失うことが何よりも怖かった。






Das Gluck, das die Welt uberblickte U‐7





星が動き始めているのは気付いていた。しかしそれはもう私の気にするところではないし、極論を云えば関係ないことだった。何せ私は宿星ではない。
今までも、そしてこれからも、私が宿星に選ばれることは絶対にあり得ないのだ。運命の輪から外れた場所に立つ私は、運命に翻弄される宿星にはなり得ない。
だから、正直3年前は予想外だった。まさか身近なところに宿星が、しかも天魁星がいるなんて。
星の中心と関わりを持ってしまっていたのは誤算だった。お陰で宿星でもないのに星の動きに巻き込まれて、失わなくていいものまで失う羽目になった――半分は私にも責任があったので、あまり批難は出来ないのだけれど。それでも恨み言を云うくらいは許してほしい。
だから今度は、絶対に関わらないと決めたのだ。
星の動きを感じ、レックナートが私のもとを訪れようとするのをことごとく封じて我関せずを突き通すつもりでいた。
なのに、先のグリンヒル侵略といい、今回の新同盟軍の偵察といい、星はどうあっても私を巻き込みたいらしい。運命の輪からは弾き出しておいて、そのくせ運命を動かす駒にはなれというのだからまったく理不尽にも程がある。


夜、自室のベッドで仰向けになり、今日のことを振り返った。
漸く時間が空いたので選択授業のことでエミリアを訪ねてみると、3年振りに見る顔が間抜け面して突っ立っていた。相変わらず青い。思わずこっちまで呆けてしまったが、咄嗟に踵を返して逃げようとしていた。考えてみれば別に逃げる必要はなかったのだが動き出してしまったものは止められない。
そのまま何を云われても無視して逃げるつもりだったがしかし、あまりに聞き捨てならん暴言を吐かれたので反射的に手にしていた分厚いハードカバーの本を投げつけていた。すごい音を立ててぶつかっていたが、自業自得だ。仮にも女子に向かって制服姿キッツいとは万死に値する暴言だろう。絶対謝らん。
一応気は済んだので、本当は適当にあしらってさっさと逃げるつもりでいたのに、金輪を付けた少年――リオウを見つけた瞬間、気が変わった。
私はあの子を知っていた。昔、確か14年ほど前だったろうか。ゲンカクを訪ねたときに、一度だけ会っていた。といっても当時リオウも、そしてナナミも赤ん坊だったので私のことなど覚えていないだろうけど。
単にゲンカクの養子だからではない。彼の右手には、力を感じた。
完全な力ではない。なんというか、中途半端な、何かが足りないような。
ハッとした。つい最近、これと似たようなことを感じたことを思い出したのだ。
まさしくこのグリンヒルを陥落させた、ハイランドの新将軍。年は10代半ばで、リオウとそう変わらないくらいだったと記憶している。
そして気付いてしまった。
ゲンカク。
リオウ。
中途半端な力。
同世代の敵。
これらが示したのは、遠い昔に2つになった真の紋章。始まりの紋章の存在。強く惹かれ合いながら、決して相入れることのない、決別の紋章の呪い。
ゲンカクとハーンが手放したそれを、皮肉にも何も知らずにその養子と親友が受け継いでしまったのだ。しかも、ご丁寧に同盟軍とハイランド軍とに別れて。
簡単には見つからないよう封印しておいたはずなので、恐らくレックナート辺りが手引きしたのだろう。余計なことをしてくれたものだ。
またか、と思った。運命はいつもいつも、小さな子供にばかり辛い思いをさせようとする。
丁度いいのでフリックを引っ張って話を聞き出せば、やはり思った通りの答えが返ってきて呆れてしまった。
しかも、あいつは私にまで協力を求めてきた。
それを私はきっぱりと断った。当然だ。いくら昔馴染みであろうと、そんな頼みはきけない。
私はもう、戦争になんて加担しない。
平和のためだなんて大義名分を掲げて堂々と人殺しなんて真っ平ごめんだった。
例え逃げだとか偽善だとか云われても構わない。そんなもの痛くもかゆくもない。人を殺すことに比べたら、なんともない。
なので、早々にお引き取り願おうと私はフリックと別れたその足で、ニナと一緒にいるであろうリオウたちを探した。
何やらあちこち歩き回ったようでなかなか見つからなかったが、学園を一回りして学食に顔を出したところで漸く見つけた。大方、学園の構造を少しでも頭に入れるために全体を回っただろう。ご苦労なことだ。
ニナお気に入りの一角に場所を取っていた彼らだったが、遠目から見ても纏う雰囲気が重いような気がした。よくよく見ればニナが肩を落としていて、周りは対応を悩んでいるようだ。
何があったか知らないが、ニナが落ち込んでいる姿は見たくない。どうせこれからする話はニナには聞かせられないので、一旦退席してもらおう。
そして何食わぬ顔で名前を呼ぶ。いつも通り、笑顔で声をかければ同じように笑顔が返ってきた。無理をして失敗したような笑顔だったが、敢えて何も云わずにエミリアからの伝言を伝えた。
一応嘘ではない。ここに来る前にエミリアに会い、ちゃんと本人から伝言は預かったのだから。ただ、それが『今日』とは云っていないだけで。というか、私は一言も『今日』とか『今から』とか云っていないのだけれど。まぁ、否定もしなかったのだから後々嘘つき呼ばわりされても仕方ないことなのかもしれない。
ともかく、ニナが去った後の彼らにはずばりと云っておいた。我ながらすさまじい言葉の嵐だったと思う。反論の隙など与えなかった。
案の定、誰もがぽかんと絶句していた。もしかしたら私が云っていたことなんて半分も聞いていなかったのかもしれない。それくらい呆然としていた。
が、私は二度も同じことを云ってやるほど親切ではない。それに、いつまでもここにいるとニナが戻ってくるかもしれなかったので、さっさと背を向けてしまった。
気の強そうな黒髪の少女が食い下がろうとした気配があったけれど、それより先にリオウが私を呼び止めた。
素直に聞いてやる義理はなかったが、何を云うのか興味があった。動かそうとしていた足を止め、僅かに振り向く。
一呼吸空けての問いは、些か、予想外だった。

『ラロルさんにとって、戦争とはなんですか?』

そんなもの。
吐き捨てた。

『人殺しのための手段』

人が死なない戦争はない。
血で血を洗い、憎悪が憎悪を呼び、戦火が戦火を招き、その連鎖は永劫続く。
どんな大義名分を掲げたところで、結局誰も彼もやっていることは同じなのだ。
ある者は正義のために。
ある者は信念のために。
またある者は、ただひたすら、欲望のままに。
何が正しくて何が正しくないかなんて、きっと考えるだけ無駄なことだろう。
だから私は今まで、自分の信じることのため、自分の護りたいことのために戦っていた。けれど、その結果が3年前の惨事になったのだ。
かけがえのないものを失った。
命をかけて――かけられる命なんて、持っていないけれど――護りたかったものだった。
大切な人だった。
それを失った私には、もう、誰かを殺したり、殺されたり、憎んだり、憎まれたり、そういうのは堪えられなかった。
人が死ねば誰かが哀しむ。
長い時間の中で、大切に思った人は何人かいた。その彼らも、寿命や戦で命を落としていった。
命が永遠じゃないなんて知っていた。
けれど、あんなに哀しくて辛かったのは初めてだった。
あの子を失うことが、あんなに痛いなんて知らなかった。
知りたくなかった。
知らずにいたかった。
私が今まで殺してきた人を思って、私と同じ気持ちになった人がいたかもしれない。そう思うと寒気がした。
今更だと云われればそれまでの話だけれど、少なくとも、自覚してしまったのだからどうしようもない。
だから私は、もう戦いたくなかった。
誰かを殺すのは、恐ろしくて仕方なかった。
何があっても、戦争なんて。

―――ああ、それなのに。

見上げた天井には何も映ってはいない。2年前、この部屋に来てからずっと変わらない。
私はこの部屋が好きだった。ほとんど寝るためだけに帰ってきていたようなものだったけれど、私にとっては家だった。
私が帰る場所。私の居場所。
私を受け入れてくれた、グリンヒルという場所。
そのグリンヒルは今、絶望の淵に立たされている。
ハイランドの侵略は、街に傷をつけなかった代わりに、住民の心に大きな傷を残した。もちろん、テレーズにも。
鬱陶しいことこの上ないが、新都市同盟でさえこの状況を打開するために動いている。
ならば、私は?
私は一体ここで何をしているのだろう。
戦争を逃れるためにグリンヒルまでやってきて、どう考えても怪しいはずの私を笑顔で受け入れてくれたテレーズ、グリンヒルが苦しい思いをしているのに、一体私は何をした?
戦争が嫌だから、戦いたくないから、自分を受け入れてくれた人たちが苦しんでいるのすら、放っておくの?
そんなの、恩を仇で返すのと同じだ。
何もしないのが一番ずるい。
私には力があるのに、自分の都合で戦いを放棄するなんて。
でも。

でも―――私は、どうしたらいいのだろう。

ベッドから起き上がる。
とっくに消灯時間を過ぎた寮は真っ暗で、生徒はぐっすりと眠っていることだろう。ほとんど眠らない私には、考え事をするには丁度いい時間だった。
疲れた身体を伸ばしながら、なんとなし、窓の外に目をやった。人っ子一人いないはずの外に、ぼんやりと浮かんだ人影。ニナだった。
よく見ると両手いっぱいに荷物を抱えている。恐らくテレーズのところに行くのだろう。
お疲れさま、と笑ってみたが、ややあって脱力した。
ニナをつけている人影を見つけたのだ。
あのまま行けば、あいつらはテレーズを見つけるだろう。
止めるべきだろうか。
考えて、出てきたのはため息だった。
多分、止めても無駄だ。
ならば、放っておいても構わないだろう。
テレーズは、どうするつもりなのだろうか。
あの子は酷く傷付いた。立ち直るには、時間が足りていたかどうかはわからない。
ゆっくりと息を吐き出す。目を閉じる。
テレーズ。

―――私も、そろそろ頑張らなきゃ駄目かな。










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長い……orz
グリンヒル編、もう少し!・・・かな?(笑)