続くものと続かないもの、続けたくても続けられないものがある。痛感した。






雲間に咲いた、一輪の





 風が凪いだとき、名前も知らない花が一片舞った。美しかった。そう素直に思える自分がいることに、文次郎はこの上なく安堵した。思わずため息が落ちる。切ない。
 まったく自分に似合わない行動に小さく笑う。ただ、それを見て自分を馬鹿にする友人たちがもう傍にはいないことが哀しかった。
 あの頃はただ楽しかった。勉強して、修行して、笑って、怒って。そうして暇さえあれば馬鹿にし合って大騒ぎして。懐かしいと思う。感傷に浸るわけではないが、今はどうしようもなくあの頃が懐かしかった。
 彼らと別れたのは、つい先日のことだというのに。

「潮江」
「はい」
「行くぞ」

 次には返事をせず、スッと動くことで返答する。上司は満足そうに笑う。噂に違わず忍者しているな、と。
 学園にいた頃、自分の説明をされるときに必ずと云って良いほど『学園一忍者している男』と云われてきた。最初こそ微妙な心境になったが、気付いたときにはもう学園中に広まっており訂正するのも面倒くさかった。それにあながち間違ってもいないと思っていたので、最早文次郎の通り名となってしまった。もっとも、今となっては『学園一忍者していた男』なのだけれど。

 月は雲に隠れている。文次郎は素早くの上から飛び降りると、まず真っ先に目に付いた見張りに向かって手裏剣を投げた。八方手裏剣。毒が塗ってある。見張りは手裏剣に気付き、咄嗟に身を後ろに引いたが頬を掠った。たかだかこれくらいの傷、と思ったのだろう。ニヤリと笑った見張りだが、そのまま崩れ落ちた。毒が塗ってあったのだ、掠っても効果は絶大である。
 驚愕に見開かれた目は、何度見ても気持ちの良いものではない。文次郎は小さく舌打った。
 その間に上司は塀を登り、内部に進入する。驚くほど手薄な警備に、後を追った文次郎は呆れるしかなかった。大体、見張りを一人しか置かないという時点でもう諦めているしか云いようがない。
 あとはもう簡単だった。文次郎は天井から内部に入り込み、あらかじめ別の味方が取ってきた屋敷の見取り図通りターゲットの部屋の真上まで行く。上司は屋敷の裏手に回り、爆薬を仕掛ける。そして文次郎が目的の場所まで行った頃合に点火、騒ぎに駆けつけた使用人を引き付けている間に文次郎がターゲットを暗殺。至ってシンプルな作戦だった。何一つ失敗することなく、滞りなく事を進める。

 人を殺すのは、存外簡単なのだ。文次郎は思う。昔、学園の実習で初めて人を殺したときは正直吐き気に悩まされた。苦無で人の肉を裂く感触。血の臭い。断末魔。どれを取っても薄気味悪く、あの頃はきっと慣れることはないと思っていた。けれど、学園一忍者している男が聞いて呆れる、と自嘲していたのは遠い昔のことになってしまった。
 今は、先ほど自分はターゲットを殺すことに躊躇しただろうか。
 上司との待ち合わせの場所に立ちながら自問し、文次郎は頭を振った。いいや、躊躇などしていない。部屋に降り立ちターゲットを目に入れた瞬間、迷うことなく毒を塗った苦無を喉元に突き刺した。
 断末魔。
 苦しそうに己の腕を掴むターゲットを冷たく見下ろした。そうして思う。ああ、また簡単に死んでしまった。



『文次郎は優しいね』



 声が聞こえた気がした。振り向いても誰もいない。それ以前に自分の警戒線には何者も引っかかってはいない。
 心臓に悪い。文次郎は冷え切った空気をため息で動かした。寒い。
 目を閉じる。上司はまだ来ない。何をしているのだろう。



『文次郎は優しすぎるよ』



「ッ」

 誰だ。
 思わず口走りそうになって、踏みとどまった。
 誰だ、だと?そんなこと。



『だからズルイんだよ』



 頼むからやめてくれ。
 叫びたくなった。
 上司はまだ来ない。



『文次郎』



 ―――ああ、そうだ。

 彼女は学園を卒業したときに振った、大切な、本当に大切な人だった。
 けれど振ったのは自分。どうして、と訊かれれば、一体どう答えればいいのだろうか。
 離れても想っていてもらえる自信がなかった?いや、それならば振るはずがない。格好悪くてもギリギリまで手放さなかっただろう。
 では、どうして。



『文次郎の手は、』



 また声が聞こえた。鮮明に。あの頃のまま。自分に笑顔を向ける彼女を、もう数年前のことのように思い出した。鮮明に思い出せるのに、ほんの数週間前のことだというのに、まるで数年前のことのようなのだ。



『綺麗だね』



 そうだ。思い出した。どうして彼女を振ったのか。涙目でサヨナラと呟く彼女の背中を追えなかったその理由を。

 こんな風に汚れていく自分を、見られたくなかったのだ。
 血に塗れ、血に舞い、血を見る。
 忍者としてなら当然のことを、同じ忍者を目指していたはずの彼女には見て欲しくなかった。例え同職に就いていようとも、この姿を見て幻滅されることを、畏怖されることを文次郎は恐れた。何より誰より愛しい彼女に、こんな汚い自分を見られるなど耐えられなかった。だから振った。とても、自己中心的な考えだと思う。でも。

 彼女は忍者にはならず、実家に帰って家を継ぐのだと云っていた。

 丁度良い、と。思って、振った。

 別れよう、と。笑って、振った。

 お前は家を継がなきゃならないんだから、お前には相応しい人がきっと現れるから。
 奇麗事を並べて、でもそれは結局すべて言い訳にしかならなくて。
 それでも云わずにはいられなかった。自分が正当化されることはないのに。
 わかった、じゃあ、サヨナラ。
 彼女は目に涙をためてそう云った。文次郎を罵ることなく、その場で泣き喚くこともなく。
 クルリと背を向けた彼女の背中があまりにも小さくて、思わず手を伸ばそうとして。慌てて引っ込めた。振った自分に彼女に触れる権利などない。

 なぜどうして今。
 ついさっき、人を、この手で殺してきたばかりだというのに、今。
 あの声を思い出す?あの笑顔を思い出す?
 これじゃあまるで、まるで。



『文次郎の手は、いつも綺麗だよ』




 ―――慰めを欲しているみたいじゃないか。





 上司が戻ってきたのと同時に、月が顔を出した。
 雲と雲の隙間から、まるでのぞき見るように文次郎を照らした。










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おおおお?おおおおおおお?(うっせぇ)
ちょ、まっ・・・_| ̄|○
ごめん文次郎が偽物お前一体誰なの・・・!!!(驚愕)

シリアス文次郎ってむずかしーですね。