とても些細なことだったと思う。
例えばとっておきの饅頭を食べられたとか、貸してた本に落書きされたとか、そういうどうでもいいこと。
今となっては理由なんて忘れてしまったけれど、ともかくつまらないことがきっかけだった。

「で?先輩はいつまで意地張ってるつもりですか」

会計委員会の途中、丁度潮江先輩が安藤先生に呼ばれて席を外していたとき。
狙い澄ましたかのようなタイミングで私に声を掛けてきた三木ヱ門は、帳簿から目も上げていなかった。

「何の話よ」

「またまた」

その云い方が何だか含みがありそうなものだから、少しばかりイラッとした。

「全部お見通しみたいな云い方やめて」

「少なくとも、先輩よりはわかってるつもりですよ」

今日の委員会は出だしが好調だったのと、団蔵や左吉がいつも以上に頑張ってくれたおかげでもうほとんど仕事は終わっていた。
張り切りすぎたのか、自分のノルマを片付けた一年生2人は泥のように眠っている。普段は委員会中の居眠りなんて潮江先輩は許さないけど、今日は特別らしく、苦笑して毛布をかけていたのが珍しかった。
三年生の左門は未だに一心不乱に筆と算盤を弾いていて、周りがまったく目に入っていないようだ。まばたきしてるかどうかも怪しい。
だからこそ委員会の途中に委員長がいなくなっても困らないわけだけど、タイミングが悪かった。
三木はむしろこのタイミングを見計らったのかもしれないが、私にとっては最悪だ。
私の、ブレーキ役がいない。

「・・・何それ」

握っていた筆が、ミシリと音を立てた。これ、折ったら潮江先輩に怒られるんだろうなぁ、とどこか異様に冷静な部分の残る頭で考えながら、しかしだからといって、私自身が冷静になるわけもなく、口を開く。

「何が云いたいわけ」

言葉に棘が生える。
自覚はしていたが、それを抑えるだけの理性は最早ない。

「私は別に怒ってないし何とも思ってないしいつも通りよ。それを、勝手に周りが不機嫌だとかなんだって云ってるだけじゃない。そういうの、迷惑だ」

「そうですか?」

「そうだよ。だから、その云い方、どうにかならないの?すごくムカツクんだけど」

「へぇ。てっきり―――・・・」

一度言葉を区切り、そこで漸く三木は帳簿から顔を上げた。その目には不快などを移しておらず、胡桃のような綺麗な茶色が存在していた。
彼の目があまりに綺麗だから、私は無性に虚しくなってしまった。
イライラに任せて、まるで全部三木が悪いみたいな物云いをした。申し訳ない、と思うけれど、云ってしまった言葉は取り消し出来ないのが現実だ。
これが自己中心的な八つ当たりである自覚がある分、実は非常に居心地が悪い。
私って、後輩に八つ当たりする最悪な先輩だ。
普段から三木とは付き合いがあるからわかる。三木は、確かに時々暴走して問題を起こす子かもしれないけど、根はとても真面目で優しい。今だって、きっと私のことを気にかけて声をかけてくれたに決まっているのだ。
それを、私ときたら。
最低な態度しか取れなくて、何が先輩だというのだろう。
自己嫌悪に泣きたくなる。
でも、八つ当たりして更に泣くなんてそんなみっともない真似は、最後の矜持が許さない。
涙を堪えるために俯いて、歯を食いしばって拳を握り締める。
そんな私の拳を取り、三木はゆっくりと指を剥がしていった。手を見れば、爪の痕ついて赤くなっている。もしかしたら痕が残るかもしれない。
のろのろと顔を上げると、三木は子供をあやすみたいに私と目線を合わせて、にっこりと笑った。

「私はてっきり、食満先輩といつもみたいに話せないのが寂しくて仕方なくて八つ当たりしてるのかと思ってました」

絶句した。
綺麗な顔でなんてことを云うんだろう。
けれど、云われてハッとする。
その通りだ。
私は本当に、何かに怒って不機嫌だったわけではないのだ。
単に、寂しいだけだった。
理由さえも覚えていないような些細なきっかけで私と食満先輩は喧嘩をして、顔も目も合わせず、ほとんど声も聞かずに二週間が過ぎようとしている。
今まで当たり前にいつも一緒にいたのに、この二週間、身体の半分をどこかに忘れてきたみたいに虚しくて寂しかった。
自分が寂しいことが耐えられなくて、でもそれを認めたくなくて、八つ当たりしているように振る舞っていた。
最低だ。
まるで子供みたいだ。

「私に思いっ切り八つ当たりして、少しはすっきりしましたか?」

「・・・うん。ごめん」

「気にしないでください」

私も私のためにしたことです、と云う三木に首を傾げると、三木は困ったように笑った。

「先輩の機嫌が悪いと、下級生が怯えるんです」

「・・・ごめん」

そういえば、今日の委員会はやけにピリピリしてるな、と思ったのは、どうやら私のせいだったらしい。団蔵や左吉や左門には申し訳ないことをした。
咄嗟に謝ると、もう大丈夫ですね、と三木は云った。
確かに、三木に八つ当たりしたらなんだか胸のつかえが取れたみたいで、今なら先輩に素直に謝れる気がする。
何について何を謝ればいいのかはわからないけど、多分、一言ごめんなさい、と云えば、全部大丈夫な気がするのだ。

「三木、あんためちゃくちゃ男前だったんだね」

「今更ですよ。惚れないでくださいね」

「馬鹿」

笑うと、漸くいつもの先輩ですね、と三木は云った。
いつの間にかノルマを終わらせた左門が死んだように机に突っ伏していたので近くにあった毛布をかけてやると、寝言なのかよくわからないがありがとうございます、と聞こえた。
夜の帳はとっくに降りて、普通ならば就寝の時間。けれど。

「じゃ、あとよろしく」

「恙なく」

再び帳簿に向き合った三木はあっさりと答えてくれ、一応自分のノルマは終わらせていた私は席を立った。
向かう場所は、用具倉庫。
多分あの人は、そこにいる。そんな気がした。

「健闘を祈ります」

「あは、ありがと」






僕らの喧嘩





「行ったのか?」

「はい、先ほど―――お疲れ様です」

「おお。これ、安藤先生からだ―――ったく、本当に世話の焼けるやつらだ」

「その割に、潮江先輩って絶対あの人たちを見放しませんよね―――ありがとうございます」

「あー、まぁな」

「実は先輩のこと好きだったりするんですか?」

「田村。殴られたいか」

「冗談です」

何だかんだ云って、あの人たちは放っておけないとい話。










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思った以上に想われてる、お騒がせな2人。


20100620
20100824修正