにきただけだっつーの」

一瞬意味がわからなかった。
単純にその言葉の意味だけを聞き取っていたら、何のことはない会社上司の仕事チェックだと思っただろう。
単純に、その言葉の意味だけを、聞き取っていたら、の話だが。
しかして少女は違っていた。言葉だけの意味を素直に受け取りはしなかった。
決して捻くれているわけではない。しかし、その言葉の裏側の言葉を、少女は感じてしまったのだ。
じっと横を向いてしまっている金色の人を見つめる。見られているのを気付いているであろうに、彼は一向に少女を見ようとはしない。
少女もそれは期待していなかったのかもしれないが、小さな驚きを見せながら、小さくペンを走らせた。
頬が熱くなってきたのは、――きっと気のせいだ。

『心配してくれたんですか?』

ぺらりと紙を見せれば、目の前の人は視線を泳がせた。

「あほか」

『でも』

「でももクソもねーよ。茶ぁ飲んだらさっさと仕事しやがれ。職務怠慢でクビにすんぞ」

面倒くさそうにしっしと手を振る。いつものならば、そんな態度に眉を吊り上げて小言の一つも書き連ねているところだったが、今はとてもそんな気にはなれなかった。
気付けばゆるゆると口元が綻んでしまう。
きっと仕事を見に来たのは嘘だ。
きっとこの人は自分を心配して様子を見に来てくれた。
きっとそんなことを面と向かっては云えないから、憎まれ口を叩いてしまう。
彼の態度を見ている限り、これは少女の予想でしかない。けれど、何故か確信があった。
そう思うと、嬉しくて仕方なくて。

「・・・何笑ってやがる」

『いいえ、なんでも』

「てめぇなぁ・・・」

『お茶のおかわり、置いておきますのでお好きに飲んでくださいね』

さっとそれだけ書くと、少女は立ち上がる。向かったのは、与えられた執務机。

「おい?」

途端ハーレムは不機嫌そうに片眉をやや吊り上げた。早速書類に手を伸ばしていたは、一度彼を見てからにっこりと微笑んだ。

『おっしゃられた通り、仕事に戻ります』

そして一際にこやかになって、続けた。

『それとも、もう少しお茶のお付き合いをしたほうがよろしいですか?』

いるか!という怒声は、総帥室の外に控えていた団員たちにもしっかり聞こえるほどのものだったという。










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けんか、なかよし、らぶらぶ