だって、苦しいだけだから。 |
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ニナの案内で学園周囲を散策していた一行は、現在は学園内部に場所を移していた。一応はいざというときのために学園内部も大まかにでも把握しておくべきだろうと考えたからである。もちろんそんなことニナには云わず、単に学校に通ったことがないので是非道案内をお願いしたいのだとだけ説明してある。 紋章師、鍜治師、彫刻家、音楽家、その他いろんな職業に就くための勉強をする各教室に、図書室、実験室、大講堂、つい先程までとフリックがいた相談室のフロアなど、とにかく学園内部を隅々見学した。完全に把握するには広すぎるが、ぼんやりとでも覚えておくに越したことはない。 そうして学園内部を一通り見学し終えた一行は、街の散策の前に学食で小休憩を取ることにした。リオウたちはグリンヒルに入ってすぐにこちらに向かったのでほとんど休みなしの状態だったし、特にピリカのことを考えると、あまりぶっ通しで歩き続けるのはよくないだろう。 学食は学園の一階部分、玄関ホールを抜けて右手に位置していた。室内にはたくさんの椅子とテーブルがきちんと整列しており、晴れた日には芝生をひかれた外でオープンテラスも開かれるらしい。そして今日は運良く晴天だった。 それぞれ軽食やら飲み物を注文した一行は、さっそくオープンテラスに席を取った。幸い、今は授業中なので生徒の数は疎らだ。 彼らが陣取ったのは、テラスの一番端、青々と茂る木々の真下にひっそりとある席だった。なんでもここは秘密の語らいをするには持ってこいの場所なのだとニナが力説していた。丸見えなのに秘密とは、と思ったのだが、それは云わないでおこう。 席に落ち着き一息つくと、お礼だと云ってリオウが奢ったメロン・ソーダをかき混ぜながらニナが云った。 「ね、どうどう?感想は」 まるで褒められることを確信して期待している子供のようだと云ったら怒られるだろうか。一瞬尻尾を振る犬にも見えたのだが、黙っておくことにして、正直に答えた。 「うん。すごくいい学校だと思うよ。雰囲気がすごくいい」 「ね!みんな優しくて面白いし!」 「学食のケーキは美味しいしね」 「う、うー!」 「でしょでしょ?いい学校でしょ?」 そらみろ、とばかりにニナは誇らしげに胸を張った。自分の所属する学園を褒められて、自分のことのように嬉しいらしい。普段がちょっとお姉さんぶっているところがあるので、こういう子供っぽいところがなんだか可愛らしく見えた。 それから5人はのんびりとこれからの学園生活の話に花を咲かせた。どんな授業を専攻するだとか、楽しみな授業のことだとか、面白い教師の話だとか、話題はなかなか尽きなかった。 ナナミがの名前を出したのは、話の流れから当然だった。 学園には個性的な人物が揃っていた。ジーンが虜にした男の数や彫刻に熱中しすぎて過労で倒れたジュドの話、エミリアがどんな敏腕事務員かというニナの力説が落ち着いたときだった。 「ねぇねぇニナちゃん。さっきのさ、ちゃんて、どんな人なの?」 リオウはどきりとした。やましいことなど何もないのに、という名前を聞くとなんだか無性に落ち着かない。先程の眼のせいだ、と思った。 ナナミの質問に、うーんとニナは唸る。 「どんなって云われてもなぁ。さっき話してた通り、天才で、変人」 「変人…」 「うん。だってあんなおかしな子、他には絶対いないもの」 友情はどこへ行った。 苦笑するしかないナナミだったが、ふとその隣でアイリが思い出したように呟いた。 「なんだかフリックとは知り合いみたいだね?」 「そう、忘れてた!それよ!!」 と叫び、ニナは昂然と立ち上がった。そんなニナの剣幕に若干全員が後退ったが、気にせずに鼻息荒く云う。 「ほんとあの子ったら水くさい!あんな素敵な人と知り合いなら、はやく紹介してくれたらいいのに!」 用事もないのに知り合いの男を紹介する人はそう居ない。 「でもでも、ちゃんは知らないって云ってたよね?」 「そんなの嘘よ」 「云い切るね」 「伊達に2年もつるんでないんだからね、私たち」 どうやら彼女のことでわからないことなんてない、と云いたいらしい。すごい自信だった。それだけ濃い付き合いをして、尚且つ、きっとニナは彼女のことが大好きなのだろう。親友、なのだ。 微笑ましい、と思う反面、リオウは自分の親友のことを考えて複雑な気分になった。 グリンヒルを陥落させた新将軍がジョウイである確証はない。ないが、胸騒ぎがする。嫌な予感がするのだ。リオウはまだ幼くて、その嫌な気分の払拭の仕方を知らず、気にしないでいることも出来なかった。ただ今は、そんなことには、最悪の事態にはならないように、そして今回の目的をしっかりと果たすことだけを考えなければいけなかった。わかっていても、ふとした瞬間どうしても気分が落ち着かなくなる。怖かった。 散々ずるいだの薄情だのと、に対する愚痴をこぼしていたニナだったが、暫くしてぴたりと何か考えるように固まった。不審に思ったアイリが声をかけるより早く、でも、と独り言のように呟いた。 「あんなふうに話す、知らなかった」 ニナは、それが意味することを知りたくなかった。知らないがいるのが嫌だった。 口はお世辞にも良くないけれど優しくて面倒見がいい彼女。それでも礼儀正しくて失礼ではなかったはずだった。もちろん、どんなに怒っても手を上げることなんてとんでもない。 それなのにあの時のときたら、礼儀なんて欠片もなくて本は投げつけるし、目が白黒するとはまさにこのことなのかと思った。事態を飲み込めずに何も云えなかったというのも確かにあるが、それ以上に、が知らない人のように見えてしまって何も云えなかったというのが正しいかもしれない。そのくらい、本当はニナにはショックなことだった。 洗いざらいお互いのすべてを語り合ったわけではないので、ニナの知らない彼女があっても不思議ではないし、当然だ。けれど、それこそ2人は2年間一緒にいた。信頼だって、他の誰より勝ち得てる自信はある。顔を見れば、たいてい何を考えているかだってわかるのだ。 なのに。あの時は、知らないだった。 知っているはずなのに、知らないだった。 だから何も云えなかった。 怖くて、何も云えなかった。 いきなり肩を落とし、すとんと椅子に項垂れ目に見えてしょんぼりとしてしまったニナに新座者である彼らがかけられる言葉はなかった。所詮は個人のことで、彼らはどちらにしても出会ったばかりだ。下手な慰めは逆効果になるのはわかっている。 小さなアイコタクトを交わしながら困り果てていると、リオウは右手に微かな違和感を覚えた。何だろう、と手袋越しに右手の甲を見たのとほぼ同時に、少し暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすような涼やかな声がした。 「ニナ」 話題の張本人、だった。今は手ぶらで、片手を軽く上げて愛想良く笑いながらこちらにやってくる。 「随分あちこち回ったみたいね。結構探したよ」 「まぁね。だって、学園内のほとんどを回ったんだもん。…どうしたの?」 このときすでにニナはいつものように明るい表情を取り戻していた。先程の話題を忘れたわけではないであろうに、恐らくに心配をかけじと無理をしているのだろう。 知ってか知らずか、は早速本題を切り出した。 「エミリアが探してる。こないだの書類整理の続きしたいんだってさ」 「えっ、今日やるの?リオウくんたちの案内、途中になっちゃう」 「そっちは私が代わるから、とりあえずエミリアのところ行っといで」 うーんと唸ったニナは、ちらりとリオウたちを見た。どうしよう、と顔に書いてある。一度案内を引き受けたからには、きちんと最後まで責任を持って自分が案内するべきだとニナは思っている。それを途中で他の人に任せてしまうのは、どうにも忍びない。 しかし素早くそんなニナの心情を察したは、悪戯っぽく笑って云った。 「それとも、私に任せるのは不安?」 「まさか!」 「じゃ、決まりね」 ずるい。 彼女はわざと頷けないようなことを云って、結局自分の思うように人を動かしてしまう人なのだ。毎回あっさりとその巧みな話術にはまってしまうことが、なんとなく面白くなかった。 が、それはそれ、である。ともかく今はエミリアのところには行く必要があるのだ。 渋々ながらニナは、一行に断ってから席を立った。 「ごめんね、みんな。なるべく早く終わらせてくるから」 「こっちこそ。付き合ってくれてありがとう」 合流出来るように頑張るから、と云ってニナは慌ただしく学園内に戻って行った。 その後ろ姿を手を振って見送り、完全にニナの姿が見えなくなってからはリオウたちを振り返った。 「悪いわね、そういうことだから」 にこり、と笑う。その笑顔からはとても先程フリックに凄んでいた迫力はない。見間違いだったのかとすら思うほど、まったく違う印象を受けた。 このときすでに、リオウの右手はいつも通りに戻っていた。紋章が宿っていること以外は、至って普通の手だった。思わず首を傾げたが、気のせいだったのだろうと思うことにした。 ちらり、と改めてを見て思う。遠目で見たとき同様、腰まで流れるデマントイドの髪は陽の光を浴びて淡く金に近い色に輝き、濃い目のエメラルドの瞳はくっきりと綺麗な丸を描いている。つり目気味だがきつい印象はなく、むしろ柔らかに弧を描く唇のおかげで優しげにすら見える。文句なしの美人だった。加えてプロポーションもいいから、学生よりも舞台女優のほうが向いているのではないかとお節介なことを考えてしまう。 しかし、みとれていられたのはほんの少しの間だった。 笑顔もそのままに、は云った。 「単刀直入に云うわ」 何を、と問う時間すら与えなかった。 「グリンヒルから出ていきなさい」 有無を云わさぬきっぱりとした言葉だった。思わず一行は息を飲む。は構わずに続けた。 「さっきあの馬鹿にも云ったけど、グリンヒルの問題はグリンヒルでなんとかする。下手にあんたたちみたいなのに動かれると迷惑なのよ」 だから、出ていきなさい。 一行は残らず絶句した。開いた口が塞がらなかった。そもそも、何故いきなりこんなことを云われているのかわからなかった。 長く沈黙を挟んだあと、喘ぐようにリオウは口を開いた。 「ちょっと…待ってください……!」 「いいえ。待たない」 にべもない。 笑顔を引っ込めて鋭く一行を見るに一瞬怯んだが、意を決してリオウは云う。 「僕たちにはやらなければならないことがあります。こんな中途半端に何もしないまま、帰れません」 煌めくエメラルドをまっすぐに見つめる。揺らぐことのないそれは、本物の宝石よりもずっと美しかった。 しかし、どこかその美しさは冷たい感じがした。 「やらなければならないこと?」 「そうです」 「やりたいこと、の間違いじゃないの、それ」 二の句が紡げなかった。 明らかな軽蔑の眼差しがリオウに突き刺さる。 「何を基準に『やらなければならない』義務にしてるか甚だ疑問だけど、私に云わせればそんなもの、ただセイギのミカタごっこの延長のお節介でしかないわ。自分たちが信じてることしか見ようとしないで勝手に周りを巻き込んでるだけじゃない。それは『やらなければならない』ことじゃない。自分勝手に『やりたいこと』でしかないわ。いいこと教えてあげる。当人の意見なしに進める勘違いの気遣いはね、迷惑って云うのよ」 今日になって何度目かわからないが、絶句するしかなかった。唖然としているリオウを置いて、憤然と立ち上がったのは直情型のアイリだった。 「ちょっとあんた。一体どういうつもりなんだい?こっちの話も聞かないでずけずけとさぁ!」 「そ、そうだよ!私たち、みんなのために頑張ってるのに、迷惑なんて酷いよ!」 アイリの抗議にハッとしたのか、追ってナナミまでを批難した。 しかし、それは余計にの表情を冷たくするだけだった。 「聞かなくても見当はつく。大方、噂の新同盟軍がグリンヒルの現状把握のために動いてて、あわよくば行方不明のテレーズを探して救出、出来れば協力までこぎつけよう。ハイランドの新将軍の情報も手に入れよう。そんなところね。ついでに、」 と一度そこで言葉を区切り、ひたとリオウを見た。 「新同盟軍の軍主は、あんたね。リオウ」 今度こそ息が止まるかと思った。 背筋が凍えるように冷たくなり、冷や汗が頬を伝った。 そんなリオウの反応を肯定と取ったは、溜め息をついた。しかし、それは今までのような冷たさではなく、どこかリオウを憂いているかのような、憐憫さえ感じられるものだった。 「馬鹿なことを。ゲンカクはそんなこと望んじゃいないってのに」 「え…!!?」 「じ、じいちゃんを知ってるのっ!?」 リオウとナナミが思わず声を上げる。しかしこの問いには答えず、はくるりと背を向けてしまった。もう云うべきことは云った、と語るような背中だった。 「さんっ!」 呼び止めてしまった。歩き出そうとしていたは、ぴたりと動きを止めた。相変わらず背を向けたまま、少しだけ後ろを向く。 とはいえ、呼び止めてはみたものの、何を云えばいいのかはわからなかった。咄嗟すぎて、とにかくこのままではいけない、という思いだけがリオウを動かした。 だから、どうして自分がこんなことを口走ったのか、わからなかった。 「さんにとって、戦争とはどんなものですか?」 沈黙は、そう長くはなかった。 返ってきた答えは、予想以上に重かった。 「人殺しのための手段」 そしては去っていった。 テラスから学食に入るときに、戻ってきたらしいニナとすれ違って何か話していたが、後ろを振り返ることなく、学園内に姿を消した。リオウたちは、呆然としながら見送るしかなかった。 それから小走りに一行のところまで戻ってきたニナと再びグリンヒル散策に繰り出したが、その間、の言葉が頭から離れることはなかった。 『人殺しのための手段』 あのときは、泣いていたのだろうか。 今となってはもうわからないことだった。 ----------------------- 進んでるようで進まない話……orz |