「ティルをバルバロッサに会わせるぅ?」
陛下を堂々と呼び捨てにする一般人など、赤月帝国中どこを探してもくらいのものだろうな、とやや場違いなことを思いながら、そうだ、とテオは答えた。






Das Gluck, das die Welt uberblickte T‐3





喉の焼けるようなカナカンの蒸留酒のボトルが半分になったあたりでのことだった。ちなみにテオはほとんど薄い水割りで呑んでいたので、大半をが呑んだことになる。しかもロックだ。考えるだけで二日酔いになりそうなものであるが、は美味しそうにぐいぐいと煽っている。テオはそっと、目をそらした。
帝国五将軍――数年前は六将軍だった――であるテオは、明日、彼の仕える赤月帝国皇帝バルバロッサ・ルーグナーとの謁見を控えていた。
実は先日遠征から戻って来たばかりなのだが、北のジョウストン都市同盟が不穏な動きを見せているため、牽制の意味も込めて他国にまでその腕を轟かせているテオが警戒に赴くことになったのだ。そのことは同僚や官吏に聞いていたが、明日は皇帝直々に勅命を授かるらしい。それだけで、皇帝のテオへの信頼が伺える。
テオはその謁見に一人息子であるティルを同行させるつもりだというのだ。
テオの書斎の豪華なソファに身を沈めたは、手にあるグラスの氷をカランと鳴らした。それをグイッと一気に飲み干す。常人にはあり得ないことだが。
空になったグラスをテーブルに置くと、何も云わずにテオが新しい琥珀色の液体を注いだ。彼の部下に知れたらえらい騒ぎになりそうなことだが、二人のどちらかが口を滑らせない限り知れることはない。
なみなみと注がれたそれを再び手にしながら、は呆れたように口を開いた。
「なんでそんなこと、私に云うわけ?」
意味がわからない、と肩を竦めた。
あらかじめそういう反応を予想していたらしいテオは、苦笑しながら云う。
「近衛隊に欠員が出ていると聞いてな。もうティルも十四だろう。そろそろいい頃合いかと思ったのだ」
「ああ……」
近衛隊、と聞いて、も合点がいったらしい。彼女はティルの棒術の師匠なのだ。
ティルは幼い頃は宮廷を訪れていた棍の名手に師事をしていたらしいが、何かの事情でその人物が宮廷を去らなければならなくなったのだという。それからしばらくは独自に修練を続けていたところ、二年前にマクドール家にやってきたがテオにその才能を買われてティルに稽古をつけ始めたわけだっだ。
つまりテオは、今のティルの実力で近衛隊に入隊させても大丈夫だろうか、と云うのである。
「いいんじゃない?多分あの子、そこらの下っぱ兵よりずっと強いから」
「そうか!」
嬉しそうな様子をまったく隠さず微笑む目の前の男を、親馬鹿め、とはからかった。が、テオはむしろ胸を張って云った。
「自分の息子が褒められて、誇らしく思って何が悪い」
テオは巷では、クールで真面目、渋い二枚目将軍だなどと騒がれているらしいが、はそんな夢のような妄想をしている女性群に、この姿を見せてやりたいと本気で思っていた。
黙っていれば文句はないし、仕事となれば頼りがいがあることも否定はしない。が、一度彼女の前で口を開けば息子息子、遠征から帰還すればまず息子の顔を見て、酒の席での話題は七割息子。残りの三割はどうでもいい世間話だったり仕事のことだったり、ともかく他愛のない話ばかりだ。
気を許されているのだと云えば聞こえはいいが、少しは付き合わされる身にもなれ、とはグラスを煽りながら内心毒づいた。嫌ではないが、そろそろ子離れしてもいいのではないかと常々思う。なまじ、息子や居候たちの前ではきっちりと振る舞うから始末が悪い。
まぁ、往々にして近寄りがたい有名人の実態とは、世間の思うものとはかけ離れているものはであるが。
今度は自分でグラスに追加を足しながら、は笑った。
「喜ぶのはいいけどね。うかうかしてると、あっという間に追い抜かされるから」
「はは、いくらなんでもそれはあるまい」
「子供をなめんなよ。それにティルは元から才能があるんでしょうね。飲み込みが早い」
「ほぅ?」
まぁ、と前置きし、はデマントイドも鮮やかな前髪を掻き上げた。
「私には遠く及ばないけどね」
お前に勝てるなら今すぐ近衛隊長になれるだろうよ。
思わず口を突きそうになった台詞は、薄めたアルコールと一緒に飲み込むことに成功した。うっかりそんなことを云うと、あとが怖いのだ。
そんな複雑そうな表情をしたテオを目敏く見たは半眼になる。
「何、その顔?」
「いや?」
「云え」
にっこりと笑顔になって、空いたテオのグラスに容赦なく蒸留酒を注ぐ。それを頬をひきつらせながら眺めたテオは、がっくりと肩を落とした。
恐らく、グラス一杯に注がれた琥珀色の凶器を飲み干さなければ、自分は寝かせてもらえないに違いない。
明日の謁見が夕方からで助かった、と、テオは冗談抜きで安心した。
「実際、ティルはどれほどなんだ?」
意を決してグラスを手に取り、それでもしばらく手の中で氷を回しながらテオは云う。
顔色ひとつ変えず、同じペースでグラスを空け続けるは、少し思案するように視線をさ迷わせた。
「そうねぇ。試しにグレミオと仕合わせてみたら、互角かそれ以上ってとこだったけど」
「……そんなにか?」
グレミオの修行不足なのでは、と思ったが、彼が修行を怠けたり自分を甘やかすことはない性格を十分に知っていたので、その考えは即座に却下した。
「動き、勘、何よりセンス。いいもの持ってるわ。鍛えれば鍛える分だけ成長するでしょうね」
大の大人ではないので力勝負になれば勝ち目はないだろうが、それを差し引いても素早さやしなやかさで補える。
さすが武人の息子といったところか、ティルは当初のの予想を遥かに上回る成長を遂げているのだ。しかも、ここ最近は速度もさることながら、精度も確実に上がっている。
「なんていうか、最初はピヨピヨのひよこちゃんだったのに、いつの間にかニワトリになられた気分」
「人の息子をトリに例えるな」
「子離れされた親の気分?」
はティルの母親になりたいのか?」
「断然断る」
「私も断る」
先ほどまでのほのぼのとした空気は消え去り、ひやりと張り詰めたものが広いテオの書斎を支配する。テオの濃茶と、のエメラルドがぶつかり、火花を散らした――が、それも一瞬のことだった。それなりの親愛の情は持ち合わせても、決してその先がないことを理解している本人たちなのである。
しかしそれがわかっていても、自他共に認める美貌の持ち主であるは、即座に否定されたことが気に食わなかった。繰り返すが、ティルの母親に――つまりはテオの妻になりたいわけでは断じてない。
ただ少し、女としての矜持を傷つけられたことに対する嫌がらせと、ほんの少しのお節介をしてやろうかと、にやりと笑った。
「そーよねぇ?私はあんたの好みの女じゃないもんねぇ?」
「そういう問題では…」
ない、と呆れ顔で続けようとしたテオは、完全に悪巧みをしているであろうのやけに爽やかな笑顔に、思わず口をつぐんだ。
それがまずかった。
何も云わなくなったのを好機と見たは、ますます笑みを深くした。
「あんたの好みは金髪碧眼で長髪、性格は女らしく且つ男顔負けの度胸の持ち主で?料理がちょっと下手で裁縫すれば指に針刺すドジな子だけど掃除はパーフェクト。近所に住んでるけどシャラザードにいることも多くて?加えて同じ帝国五将軍、そんな子だもんねぇ?」
最早好み云々ではなく、一人の特徴をあげているだけである。
テオは脱力して、スプリングのきいたソファに思いきり背中を預けた。それを答えとして受け取ったは、意地悪げな笑みのまま云った。
「彼女はそんなものじゃない、とは云わないんだ?」
「彼女はそん」
「云わせないけどね」
なら確認するな。
じろりと睨むと、は肩を竦めて笑った。
「いいと思うんだけどなぁ。あっちも満更じゃないみたいだし」
「馬鹿を云うな。彼女といくつ離れていると思っている?」
口にしていた蒸留酒を、あと少しで吹き出しそうになった。慌てて飲み込んだので少々気管に入って咳き込んだ。かなり辛い。
「なんだ、大丈夫か?」
「お前が大丈夫か……!!!」
なぜあれだけストレートに想われていながら気付かないのか。わざとかと思うほどのとぼけぶりだ。
ひとしきり咳き込んで漸く落ち着いたは、頭痛を訴えるこめかみに手をあてた。云わずもがな、頭痛の原因は目の前で不思議そうに彼女を見る男である。
「あんたねぇ、観察力がなくて軍人なんか出来ないでしょうに」
「失礼を云うな。当たり前だろう」
「ええい、その当たり前が出来てない分際で反論すんな!」
頭痛は漸進的に増すばかりだ。どうやらとぼけているわけではなく、本気でわかっていないらしい。それはそれで腹が立つのだからどうしようもなかった。
鈍感を通り越して無神経とも云えるこの男をどう料理してやろうか、と腹黒い算段を痛む頭の角でつけ始めたとき、ふと思い出したようにテオが云った。
「そういえば、。彼女とはよく家を行き来しているらしいな?」
まさかお前についての相談を受けているのだとは云えない。
「まーね。仲良しだから☆」
「ほぅ…仲が良いと、人の肖像を勝手に譲ったりするわけか」
「げ」
「やはりな……」
あっという間に立場は逆転した。
悪戯を見つかった子供のように、視線を明後日の方向に向けてはグラスを口に付けた。そんなの様子に、テオは呆れて肩を竦めた。別に怒っているわけではなかったのだ。
「だってさぁ」
ばつが悪そうに口を尖らせ、そっぽを向いたままは云う。
「あんた、遠征ばっかりでほとんど家にいないじゃない?その上あの子だって、シャラザードと家との往復の生活でしょ」
「…………」
「寂しそうで、かなわないのよ」
は女性には優しい。その上、彼女もを好いている。
お互い第一印象が最悪だったおかげで後どうなるものかというテオの心配は杞憂に終わり、結局二人は家を行き来するくらい親しくなった。
そんなが彼女の恋――というほど幼くもない愛情だが――の相談を受けるのは必然といえるだろう。しかも、彼女よりものほうが、テオと接する時間が長くなるから尚更だ。
ほとんど会えず、会えてもほんの一時しか傍にいられない不安を、は肖像を持たせることで柔げられないだろうかと考えた。額に入れるサイズではなく、ロケットペンダントに入れられるサイズにしたのも、肌身離さず持ち歩けるようにとの配慮だった。
「まったく……」
「うぅ」
しかし、それでもやはり、人物画を勝手に譲ったことへの罪悪感はあるのか、先ほどまでの尊大な態度はすっかり鳴りを潜めてしまっていた。
テオは、珍しいものを見たような気分になったが、そんなことを云うと機嫌が悪くなることを知っていたので、少し苦笑するだけにとどまった。
「一言くらい断ったらどうだ?」
「…断ったら、あげてよかった?」
「…まぁ、彼女が欲しいと云うなら……」
は俯いていたため、してやったり、とほくそ笑んだことにはテオは気付かなかった。
「じゃ、今度から気を付けるわ」
「立ち直りが早いな」
「前向きなのよ」
楽天家の間違いだろう、というテオの呟きはきっとには届かなかった。
蒸留酒のボトルは、いつの間にかもう一杯分にまで減っていた。が水のように呑むので忘れがちだが、かなり度数の高い代物なのだ。
テオは先ほど注がれたその液体を、漸く半分にまで減らしたところだった。彼女と同じペースで呑んだら恐ろしいことになりそうである。
息子の話と肖像画の話が一段落つき、本当に他愛のない会話が少し続いた。
ぽつりとテオが溢したのは、大事そうにゆっくりと味わっていた最後の一杯を、が一口残して氷と遊ばせていたときだった。

「二年か」

何が、とは云わない。訊きもしない。
それだけで十分伝わった。
二年。
短いのか、長いのか。
そんなことすらどうでもよくなるような時間だった。
カラン、と氷が鳴る。

「…うん?」
視線だけ、軽くテオに向けたまま、はグラスを回していた。テオはそのグラスを眺めながら、呟くように云った。
「これからもティルを頼む」
手が。止まる。
ふと横たわった沈黙は重かった。まるで夜の昏さをそのまま重石にしたような、重苦しさがあった。
ともすればそのまま飲み込まれてしまいそうだったその場の空気を、しかしは振り払った。
こんな沈黙は、似合わない。
「馬鹿ね。当たり前でしょう?」
この男に似合うのは、太陽の下だ。
この男に関わる者たちに似合うのは、輝かしい光なのだ。
は、ともに過ごしたこの二年でそれを知った。
「……そうか」
笑う。
「あの子たちを護るのは、私の役目よ」
二年は、短いけれど、途方もないほど長かった。
危険がないわけではなかった。
それでも。

「―――テッドとティルは、私が護る」

あの子が望んだことだったから。









-----------------------

テオ×?ないない\(^O^)/

Tは恋愛要素はほとんどないと思います。完全にゲーム沿いで、の生い立ちとかそういう人間的な話が中心になる、かなぁ……。何せお相手がテッドくんなもので(震)