ちょっと考え事をしていただけですぐこれだ。
神様、不運だ不運だと云われ続けた6年間だったけど、さすがにこれはないんじゃないですか?
実戦訓練は本当に久しぶりだった。ここ最近は新野先生と医務室の奥に籠って薬とか危険な薬とか、ちょっと下級生には云えないような薬をひたすら調合する日々が続いていたので、まともに外に出たの事態が久々だったのだ。
そんな時に呑気に考え事なんてしていた私も馬鹿だったけれど、それにしたって、こんなのってアリですか。
友人の声がした。学園に入学してからずっと一緒に勉強して、張り合った、親友。
腹部が、焼けた鉄を押し当てられたように熱かった。痛いかどうかなんてもうすでにわからなかった。
どん、という背後からの衝撃の後、カッコ悪く地面に倒れて。
起き上がろうとして、身体に力が入らなくて。
ゆっくりと手を触れてみると、ぬるり、と手に何かが纏わりつく。
のたりと首を動かして眼に映った掌は真っ赤に染まっていた。
ああ、矢を射られたのか。
案外と冷静でいられるもので、むしろ親友のほうが慌てていた。蒼褪めて何度も私の名前を呼ぶ。そんなに呼ばなくても聞こえているのに。大丈夫、聞こえてるよ。
ただそれだけなのに、云えなかった。
いつの間にか手足は石のように重くなっていて、自分の意思で動かすことは出来なくなっていた。ああ、なんて格好悪いの。
未熟ではあっても、私は医術を学ぶ身。自分の身体の状態を把握するのは難しいことではない。

―――私はもうすぐ、死ぬ。

幸か不幸か、ここは比較的学園に近い合戦場だった。新野先生を呼んでくる、と私を人目に付かない場所に移動させた親友は、涙で顔をくしゃくしゃにさせて姿を消した。
どう少なく見積もっても、ここからの往復では半刻はかかる。この出血ではそんな長時間持つはずがない。
けれど、もういいの、と口を開くことさえも億劫になっていた。
もう、いい。
もう、どうにでもなってしまえ。


*****


どれほど時間が経ったのかはよく分からない。意識に靄がかかり始めたころ、また私を呼ぶ声がした。
ただ、今度は親友の声じゃない。

「せんぱい」

閉じかけていた意識を揺さぶる、声。
伊作くん。
保健委員会の後輩。何の因果か歴代不運な生徒ばかりが選出されてきた保健委員の中で、近年最高の不運小僧とまで云われた、2つ年下の男の子。
とてもとても優しい子。

「先輩!」

―――死を悟った時、真っ先に頭に浮かんだ人。

「伊作くん」

人間と云うのは現金だ。
さっきまでは呼吸すらままならなかったというのに、途端に口は動くし、笑顔まで零れてくる始末。
唐突に、もうすぐだな、と悟った。
ざっと私の状態を見た伊作くんは見る見るうちに顔色を失くし、まるで世界の崩壊が明日だと告げられたかのように絶望していた。
やはり、新野先生や私が見込んだ通りだ。この子は成長する。
この子は今の一目で悟ったのだ。
私を生かす手立てがないことを。
私はもう、助からないことを。

「伊作くん」

「しゃべらないで」

それでも彼は諦めなかった。
矢は伊作くんが来る前に抜いてしまっていたために、貫通していた腹部にはぽっかりと穴が開き、止めどなく血が流れていたが、冷静に止血を始めた。酸素を含んで赤黒く凝固した血が、ぱりぱりと落ちる音を、私は聴いた。
伊作くんの手を、そっと握る。
ハッとしたように伊作くんは私を見た。その眼には、涙が溜まっていた。

「いいの」

「駄目です」

「だいじょうぶだから」

「何が―――…!!」

そんなつもりはなかったのに。泣かせるつもりなんて、なかったのに。
伊作くんは泣いていた。肩を震わせ、悲愴に顔を歪めて。

ああ、この子は。

「優しいね」

「優しくなんか」

「ねぇ、伊作くん」

涙声で、なんですか、と答える彼が、好きだな、と思った。
こんなときに。
こんなところで。

―――もっと早くに、気付きたかった。

「君は良いお医者様になれるよ」

重い手を、文字通り死ぬ気で動かして伊作くんの頬に触れた。涙で濡れた頬が、愛おしくて仕方がなかった。

「君ならきっと、だいじょうぶ」

ねぇ、泣かないで。
お願いよ、笑っていて。
ねぇ。


「さようなら」


ありがとう。

どうか君は、幸せに。






白い闇に包まれて
(死に逝く私に口付けをした)
(君が声をあげて泣いていた)