テヲトル




歩く、夜の道。
月の光は存外明るく、松明を使わずとも自由に歩くことが出来る。もっとも、やはり昼間に比べれば不自由ではあるのだけれど。
文次郎は数歩前を行くの背中をぼんやりと眺めながら歩く。ひたすら。かれこれすでに半刻ほども歩いただろう。時折鼻歌混じりに、上機嫌に歩くはどこか普段とは違って見えた。何が、と明確には云えないのだが、少なくとも文次郎の目にはそう映っていた。
ところで、こんな夜中に外に出ることは実習か余程の場合でないかぎり許されない。つまり、彼ら二人は寮を抜け出してきたのだ。その軽い罪悪感からか、文次郎は先程から落ち着かない。バレるとは思っていないが、なんとなく。
相変わらずは夜道を歩き、引き返す様子はみられない。
仕方なし文次郎は、、と呼んだ。



山沿いのこの小道は農道となっているのか、きれいに草が刈られていて歩きやすい。それに、近くに小川が流れているのかもしれない。さわさわと微かな水音が聴こえ、独特の水のにおいがの鼻をくすぐった。
ひんやりとした空気にさらされた肌が冷えるのを感じながら足を動かしていると、、と呼ばれた。
「なんだ?」
声の主は文次郎だ。散歩に行くと云ったら、俺も行く、と付いてきたのだが。
「まだ帰らんのか?」
この云い種である。は苦笑しながら答えた。
「先に帰っていいんだぞ」
「別に帰りてぇわけじゃないがよ」
「なら、あと少し付き合ってくれ」
笑って云い、または歩き出した。やはりどこか違う、と文次郎は確信に似たものを感じた。
軽い足取りは、必死にもがく姿を隠しているように見える。
笑顔は、まるで仮面を貼り付けたように見える。
それは勘だった。

「なんだ?」
つい先程と同じ返答。

「何があった」

疑問符を付けずに問えば、数歩分前を歩いていたの足がピタリと止まった。そのまま距離を詰めることなく、文次郎もその場で足を止める。
一度は俯き、それから空を見上げた。さらりと漆黒の髪が揺れた。
「今夜は、」
冷えた夜の空気というのはよく声が通るもので、小さな声でも文次郎の耳には届いた。吐き出すような、溜め息に似た呟きだった。
「満月だろう」
だからだよ。
間抜けな声を上げそうになったがそれは堪えることに成功した。変わりに疑問に眉間の皺が増したのは不可抗力だろう。
振り向かずとも文次郎の疑問を感じたのか、静かには続けた。
「あの日もこんな綺麗な満月だったんだ」
「……あの日?」
頷き、一呼吸おいてが紡いだ言葉に。

「私が家族を失った日」

文次郎は息を飲んだ。

「私がすべてを失った日」

目の前に広がる惨劇を今でも鮮明に憶えている。鼻孔を突く強烈な鉄の臭いと生臭さ、せり上がってくる吐き気。頬を伝った涙と自分でも驚くほどの悲鳴。

そして、月光を背に笑うあの男。

「……

あの狂気に満ちた目に映った自分はあまりに非力で無力すぎた。あの男の歪む口元を前に足が竦んだ。ガタガタと震えるそれを叱咤しても、結局は当時七歳の子供だ。自制心と恐怖心、どちらが勝つかなど考えるまでもない。



しかし必死で握った己の刀を遂に抜くことはなく、あの男が立ち去った後、伯父――現在の師匠――が訪ねてきた夜明けまで声が枯れるまで泣き続けた。
惨劇を眼にした伯父は何も云わずを抱き締め、が眠った後に遺体と血痕を片付けた。そのとき流したのは汗だけでないことをは知らない。



落ち着いてからを襲ったのは深い悲しみと憎悪の念。家族を亡くした途方もない喪失感、家族を奪った男への殺意。
どちらもどうしようもなく、拭い去れないものだった。
何故家族が殺され、自分が生かされたのかは知らない。けれど既ににとってそんなことはどうでもよかった。事実だけがあればいい。あの男が家族を殺した。それだけだ。そして自分は、その復讐をする。いや、復讐などではないかもしれない。これは精算だ。の過去に対する精算なのだ。
これから先、の生きる理由はそれだけなのだ。あの男を探し出し、この手で殺す。それだけがを生かす。そのためにその手がいくら汚れようと構わない。強くなるためならどんな犠牲も厭わない。

あの男を殺せれば、どうでもいい。

!」

肩を掴まれハッとした。振り返れば、普段の五割増しで眉間に皺を寄せている文次郎がいた。
「……驚いた」
「バカタレ、今完全に目ェ開けて寝てただろう」
器用なやつだ、と溜め息をつき、文次郎はの隣に並んだ。そうして見上げた満月は、一人で見上げたそれとはどこか違って見えた。不思議な気分だった。

「―――過去は戻らん」

果たしてそれはに向かって云っていたのか。にははかりかねたが、何も云わずただ隣で空を見上げた。
「しかし未来はいくらでも作れる」
もとから近くにあった手が、が肩を揺らしたことでぶつかった。
「俺たちがいるだろう」
文次郎の手は温かかった。

「俺がいるだろう」





(優しく繋がれた手が温かすぎて)

(武骨な手が優しくて)

(気付かれないよう俯いて、少し泣いた)










--------------------

潮江はサラッとキザなこと云いそう。つーか云われたい(真顔)