そんなこと。私は、知らない。 |
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「……。この方と知り合いなの?」 「知らない」 弧を描くことなく一直線に飛んできたハードカバーの分厚い本は見事にフリックの額に直撃し、まるでスローモーションのようにその体躯は仰向けに倒れ伏した。階段を昇りきるとは云わずとも、少々高さのある場所からあの重さのものを投げつけられたら、重力も手伝って相当のダメージを与えられることだろう。それにはそもそも腕力と標的が逃げられないだけの速度もなければ話にならないのだが、それはまぁ置いておくとして。 が涼しい顔で再び階段を降り、先程読んでいたものと思わしき紙をエミリアに手渡し、ぐは、と小さな悲鳴を溢して倒れたフリックに視線を送りながらのエミリアの言葉をだった。意外と冷静である。 対するは、どう考えても知り合いに取ったとしか思えないような暴挙――少なくとも初対面だとしたら相当失礼な行動――に及んでおきながら、涼しい顔できっぱりと否定の言葉を口にした。いい根性だ。 そしてここまできて漸く事態に気持ちが追いついた、というか慣れてきたニナは、慌てて倒れたフリックに駆け寄った。 「フリックさん!?大丈夫ですか!!??」 「……………」 返事がない。ただの屍のようだ。 一瞬固まったニナだったが、それは杞憂に終わり、うううと呻きながらフリックは復活を遂げた。申し訳ないが、その姿はかなり情けない。 弱々しく起き上がったフリックは、額を押さえながら恨みがましい眼でじとりとを睨む。 「お、お前なぁ!ハードカバーは立派な凶器だぞ?」 「手加減したから大丈夫よ」 「嘘つけ!全力投球してただろうが!!」 「うっせー黙れ青雷!帰れ!!」 「ぶ、侮辱みたいに青雷って云うな!!!」 ぽかん、と。 他のメンバーは完全に置いてきぼりである。 しかしこれで少なくとも、知り合いではないというの言葉が嘘であることはわかった。しかも、会っていきなりこんな応酬が出来る程度にはお互いを知っているようだ。何故嘘をついたのかは、まだわからないけれど。 そんな彼らを尻目に、暫くは怒鳴り合い――というより、フリックが一方的に怒鳴られている――をしていた2人だったが、途中でがフリックを無視する形で置いてきぼりメンバー、エミリアに声をかけた。 「エミリア、ホントはこないだの授業の件で来たんだけど、出直すわ」 「え、ええ……」 「じゃ、ニナもまたあとでね」 「ぅえっ!?う、うん…」 突然だったのでエミリアもニナも咄嗟にうまく答えられず、どもりながら頷くのが精一杯だった。 は今度こそ踵を返し、階段へ向かった。その背中は声を掛けることを拒否していたが、フリックは構わなかった。 「、待て」 「話すことなんて何もない」 「俺にはある」 「わかんないかな、このすっとこどっこいが…」 呟かれた暴言は、幸いに小声だったのでフリックの耳にしか届かなかった。 思いきり顔をひきつらせたフリックを、にっこりと、それはもう綺麗な笑顔で振り返った。思わずそれを見たリオウが赤面したほど綺麗な笑顔だった。 そして、その綺麗な笑顔のまま、云う。 「私が、あんたに、話すことは、ないと、云っている。」 一言ずつ区切られると、非常に怖い。 「わかったらさっさと―――…」 引っ込め、と続けるつもりだったが、は途中で言葉を詰まらせた。 「…おい、?」 怪訝そうにを見れば、はリオウを見て目を見張っていた。 そうして、呟く。 「……前言撤回」 「は?」 「話があるわ。顔貸しなさい。答えは訊いてない」 「いや訊けよ」 云うが早いか、はフリックのマントをひっ掴んで歩き出していた。 またもや置いてきぼりを食らう羽目となった残りのメンバーである。 「悪い、リオウ。後で合流しよう!」 「う、うん、わかった!」 嫌だなどと云えるはずがない。 半ば引き摺られるように連れていかれるフリックを呆然と見ていると、一度だけ、ちらりと肩越しに振り返ったのエメラルドの瞳とぶつかった。 眼鏡を通しても変わらない、透き通った宝石のような綺麗な眼は、しかし何故か哀しげだった。リオウにはその理由がわからないけれど、なんだか胸がざわつくような、どきりとして落ち着かない気分になった。 しかしそれはほんの一瞬のことで、またすぐには前を向いてしまった。再び彼女が振り返ることはなかった。 階段を昇りきると、もう2人の姿は見えなくなった。 「嵐……」 そう呟いたのは、一体誰だったのか。 果たして、置いてきぼりの新編入生と在校生、それに事務員は、保護者不在のまま、学園の説明案内に行動を移したのである。 リオウに、小さな疑問を残したまま。 「おい、マント離せよ」 「………」 「無視すんな!」 「………」 「格好つかねぇだろ!!」 「ほざけ。つける格好なんか最初からないだろうが」 「そういうとこだけ反応すんのかよ……」 美少女と美青年――からは酷評を受けているが、一応フリックは美青年だ――が寄り添うように――実際は引っ張られているだけなのだが――歩いていれば、注目されるのは当たり前だ。しかし2人は残念なことに自分の見た目に頓着がないので、ただ声を潜めて早足に進んでいた。 結局マントを掴んでいるのが疲れたらしいがパッと手を離すと、勢い余ってフリックはまた転げた。確かにこれではつける格好はなさそうである。 「お前な……!!」 「入って」 鮮やかに無視して示したのは、個室の相談室。普段は教師と生徒が面談をするのに使われる部屋だが、そうでなくとも空いていれば自由に使用できる個室だった。 中はテーブルと椅子が置かれているだけの狭い部屋で、秘密の話し合いをするには持ってこいという場所である。 扉を開けてフリックを部屋に引っ張り込むと、は後ろ手に扉を閉め、鍵まで締めた。 そのまま暫く、睨み合うようにして2人は動かずにいた。お互い座りもせず、口を開こうともしない。 先に折れたのは意外なことにだった。 大きく溜め息をつき、一度頭垂れてから再び顔を上げる。 「どういうことなの」 質問に主語がない。思わず首を傾げれば、美少女らしからぬ舌打ちを漏らしたが低く云った。 「あの子。金輪の子よ。なんであんな子がここに来たの。ううん、それより、なんであんたが一緒にいるの?」 「あんな子?」 何故が、それこそ初対面であろうリオウをあんな子呼ばわりするのかわからなかった。口が良いとはお世辞にも云えないが、礼儀や常識は備えているはずだ。少なくとも初対面の少年をあんな子呼ばわりするのが礼儀正しいかと云われれば否と答えるしかない。 なのに、何故。 一瞬戸惑うように目を泳がせたは、慎重に云った。 「あの子…右手に輝く盾の紋章を宿してるでしょう」 「…お前……」 「しかもフリック、あんたあの子をリオウって呼んでたわね。まさか、ゲンカクの?」 フリックは言葉を失って愕然とを見つめた。それを肯定と取り、まさしくその通りだった事実には顔を歪めた。 リオウの右手には、トトの村の祠でレックナートの導きによって手に入れた、輝く盾の紋章が宿っている。新同盟軍にいる者ならば誰でも知っているが、そうでない者にまでリオウの顔や紋章のことが知れ渡っているとは思えない。しかも、リオウはグリンヒルに来てから一度も手袋を外していなければ、力を使ったわけでもない。だというのに、リオウを見ただけではその存在を看破した。さすが、としか云いようがない。その上、リオウの育ての親がゲンカクであることまで見破ったのだ。 「嫌な予感が的中ね……それでまさか、そのリオウの親友はハイランドの新しい将軍だったりするわけ?偶然にしちゃ出来すぎてるわ。まったく、ゲンカクとハーンの二の舞じゃない!何の為に2人が紋章を封じたと思ってるの?」 折角の美少女が台無しなくらい忌々しげに顔を歪め、唸るように呟く。本気で腹を立てているようだった。 しかし、疑問だった。輝く盾の紋章、つまり真の紋章に関しては、にわからないことなどないと断言出来るのでまぁいい。 けれど。 「お前、なんでリオウがゲンカクのところにいたこと知ってたんだ?」 「ゲンカクがあの子らを拾った頃、丁度あいつに会いに行ってたのよ。そのときに一度私はあの子をみてる。リオウには姉がいたわね?確か名前はナナミ」 予想外の返答にフリックは驚いた。が、同時に納得する。 「それに昔、ゲンカクとハーンが森の中で酒盛りやってたときに乱入したことあるから、2人のこともよく知ってるわ」 「お前ら何してんだ…!」 ガクリ、と思わず肩を落とした。歴戦の英雄の知りたくなかった裏話を聞いてしまった。 が、はたと思う。これは実際好都合だ。何故なら、がそこまで気付いているのら今後の展開も予想出来るだろう。つまり細かい説明の必要がないのだ。 しめたと云わんばかりに身を乗り出し、フリックはに詰め寄った。 「わかってるなら話は早い。俺たちは今新同盟軍としてハイランドと戦ってる。協力してくれ、」 今回グリンヒルに来た本来の目的はテレーズの救出だった。しかし、思わぬ幸運に恵まれたらしい。 ハイランドの、ルカ・ブライトの悪行は今や知らないものはいないほど、残虐で、凶悪で、凄惨極まりないものになっていた。女子供関係なく、老若男女関係なく、目に映るものすべてを切り裂き、破壊し、蹂躙しつくす。人間を人間とも思わない行為の数々は、も耳にしているはずだ。ならば、ルカを倒すのに手を貸してくれるだろう、と。 ところが、返ってきた答えは予想外のものだった。 「断るわ」 「…な……」 「話はそれだけ?なら、さっさとグリンヒルから出ていきなさい」 「!お前も知ってるだろう!?ルカの行いを、知らないはずはないだろう!!」 あまりにもあっさりと拒否し、あまつそのまま部屋から出ていこうとしたの肩を咄嗟に掴み、云う。 フリックにはわからなかった。 何故がそんなことを云うのか。ルカの凶行を知ってなお、何故。 振り返った眼に、見つめられたフリックは驚いた。 ―――そこには、3年前の彼女はいなかった。 彼女はゆっくり口を開く。 「関係ないわ」 それはあまりに惨い言葉。 関係ない。 フリックは身体中の血液が氷のように冷えていくのを感じた。 共に戦ってくれるとばかり思っていた。 信頼していたかつての仲間は、にべもなく、繰り返した。 「ルカの行いも都市同盟も、私には関係ない」 そっとフリックの手を外す。 手袋越しに触れた手は、まるで知らない誰かのようだった。 「何をしに来たのか想像出来るけど、グリンヒルのことはグリンヒルがなんとかする。だからあんたたちはもう、出ていって」 そっと離れた指先は、行く宛もなく空を彷徨った。 はフリックの眼を見ようとはしなかった。軽く伏せたままのエメラルドは、すべての拒否を示している。 「あんたたちに悪いようにはならないように計らいながら、グリンヒルは私がなんとかするから大丈夫。だから」 「―――…」 「はやく、出ていって」 呟いて、今度こそ扉を開けて出ていった。 ぱたん、と無情にも閉まった扉を見つめ、フリックは彼女を変えてしまった理由を考えた。再会したばかりの彼は、すべて予想するしか方法はない。はフリックのように傭兵部隊に身を置いて戦いから通りだった生活を送っていたから、そのせいなのかもしれない。 けれど。 「…とりあえず、情報収集か……」 フリックは諦めるつもりはなかった。 テレーズ救出も、のことも。 ----------------------- 話が進まないorz ちなみに 『返事がない。ただの屍のようだ。』→どらくえ 『答えは訊いてない』→電oh\(^O^)/ |