「茶番はそこまでだ!」

流れ始めた穏やかで優しい空気をぶち壊しにしたのは、大勢の王国兵を引き連れて戻ってきたラウドだった。
勝ち誇った顔で、未だラウドたちに背を向けたままのに告げる。
「クズがどれだけ集まろうと王国兵の敵ではないが、目障りには違いない。ガキは引っ込んでいろ!」
それはまるで三流悪役の、ヤラレ前の台詞のようだったが、そんなことを指摘してやるほど親切な人物はどこにもいなかった。
しかし、は無反応だ。
僅かに顔を俯けたまま、何の反応もなくラウドの言葉を聞いている。いや、むしろ聞いているのかどうかも怪しいくらい、いっそ清々しく無反応だった。
あまりに何も云わないので、向き合っているテレーズが不安になってしまった。しかし、表情は流れた前髪に隠れて読めないし、とても声をかけられる雰囲気でもなかったので、はらはらしながら黙って見守るしかない。他の市民も似たり寄ったりだ。
他人を見下したように言葉を並べていたラウドだったが、1分ほどの居心地の悪い沈黙を挟んだのち、ついにキレた。

「護衛者気取りの小娘が、我々王国兵に楯突いてただで済むと思うなよ!!」

ぴくり、と。
そこで漸くは反応らしい反応を見せた。しかしそれはほんの一瞬だった。
が。

「―――ふふ」

笑った。

「うふふふふふ」

・・・笑っていた。

「うふふふふふふふふ」

たまったものではなかったのは、間近でしかも正面からの不気味な笑いを目にしてしまったテレーズだ。若干身体も引き気味で、心なし顔もひき吊っている。
一体何がおかしいのか、ついには身を折るようにして爆笑し始めた。
はっきり云って怖い。
気でも狂ったのかと思い、誰もが最悪の事態を予感した。ただ一人、かつて青雷と名乗っていた男だけは、事態を予想していたのか少しだけ面白そうに傍観していたのだが、周囲の目はに釘付けだったので、そんな男に気付く者はいなかった。
さしものラウドや他の王国兵も、怯えて泣き叫ぶならともかく、わけもわからず笑い始めた少女に云い知れぬ恐怖と違和感を覚えたようで、笑う姿は隙だらけに見えるのだが、攻撃してやろうなどと思う者はほとんどいなかったし、行動に移そうという者は皆無だった。
暫くひたすら笑い続けていたは、多少笑いが収まったのか、相変わらず笑いながら云った。
「うふふふふ。護衛者気取りの小娘?王国兵に楯突いてただで済まない?うふふふ」
「な、何ィ?」
くるり、とここで漸くは王国兵を振り返った。
そしてにっこりと。
にっこりと、笑い。

「ホンットちゃんちゃらねあんたたちっ!」






Das Gluck, das die Welt uberblickte U‐9





傍観者に徹していたフリックは、が学生寮から姿を現した瞬間、すべてを理解した。
彼女は決意したのだ。
戦うことを、決めたのだ。
テレーズとニナや萌葱亭の主人たちが話している間、ほとんどの市民がこの場所に集結しているにも関わらずの姿はなかった。
しかしフリックには確信があった。
はどこかでこの光景を見ている。
相も変わらず、傍観者らしく、事態を見守っているに違いないのだ。その形のいい唇を噛み締めながら、運命が動いている様子を見ているはずだった。
結局自分の言葉では彼女を動かすことは出来なかった。あれから接触したくてもいろいろな障害――ニナの執拗な追っかけや、自身がフリックの気配を察知するや否や姿をくらますなど――があり、説得はできず仕舞いでいたのだ。
グリンヒルを脱すると決めたときも、このままでいいのか、どうしたら協力を取り付けられるか、と目まぐるしく思考していたのだが、やはり何も出来ないまま事態は来るところまで来てしまった。
しかし、運命は彼らを見捨てなかった。
市民の意思、テレーズの意思。グリンヒルの意思を目の当たりにしたは、ついに動いた。
愛おしそうにテレーズを見つめるを見、漸くフリックは理解した。
違かっただけなのだ。
自分の役目でなかっただけなのだ。
同じ傷を持つ自分ではなく、純真無垢に彼女を愛したこのグリンヒルが、テレーズが、その役目を負っていたのだ。
という歴史を、動かす役目を。
「ねえ、フリック・・・」
目の前で起きていることに対し何も手出しが出来ずにいるのは、もちろん彼らが現時点では無関係者であり、適任者ではなかったからだ。
それでもリオウは、何も出来ず手駒めいていることに耐えきれなかったらしい。事の成り行きを黙って見ていたフリックを何か云いたげに振り返った。
しかしフリックは、言葉を続けることを許さなかった。
「大丈夫だ。黙って見てろ」
「でも!」
食い下がる。
その気持ちはわからないでもない。
が、相手はグリンヒルであり、王国兵であり、何より一番重要なのはなのだ。
彼女がこうして表舞台に出てきたからには、少なくとも自分たちの害になることはない。
まして彼女はグリンヒルを愛しているのだ。例えにその気がなくとも、テレーズやグリンヒルを護るということは新同盟軍の有為になるには違いない。
リオウにはわからないだろう。これは、かつて死線を共に戦った経験があるフリックだからこそ、そして、という人物を少なからず知る彼だからこそ持てる確信なのだから。
だからこそ余裕綽々に傍観に回っているわけだが、何も知らないリオウは気が気でない。
確かに、見た目だけなら華奢で可愛らしい女の子、着飾って黙っていれば深窓の令嬢でも通りそうな容姿をしているので無理もないかもしれなかったが、しかしなのだ。理由などそれだけで充分だ。心配などするだけ損なのだ。
今後のためにもリオウには軽く話しておくべきかとも思ったが、ラウドの爆弾発言を皮切りに不気味に笑い始めたを見、その必要はないと悟った。
百聞は一見に如かず。
要は、口で云うよりも見たほうが早い。
尚もフリックに食い付こうとしていたリオウも、軽快でありながら低く爆笑を続けるにぎょっとして言葉を失っていた。
若輩者のリーダーの反応にフリックは思わず苦笑した。恐らくリオウも、まんまと見た目に騙されてに夢を見ていたのだろう。
しかし、これだけでは終わらないのがである。こんなもの、まだまだ序の口なのだ。
唖然とするリオウに、フリックは笑いを噛み殺しながら云った。
「まぁ、もう少し見てろよ。面白いのが見られるぜ」
が王国兵を笑顔で振り返ったのは、この直後のことである。


自らを手練れの王国兵と自負する男たちが、揃いも揃ってぽかんと口を開けて固まっている様子は、どこが間抜けで奇妙な光景だった。
今、あの少女は一体何と云った?
いきなり笑い始めたかと思いきや、振り返り、もしかしなくとも自分たちを馬鹿にしたのだろうか。自分たちは馬鹿にされたのだろうか。
言葉を失っている王国兵などまったく気にせず、軽蔑を隠さず、しかし極上の笑顔で、は続けた。
「身の程知らずってこのことよね。あんたら一体誰に向かってものを云ってんのかしら。よりにもよって、ガキ?小娘?それ、もしかしなくとも私のことよね?正直云うと若く見られるのって嫌いじゃないけど、ガキだの小娘だのは頂けないなぁ。せめてお嬢ちゃんとか云えないの?まったくデリカシーのないガキですこと!」
あまりにさらさらと淀みなく、虚勢や恐怖の類いの感情など見せずに、本心から軽蔑し呆れている目の前の少女を、誰もが驚愕の目で見つめた。
何が何だかわからない王国兵たちも、ひたすら絶句している。戦意があるかどうかも怪しい呈で、ぽかんとしているのだ。
市民やリオウたちは、唖然とする一方では酷く焦っていた。いたずらに王国兵を刺激するのがまずいことだというのは誰だってわかっていたのに、だからこそ今まで抵抗らしい抵抗をせずに王国の圧力を甘んじていたというのに、今この状況で一体何をしてくれているのか。
特にリオウなどはこのあとのことを考えて真っ青になって狼狽えている。辛うじて自分を保っていられるのは、傍らに立つフリックが平然としているからだ。もし彼がいなかったら、本能のままに王国兵たちの前に飛び出していただろう。
大きく呼吸をしながら、を見る。
大勢の王国兵を前に、泰然と立つ彼女。その後ろ姿には恐怖など一切見えず、むしろある種の喜びさえ見出だせた。
敵を前にして尚、多勢に無勢を知って尚、その態度。
リオウは直感していた。
そう、あれは、強者の。
と、そのときだった。漸く何を云われているのか理解し始めた王国兵に、どっと殺気が溢れ始めた。
特にラウドなどは顔を真っ赤にしてブルブルと肩を震わせている。余程腹が立っているらしい。彼持ち前の人を小馬鹿にした皮肉も出てこないようだ。
何度も口をパクパクとさせてから、乾いた声で、遂に怒鳴った。
「射て!!!!」
弓矢を構えていた部隊への指示だった。
徐々に体制を整え始めていたラウドの部隊は、まず左右に牽制の意味も込めて弓矢隊を、中央に剣隊、後方支援に槍と魔法隊を配置していた。
狭い場所なのでやりにくいことは変わらないが、そこは日頃の訓練がものを云う。場所が狭くて負けました、なんて言い訳は言い訳にもならないのだ。
かくして勢いよく放たれた矢は、を目掛けて一斉に飛び交った。数はそこまででもないが、後ろにいた市民のほうにも流れ矢が飛んでいる。
とたんに公園には悲鳴が響き渡り、混乱が起きた。
間に合わない。死ぬ。
誰もがそう思った。だいたいこの至近距離で矢を放たれて逃げられる人間などいるはずがないのだ。しかも牽制ではなく直接人間を狙う辺り、王国兵の残虐さが見てとれる。
ところが、一瞬で目の前まで迫ってきていた矢は、誰のことも射抜かなかった。もう駄目だ、と矢の先にいた市民は思わず目を瞑って衝撃を待ったが、いつまでまっても予想した衝撃は襲ってこない。
恐る恐る目を明けてみると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
つい先程まで空を切っていた矢は、一本残らず、空中に静止していたのだった。
またしても絶句するしかなかった。
有り得ない。こんなことは、有り得ない。飛び交う無数の矢を、すべて確実に停止させるなど。
しかしこれは現実に起こっている。
なぜ?
誰が?
考えるまでもなかった。
「―――愚か」
愉快そうな笑顔から一転、ひんやりとした冷笑を口元に浮かべたが、右手を前に突き出していた。丁度、紋章を使うときのように。
呆気に取られたのも束の間、ハッとしたラウドは戸惑いながらも次の指示を出す。腐っても隊長、と云ったところだろうか。
「・・・・・・っ!?だ、第1班!あの小娘を抑えろ!!」
「だから、小娘じゃねぇっての」
苛立たしげに呟いたの台詞をラウドは聞いていなかった。聞いている余裕がなかったのかもしれない。どのみち、にはどうでもいいことだったが。
ラウドの指示を受けた第1班とやらは、弾かれるように剣を構え直し、地面を蹴る。目掛けて突進した。
まだ先程の衝撃から立ち直れずに突っ立ったままでいた市民たちも、こうなってはさすがに逃げ出さずにはいられなかった。何しろ手練れの王国兵が剣を掲げて向かってくるのだ。素人なら怯えるのは当然だった。
戦い慣れた王国兵は、瞬く間にに接近し、身動きが取れないよう包囲してしまった。しかしは慌てず騒がず、王国兵が自分を包囲する様子を他人事のように眺めている。手には、相変わらず布に包まれた何かを持っている。
このときリオウは形振り構わずを助けに飛び出そうとしていた。確かに、この様子は彼女に絶望的であるかに見えた。
だが、違う。
フリックはを知っていた。だから、勇んで飛び出そうとした若きリーダーを止めたのだ。
「フリック!?このままじゃ、さんが!!」
「大丈夫だって。いいから、もう少し待ってろ」
「さっきからそればっかりじゃないか!さんが大変なのに、よくそんなこと云えるね!?」
ここへ来てから何も出来なかった焦りや不安、そして目の前で展開される出来事への衝撃が爆発したかのように、リオウはフリックに食らい付いた。
しかしフリックにはこのあとが予想出来ていた。
だからこそ、リオウを止めたのだ。
理解出来ないと云うようにフリックを睨み付けたリオウを冷静に見返し、云う。
「あいつの足手まといになりたくなけりゃ、まだ動くな」
「え―――・・・?」
そのとき。
ブワッと、一陣の風が吹いた。
強烈な、風。
そして空を、一枚の布が舞っていた。
それは先程までの手にあった布。
何かを隠すかのように、が持っていたもの。
追うように大勢の視線を集めたそれは、空の彼方に消えていった。
そして衆人の目は、再び、へ。
は変わらずにそこにいた。王国兵に囲まれ、剣を突き付けられた状態で。
変わっていたのは、手にあるものだ。
彼女の手には、今やあの布はない。
今、彼女が手にしているのは、赤い―――朱塗りの、一振りの棍だった。
そして。
おもむろに軽く身を屈め、一閃。
予想外の攻撃に、王国兵たちはなす術もなく残らず吹き飛ばされた。
「な―――・・・」
ラウドはこれでもかというほど大きく目を開け、顎が落ちそうなほど大きく口を開けた。
今彼女が何をしたのか。
よく見えた。
棍を振るったのだ。
たったの、一度だけ。
軽くいなしたのだ。少なくとも、そう見えた。
しかし、軽くというには些かお転婆がすぎるくらいの威力があっただろう。小柄とは縁のない王国兵が、ああも易々と吹き飛ばされたのだから。
当のは、何でもないような涼しい顔でこちらを見ている。
睨まれているわけでもないのに、視界に入っていると気付いた瞬間背筋に強烈な冷たさを感じた。
恐怖。
しかし胸中に芽生えたその感情を認めるには、ラウドや王国兵のプライドは高過ぎた。知らずに震え始めた身体は、武者震いなのだと云い聞かせる。
今やグリンヒルすべての注目の的となっているは、自由になった――包囲されていたことが不自由だったのかはわからないのだが――その身をゆっくりと動かす。
ひゅん、と一振り。
まるで市民を護るように、王国兵の前に立ちはだかる。
その動きにはどれも隙はなく、無駄がない。
洗練された、戦士の動きだった。
「市民を傷付けることは、もはや私が許さない」
凛とした声が響く。
聞かずにはいられない、聞かなくてはならないように思わされる、声。

「私は傍観者にして当事者。死を忘れた冒涜者。運命の輪より外れし存在。世界の理を紡ぐ者。すべてを知り、すべてを構築する細工師。この地を踏みにじる愚者たちよ。私の間合いを汚した侵入者たちよ」

朗々と紡がれた言葉を、黙って聞いていた。
面倒見のいい、ニューリーフ学園きっての天才はどこにもいなかった。
そこにいたのは。

「―――が、相手になろう」

かつて孤高の女神と呼ばれた、誰より気高い人物だった。










-----------------------

長い