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あなたが優しいのは、"私"だからじゃない。 私が"生徒"だからだ。 あの人にとって自分はただの生徒でしかないのだと気付いたとき、絶望した。 あの優しさは決して私個人だけに向けられるものではないのだと知ったとき、この世の総てが無意味なものに見えた。 冬の終わり、雪解けの頃。 私は学園を脱け出して、町を歩いていた。授業をサボるだなんて、入学して六年目にして初めてのことだ。多少の後ろめたさはあったけれど、どこか心地良い開放感があったのもまた事実。 戻ってからのお咎めは考えないようにしながら、私は久々に訪れた市を楽しむことにした。 「お嬢ちゃん、簪ひとつどうかいね?」 道すがら、煌びやかな簪を並べる親父さんに声をかけられ足を止める。近付いてみると、親父さんは嬉しそうに云った。 「いい品があるんだ。お嬢ちゃんみたいな可愛い子につけてもらいてぇなぁ!」 「いやだわ親父さん、どうせいつもそう云って売るんでしょう?」 「ははは、ばれたか?いやしかし、これはお嬢ちゃんに似合うんじゃないかと思って思わず声をかけたんだよ」 これさ、と親父さんが私に差し出した簪は、たいそう綺麗な作りをしていた。シャン、と飾りが揺れると、キラキラ光に反射する。思わずため息が出た。煌びやかではあるが、嫌味ではない。地味な着物にも合いそうだし、明るいものにも似合いそうな代物だった。 このとき、ふと、あの人の顔が浮かんだ。 市を歩いている間は一度も思い出さなかったのに――或いは、思い出していないふりをしていただけかもしれないけれど――、どうしてか、この簪を見ているとあの人の笑顔が頭を過ぎった。 「どうかしたかい、お嬢ちゃん?」 簪を見つめながら黙した私を不思議そうに問うた親父さんにハッとして私は我に返った。急いで頭の中にいるあの人を追い出す。考えない。少なくとも今は考えるものか。 心中そう云い聞かせて、へらりと笑って親父に云った。 「これ、くださいな」 「え?あ、毎度!」 何故だかどもりながら、親父さんは簪を包んでくれた。 お勘定してその場を離れようとすると、親父さんはこう云った。 「その簪、そんなに気に入ったかい?」 「え?」 「何、あんまりにこにこするもんだから」 確かに上物ではあるし売っといてなんだけど、そんな顔されるとお嬢ちゃんに買ってもらってよかったと思うね。 一体私はどんな顔をしていたのか、とっさにパッと両手を頬にやっていた。その様子を見た親父さんは更に笑う。なんだか私は恥ずかしくなって、からかわないでください、とぶっきらぼうにツンと云った。 「すまんすまん、お嬢ちゃんが嬉しそうだからつい」 その言葉に私は驚いた。 どうやら私は嬉しそうに見えるらしい。 この私が。 「・・・・・・好きな人を、思い出したんです」 キラキラとした美しさの向こう側に見えた、優しいあの人の笑顔。 思い出すものかと自分に云い気かせても脳裏を過ぎるあの笑顔。 叶わないと知っていながらも捨てられない想いを抱き続けている私が、嬉しそうに見えると云う。 そうなのかい、と微笑む親父さんは、最後に云った。 「お嬢ちゃんに幸せがありますように」 ありがとう、と微笑んで私は今度こそその場を離れた。 雑踏に紛れて親父さんから私の姿が見えなくなったころには、もう私は走り出していた。その足は忍術学園へと向かっていて、漸く自分が帰り道を辿っていることに気付いたのは、学園に続く細道の最後の分かれ道でのことだった。 親父さんに他意はなかっただろう。あったのは、簪を買ってくれた客に対する素直な感謝の気持ちと少しのお節介だ。 けれど、かけられた言葉はあまりに重い。 (幸せになんて、) 鈍くなった足取りは遂に止まった。 夕暮れとは云いがたい時間だけれど、まだこの時期日が暮れるのは早い。早く帰らなければ、と思う一方、帰りたくないとも思う自分がいた。矛盾した思いに、しかし勝ったのは後者だった。 (幸せになんて、) なれない。 だってこの想いが報われる日なんて来やしないのだから。 あの人は優しい。けれどそれは特定の優しさなどではなく、まんべんない優しさだ。私だけに向けられる優しさではない。 特別では、ない。 「・・・・・・不毛だわ」 ぽつり。 返事のない呟きをもらす。力ないその声は、しんとした林の中に消えていった。 わかっているのだ。あの人が私を意識して見てはくれないことなど、痛いほどわかっている。 それでもなお、この想いを捨てられないでいるのは。 「くん!」 ほんの少しだけでも私に向けられる優しさが、哀しいほどに嬉しいからだ。 「・・・土井先生、」 だから今はまだ、好きでいさせて。 この恋が叶わないことなんて、もうとっくに知っているから。 --------------------- 土井先生に片想い(*´∀`*) なんか土井先生は恋だの愛だのに興味なさそうですよね。まだまだ手の掛かる子供たちに夢中すぎて(笑)そして自分の気持ちにも自分を好いてくれる人の気持ちにも鈍感だから、結ばれない、 と。 そんな土井てんてーが大好きです(笑顔) |