失礼すぎて殴りたい。






Das Gluck, das die Welt uberblickte U‐4





グリンヒルに到着して早々、思わぬハプニングに見舞われ厄介事に首を突っ込んでいたフリックは、諸悪の根元――失礼――であるニナの案内で学園へ歩を進めながら自分の不運さを嘆いていた。出来ることなら目立たず騒がず且つ迅速に事を進め、さっさとテレーズを保護して本拠地に戻りたかったのだが、やはりそうは問屋が卸さないようだ。わかってはいたが、なんだか一筋縄には行きそうにもなかった。
それにしても、と若人たちの後ろを歩きながら彼は溜め息を禁じ得ない。
いくら剣を愚弄されたからといって、あそこでカッとなってしまうようでは自分もまだまだ青い――視覚的な意味ではなくて。前の戦争から3年が過ぎ、傭兵経験も積んで成長したかと思っていたが、どうやら足りなかったらしい。
あんな雑兵の云うことなど気にすることはないのだ。どうせ何を云われたところで自分に敵うはずはないに等しいし、云いたい奴には云わせておけばいい。
それでも我慢出来なかったのは、忘れられていない証拠だった。
もういない彼女を、忘れられずにいる。

今はトラン共和国と呼ばれるようになった国の南西の外れにあるフリックの故郷、戦士の村では、昔から己の剣に愛するもの、護りたいものの名前を付ける慣わしがある。本来ならば成人の儀式の前に命名して村を旅立たなければいけないのだが、フリックの場合半ば家出のように村を飛び出していたので、旅路の暫くは無名の剣のままだった。
彼が剣に名を付けたのはそれから暫く後、まだトラン共和国が赤月帝国と呼ばれていた頃のグレッグミンスターでのことだ。
そこで彼は彼女と出逢い、共に戦い、解放軍を組織した。そうして、彼女と恋をした。
恋と呼べるほど可愛いものではなかったかもしれない。ほんの少し、同情があった。だから最初はその感情を憐憫と履き違えていた時期もあった。
けれどフリックは彼女を愛し、彼女もフリックを愛した。
だからそれだけで十分だった。
オデッサ。
それがフリックの愛剣の名だ。
無意識に剣に触れる。カチャリと音を立てる無機質なそれは、しかしどこか暖かかった。
ゆっくりと息を吐き出し、前を向く。
そうだ。自分は誓ったのだ。
これから先、何があろうと、彼女に誇れるような生き方をして、彼女に相応しい男になるのだと。だから、どんなことでも必ずやり遂げなければならないのだと。
学園はもうすぐそこにあった。


ニナを先頭に街を進み、少し長めの階段を昇りきると、そこは既に学園の目の前だった。どうやらニューリーフ学園は、街の小高い場所に建てられているらしい。
「さぁ、入口はこっちよ」
さくさくと歩きながらニナが肩越しに振り向き、正面を指差す。豪奢ではないが素朴過ぎず、いかにも学園に相応しい玄関ホールが口を開けて彼らを待っていた。
街の中ではちらほらと見えただけだった制服姿の少年少女も、ここにきてほとんどみんなその姿だ。リオウやナナミ、アイリもピリカにしても、学校に通ったことがないので珍しくて仕方ないらしい。道々ニナの説明に頷きながら、興味津々で落ち着かない様子だった。
綺麗に舗装された道を通り、手入れの行き届いた庭を過ぎると漸く玄関ホールになる。解放された扉の正面には受付と思わしき机が置かれ、そこには一人の女性が座っていた。
ニナは彼女がいることを視認すると、まだ少し距離があるというのに大きく手を振った。
「エミリアさーん、編入生、連れてきたよー!」
エミリアと呼ばれていた女性は、ニナの声に顔をあげ、後ろに続くリオウたちを確認すると立ち上がって会釈をした。
同性が羨むような女性らしい身体に鮮やかな緑のスーツを着こなし、栗色の髪は頭の上できっちりとまとめ、赤いフレームの眼鏡の下には優しそうな瞳がある。彼女、エミリアがニューリーフ学園の事務員だった。
「ようこそニューリーフ学園へ。戦争で足止めとは災難でしたね」
そういうことになっているのは市内に入る前にフィッチャーから聞かされていたので、肩を竦めてフリックが答えた。
「まったくさ。漸くこっちまで来られたのに、ここまで渦中とは思わなかったけどな」
だからお前は青いのだと相棒がこの場にいたら殴っていたことだろう。
話を合わせたつもりが地雷を踏んだフリックの台詞に、エミリアもニナも表情を曇らせた。しまったと思ったときにはすでに遅く、アイリにしこたま足を踏まれ、ナナミとピリカからは冷たい視線をあびる羽目になったフリックだった。自業自得だ。リオウはそんな彼らを苦笑いしながら眺めていた。
「それよりも!」
重くなりかけた空気を打ち破ったのはニナだった。些か無理が見えるが、明るく笑って云う。
「リオウくんたちの編入手続きしちゃおうよ!書くことたくさんあるんだから、結構大変なんだよ?」
そんなニナの笑顔につられ、エミリアもゆったりと微笑んだ。
「そうね。編入生は久しぶりだし、2年前の二の舞にならないようにしなくちゃね」
少しお茶目に云ったエミリアの言葉に吹き出したニナは、さあさあとリオウたちの背中を押した。
「手続き終わったらいろいろ案内するから、ちゃっちゃとやっちゃおう!」
フィッチャーから渡された書類を取り出しながら、リオウたちは改めて、最初に出会ったのがニナで良かったと思った。しっかり者で明るくて可愛らしい、こんな子が入学して初めての友達で心強かった。
まずリオウたちは入学に必要な書類に記入をし、フリックはエミリアから生徒たちの今後の生活についての説明を受けた。長居するつもりはないとはいえ、こういうものはしっかりと聞いておかなければ、うっかり怪しまれたりするので大変だ。
そうしつ漸く手続きが終了した頃、エミリアとニナは顔を見合わせてクスクスと笑っていた。
「何々ニナちゃん、何がおかしいの?」
そんな二人の様子に、わからないというようにナナミは首を傾げ、その下ではピリカもうんうんと頷いている。
「あ、ごめんね、ナナミちゃんたちがおかしかったわけじゃないの。ね、エミリアさん?」
慌てたニナが弁解するも、やはりその顔は笑っている。すると今度はエミリアに同意を求め、自分たちの誤解を解こうとしていた。
「ごめんなさいね。2年前の編入手続きのこと思い出してしまったのよ」
「ふぅん?」
「あの子、変だったものだから」
変。
綺麗な顔で酷いことを云うものである。
若干顔をひきつらせたナナミは、そうなんだ、と笑った。
「どんな子だったんだい?」
興味をそそられたのか、少し身を乗り出してアイリが問えば、再びニナとエミリアは顔を見合わせて笑い始めた。
どうやらかなりおかしかったらしいが、まだ話を聞けていない新編入生たちは置いてきぼりだ。
「ねぇねぇニナちゃん、どんな子だったの?」
「ああおっかしい。うーん、何て云うのかな。あの子、ちょっとズレてるのよ」
それも酷い云いようである。
「真面目だしすっごくいい子なんだけど、考え方が飛び抜けてるっていうのかな。ともかく子供らしさが欠片もなくてね、編入手続きのとき、いきなり書類に血判しようとしたのよ!」
「け、血判…!!?」
「そうなの!もう私もエミリアさんもビックリしちゃって、慌てて止めたんだけどね」
「そりゃまたブッ飛んだ子だねぇ…」
「でしょでしょ?しかもその時何て云ったと思う?」
「何て云ったの?」
「『契約は血で行うもんじゃないの?』って!真面目に云ってるのかふざけてるのか、こっちが真剣に考えちゃったわよ!」
当時のことを思い出したのか、もう耐えられないと云わんばかりに大笑いしながらニナは語る。
話を聞く限り、なるほどアイリの云うようにブッ飛んだ子であるようだ。血判も驚くが、編入手続きを契約と呼ぶのも驚きだ。確かに間違いではないのだが、ニュアンスの問題だろうか。なんだか酷く堅苦しいような気がしてならない。
「そんな子なんだけど、今や学園始まって以来の秀才、いや天才なんだから!」
えへん、と何故かニナが胸を張っていた。
「だけど器用すぎて専攻分野を選びきれなくて、ついたあだ名が『天才的な器用貧乏』」
「あっ、エミリアさんそれ云っちゃうんだ…」
「あら、私ったらつい」
と笑うエミリアは確実に確信犯だった。なかなかこの美人司書は侮れない、とリオウたちは頭にインプットした。
その後もその『ブッ飛んだ子』の話で盛り上がっていた一行だったが、ふと視線を階段の上に移したニナの一言が話題を止めた。
「ほら、噂をすれば」
ぴ、と指差す方向には、ノートなのか書類なのか、とにかく紙に目線を落としたまま器用に階段を降りてくる少女がいた。
鮮やかなデマントイドの髪を贅沢に流しっぱなしにし、ノンフレームの眼鏡を掛けている。俯きがちな顔は、遠目に見ても整っていることがわかるほど美しく、まさに美少女と云える容姿だった。
人間見た目ではわからないものだ、と関心――するところではないのだが――したリオウは、先程地雷を踏んでからほとんど言葉を発しなくなったフリックを振り返り、思わず首を傾げた。
ニナの示した少女をこれでもかと云うほど見つめていたからである。一目惚れでもしたのかと思ったが、そんな浮わついたような視線ではない。
「フリック?どうかしたの?」
思わず小声で問いかけても、耳に入っていないようだ。相変わらず視線は少女に固定されて動かない。
そんな彼の様子にまったく気付かないニナは、エミリアにもそうしたように、手を降って少女を呼んだ。
少女は丁度、階段を降りきったところだった。

ー!」

どうやらと呼ばれた少女は紙に集中していたので、呼ばれるまでニナたちの存在に気付かなかったらしい。
ニナの声に顔をあげ、にっこりと笑って――固まった。
「ん?どうしたの、?」
フリックとまったく同じ反応だった。ニナの声に返事も忘れ、視線は一点集中。
フリックは、に。
は、フリックに。
2人は見つめ合う形で、ゆうに1分ほど固まっていただろう。その間何故か誰も口をきかなかった。というより、事態を把握できず、何も云えなかったというのが正しい。
先に動いたのはだった。
勢いよく回れ右し、階段を掛け上がろうとした。
するとフリックは一歩前に出て、叫ぶ。
「一つだけ云わせてくれ!!」
しかしは足を止めない。
期待はしていなかったのか、そのまま続けてフリックは叫んだ。

「お前の制服姿キッツい!!」

「てめェ云うに事欠いてそれかァァァ!!!!」

ハードカバーの分厚い本がフリックの額に直撃した。










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最後のとこ書けて大満足(*´∀`*)