走る、あの人のもとへ。






僕らの恋愛模様 3





くどいほどに叩きこまれた忍者の呼吸方法など、頭から零れ落ちていた。
こんなことではまたあの口煩い幼馴染にくどくど説教されそうだけれど、今はそんなことどうだっていい。
走る、走る。
先輩たちの長屋から飛び出して、私はひたすらに走った。
だだ広い忍術学園の、しかも探し人の基本捜索場所である自室以外を探さねばならないのは非常に骨に思えるが、そんなこともすっかり忘れていた。
走る。
本能のままに動き続けた足は、迷うことなくある場所に向かっている。

「、は・・・」

10分ほど走ったところで漸く足を止める。
用具倉庫。
きっとあの人は、ここにいる。
ばくばくと心臓が暴れまわるのは、走ったせいだけではなかった。
息を飲む。
十中八九、あの人はここにいるだろう。
南京錠が掛かっていないし、わずかに戸が開いていることからそれはほぼ明確だった。
食満先輩は、ここにいる。
わかっているのに、ここまで来て何故か足が動いてくれない。
さっきまでは先輩と話さなきゃならないというその一心で部屋を飛び出し夢中で走ってきたのに、いざ近くまで来て足がすくむなんて、情けない話だ。
どうしよう。
迷っている暇はない、本来なら今すぐあの倉庫へ飛び込むべきなんだと思う。
思うが実行できない。
ある程度の覚悟はしてきたつもりだが、本当にまったく取りつく島もなく相手にされなかったりしたらと思うと恐ろしい。
泣かない自信がない。
絶対泣く。
というかもう泣きそうだ。会ってもいないのに。
やばい。
最悪の想定しかできない。
泣きそうだ。
と、倉庫の入り口で立ち尽くしていると、まさかのこのタイミングで食満先輩が姿を現した。
そして。

「!?」

ぎょっとしていた。
それから慌てた様子で私に近寄ってきて、一度手を伸ばそうとして、けれど引っ込めて困ったように私を見ていた。
何だろう。
変な食満先輩。
さっきのように怒ったり怖い顔をするわけでもなく、ただ困惑したような顔の食満先輩を不思議に思い首を傾げて、私はそこで初めて気付いた。
どうやら私は、泣いていたらしい。
だから先輩は困ってしまったんだ。
申し訳ないことをした。
倉庫を出たらいきなり後輩が泣いていたんじゃ、そりゃあびっくりもするだろう。
慌てて涙を拭ったが、一度決壊した涙腺はなかなか元に戻ろうとはしてくれなかった。
次々と溢れだし、いくら拭っても涙が頬を濡らす。

「す、すみま、せん」

「いや・・・あのな・・・」

「ご、ごめんなさい、あの、すみません。出直します!」

「あ、おい!」

駄目だ、このままではまともに話なんかできない。
そう思い、とりあえずここは一旦部屋に戻って落ち着こうと先輩に背を向けた。
いきなり現れて勝手に泣いて即いなくなるなんて意味不明なことをしてしまったけれど、仕方ない。
内心非常に申し訳ないと思いながら走りだそうとして、それは出来なかった。
がっちりと、腕を掴まれていた。
ここには私と食満先輩しかいない。
ということは。
恐る恐る振り返る。
腕を掴んでいるのは、当然のことながら食満先輩だった。

「あ、あの・・・?」

「悪かった」

「え?」

「・・・悪かった」

謝罪の意味が、わからなかった。
今私が泣いているのは私の勝手だ。
何を云われたわけでもされたわけでもなく、自分の感情をうまくコントロール出来ない未熟な自分のせいなのだ。
だから先輩は何も悪くないのに、どうして私は先輩に謝罪されなければならないのだろう。
どう反応したらいいのかわからず黙っていると、ダァ!!っと先輩はいきなり奇声――失礼――を発した。

「悪かった!!!」

「せ、先輩っ?」

「俺がガキだった!自覚してる!でも」

何のことを云われているのかわからず瞬きを繰り返していると、突然先輩の大きな手が私の頬に触れた。
温かい手。
優しい手。
大好きな手。
叩かれたり殴られたり――勿論本気じゃない――するけど、同時に繋いでくれたり、撫でてくれたり、する手。
頬に触れられたのも、別に初めてじゃない。
初めてじゃないのに、何故か初めて触れられたような気分になったのは何故だろう。
ただ、不快じゃない。
くすぐったくて、ほわっとした。
うん、なんだか妙な気分なのに、どこかホッとした。
その手は暫く固まったあと、今度はまだ流れっぱなしだった私の涙を拭ってくれた。
するとどうだろう。
さっきまで自分で拭っても止まらなかった涙は、ピタリと止まったのだ。

「・・・悔しかったんだ」

すっかり涙が止まったことを確認すると、食満先輩の手はゆっくりと私から離れて行った。
それを寂しいと、哀しいと、そう思うことはきっと我が儘なのだろう。
渦巻く感情を無理矢理心の奥底に追いやり、私は食満先輩を見上げる。
一体何が悔しかったのだろうか。
そんな疑問を視線に込めれば、先輩はそっと目を閉じた。腕は、掴まれたままだった。

「俺が知らない時間を、文次郎は知ってるのかと思うと、悔しくて仕方なかった」

「・・・・・・・・・」

「俺が知らない時間を、文次郎と共有してるのかと思うと、悔しくて・・・どうしようもなかったんだ」

「・・・私と、文次郎が・・・?」

「・・・そうだ」

吐き出された苦いため息の意味を、私は必死で考えた。
何、どういう意味?
それは、まさか。

「・・・先輩・・・・・・」

「・・・なんだ」

心臓がまた跳ねまわる。
七松先輩に付き合って全力疾走した直後のような、激しい動悸。ともすれば食満先輩にも聞こえてしまうんじゃないかと思えるほど、ばくばくいっていた。
ごくり、とひとつ息を飲み。
云う。

「文次郎のこと好きだったんですか?」

「何故そうなる」

冷静に云われてきょとんとしてしまった。
え、今のそういう話じゃなかったの?

「だって」

「お前な!気付けよ!!」

「何に?」

「だから俺は―――」

と先輩が口を開いた直後だった。

―――ガチャーン!!!

用具倉庫から、けたたましい音が聞こえてきた。
沈黙。

「・・・中に誰かいるんですか?」

「・・・いや。片付けの途中で、外に人の気配がしたから出てきたんだが・・・崩れたかな」

「え、私のせい?」

「そう思うなら手伝え」

「えええー」

思わずいつも通りの反応をして、ちょっと、しまった、と思う。
だって私たちは、喧嘩じゃないけど仲違いみたいなことになっていたわけで。
でも。

「いいから、手伝え」

食満先輩も、いつも通りだった。
呆れたみたいに笑って、いつもみたいに手を差し出してくれた。
驚いて、その手を掴んでいいのか迷っていたら、どうやら食満先輩も無意識だったようで。
お互い困って視線を交わしたあと。

「・・・ぷっ」

「・・・ふふ」

笑った。
笑って。

「しょうがないなぁ、まったく世話が焼けるんだから」

「どっちが」

「さぁ。どっちも、かな?」

「何だ、それ」

隣に並んで、私たちは倉庫に向かって歩き始めた。
ああ、なんだ、もう。
なんて杞憂だったんだろう。
いつも通り。
あまりにも、いつも通り。

「手伝ってあげますから、今度餡蜜奢ってくださいね」

「嫌だ」

「やったーありがとうございます!」

「人の話を聞け!」

「ヨッシャーやる気出た、ほら先輩、ちゃっちゃと片付けちゃいましょう!」

「あ、おいコラ!!」

走り出したとき、私たちの手はもう繋がれていた。
いつもみたいに笑えば、いつもみたいに笑ってくれる。
杞憂。
元通りになったと、思った。
少なくとも私たちは、そう思っていた。
きっとまたこれからもいつも通りでいられる。

そう、思っていた。










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そして続き物ならではのイベントが起きるわけですよ


20110207