軍人たるもの、常に冷静でいなければならない。何かある度に取り乱したり騒ぎ立てるのは未熟な証拠であり、愚かなことなのだ。 グレンシールは、帝国兵を目指し士官学校に入学した頃から持っていた考えを、五将軍であるテオの腹心となってからより一層強くしていた。 初めは雲の上にも等しい存在だったテオは、冷静で正しく、真摯で聡明。まさにグレンシールの目指す人間像そのものだった。だから彼は、テオの下に配属が決まったときも、内心はアレンのように飛び上がるほど喜びたい衝動を堪えて何度も書状を読み返し、しっかりと拳を握り締めるにとどまったのだ。 彼の部下になってからどれだけの月日が流れたか、正確には覚えていない。けれど、どんな時も冷静であることを心がけ、テオの腹心として恥じない行動を取ってきたという自負が彼にはあり、またそれは確かな実績として誰もが評価しているとろだった。 が、常に冷静であれという信念を持ったグレンシールでも、この光景を目の当たりにして、取り乱さないわけにはいかなかった。 『戻ったぞ』 散歩に行くと森に入って行った彼の上官は、帰ってきたときにはその腕に美女を抱き、背中には矢を突きつけられていた。 にこやかに挨拶をしている場合ではない。 |
Das Gluck, das die Welt uberblickte T‐4
|
絶句。 まさに口にすべき言葉を絶たれ、グレンシールは固まった。これは夢なのだろうか。真偽を確かめるべく、丁度隣に立っていた相棒の頬をつねってみた。痛いと騒いでいる。どうやら夢ではないらしい。 『―――テ、テオ様……?』 喘ぐように絞り出した声は、情けないほど震えていた。一体どんな理由であんな状況になっているのか、皆目見当もつかない。 そんなグレンシールの心中など知らないテオは、相変わらずにこやかのまま二人の腹心を呼びつけた。 『アレン、グレンシール。私はこの子らを引き取ることにした』 本日二度目の絶句である。顎が外れるかと思った。 実は突拍子もない性格かもしれないと最近になって薄々気付き始めていたが、ここまでだとは思ってみなかった。そんな結果だけ云われても。 しかし、それにしてもグレンシールは優秀な部下だったので、取り乱したことなどなかったかのようにすぐに姿勢を正し、そうですかと答えただけで、理由を追及したりはしなかった。アレンは何か云いたそうにしていたが、結局言葉が出てこず何も云えないままでいた。 『それから、悪いが私は医療兵のところへ行く。もう少し頼んだぞ』 『テオ様!?』 『その娘を運ぶつもりなら、我々が―――』 近くにいた一般兵が咄嗟にテオの腕にいた少女――に手を伸ばそうとした瞬間。 『触るな!!!!!』 鋭い声を発したのは、背後からテオに弓を引いたままついてきていた少年――テッドだった。あまりにテオが穏やかに笑っているものだからうっかりしていたが、彼は命を失いかねない状況にいたのだ。 『指一本でもそいつに触れてみろ。俺は即座にこの手を離すぞ』 『そういうわけなのだ。気遣いはありがたいが、私が死んでしまうので遠慮してくれ』 『な……!!!』 云うまでもなく、テオは優秀な軍人だ。帝国にその人あり、と云われ、他国にまで名を轟かせる武人なのだ。 そんな彼が、なぜあのような子供に背後を取られ、あまつ弓を引かれてもあっけらかんとしているのか。いくら考えてもさっぱりわからなかった。 が、注意深く少年や少女を観察してみると、どちらも酷く衰弱しているではないか。少女のほうは、顔色、表情、力無く垂れ下がった手足から、危険な状態であるとすぐに気付いた。 まさか、とちらりとテオの目を見ると、彼は苦笑しながら小さく頷いた。 なんとなくことの経緯を察したグレンシールは、このお人好しの上官にやや呆れながら、持ち前の冷静さをフル動員して表面の平静を保ちつつ云った。 『わかりました』 『グレンシール!!?』 とんでもない、と声をあらげたのはアレンだった。 『テオ様を脅すなどとはけしからん!この俺がたたっ斬ってやる!!』 そして剣を抜こうと柄に手をやる。実際、抜くつもりだったのだ。しかしそれは、淡々としたテッドの言葉の前にそれは叶わなかった。 『あんたが俺を斬り伏せるのと、俺の矢がこのおっさんの頭を貫くの、どっちが速いかな』 『……ッ!!!』 動きを止めざるを得なかったのはアレンの方だった。どんなに速く動こうとも、アレンの剣がテッドに届くよりも、テッドが手を離し矢がテオを貫く方が先だというのは一目瞭然なのだ。 アレンは手を柄にやったままテッドへの怒りと何も云わないテオへの困惑に身を震わせていたが、大きく息を吐き出すと、やがて諦めたように手を離した。 『アレン』 『はッ』 そんな腹心の様子を見ていたテオは、申し訳なさそうに眉を寄せていた。 『すまんな』 『ッ、いえ、滅相もございません!!』 グレンシールは澄ました顔で思い切り、畏まって敬礼したアレンの爪先を踏みつけた。こんなことで主に謝らせるとは、馬鹿以外の何者でもない。 小さく悶絶しているアレンを無視し、グレンシールはさっさと行動を次に移していた。 『テオ様。先に医療兵に伝えて参ります』 『うむ。頼んだ』 『はい。……少年』 テッドは相変わらず厳しい表情のまま、弓を引いていた。あの様子で弓を引いた状態を維持するのは容易なことではないはずだが、先ほどから鏃がテオからずれることはなかった。もはや精神力だけでかまえているに違いない。 そのことに少しだけ感心したグレンシールは、テオの好意を無駄にしないなめにも自分に出来ることをするのだった。 声をかけられたことに少々驚きながら、ちらりと小さく視線をグレンシールに向ける。それを確認し、云った。 『我が軍の医療兵は優秀だ。安心するといい』 『……だったらさっさと治療しろ』 ぶっきらぼうな返しだが、その尖った表情の中に僅かに安堵が浮かんだのをグレンシールは見逃さなかった。 なんだか急にテッドを可愛らしく思えてきたグレンシールは、テオに軽く頭を下げて医療用の天幕へ向かった。 あの少年はひたすらに少女が心配なのだろうと見当がついた。恐らく、あの少女を助けたい一心で、あのような行動を取っているのだ。 実に健気ではないか。 足を進めながら、グレンシールはなぜテオがあの少年たちを引き取るなどと云い出したのかわかったような気がした。 ----------------------- 美青年との出会い。 なんだかテオ様が不思議な人になりはじめてます。なんてこった/(^O^)\ |