月は雲に隠れ、灯を持たない外は真っ暗闇。
しかしてそんなものはには関係ない。暗かろうが明るかろうが、仕事をこなす障害にはなり得ない。
風が吹き抜ける。生温い、風が。
長い髪を靡くままにして遊ばせ、一度ゆっくりと眼を閉じる。
―――さぁ、仕事だ。
眼を開けていざ動こうとした瞬間、声がかかって踏みとどまる。








つよいひと





声の主は潮江だった。
潮江文次郎。忍術学園六年い組、会計委員長。学園一忍者していると評判の、男。実はと恋仲であることは、近しい友人たちしか知らない。

「文次郎、どうした」

「何、見送りだ」

「必要ないと云うに」

「知らん」

「ふふ、ありがとうと云うべきか?」

「いらん」

「・・・どうした、文次郎」

いつもと様子の違う潮江に違和感を覚え、は不思議に思って首を傾げた。
すると潮江は、憮然としたまま、一言。

「別に」

と云っただけだった。
機嫌が悪いようにも見える。
わけがわからず、はただ首を捻るばかりだ。
思えば先程ここに姿を現したときにはすでにこんな感じだったような気がする。となると、元から機嫌が悪かったのだろうか。
―――否。
何故かはわからないが、潮江はに憤っている。
いや、に、というより。



呼ばれて。

「なんだ」

答える。

「―――帰って来いよ」

そして、気付く。
潮江が憤っていたのは。

「―――ああ」

とある戦の、囮役。
依頼主の敵である兵を引っ掻き回して戦場を駆け巡る、極めて危険で、極めて重要な、そんな囮役。
この依頼と、二つ返事で応と答えた、対して。
そのどちらにも、潮江は憤っていたのだった。
潮江は優しくて、甘い。
学園一忍者しているなんてそんなの嘘だ。
誰よりも人間らしくて、誰よりも忍者らしくない。
こんな甘ったるい忍者は、どこにもいない。
潮江は強い。
けれど、彼は忍者に向いていないとは思う。
思いながら、笑った。

「明後日には戻る」

告げる。

「だから」

告げて。

「そんな顔をするな」

もう一度、笑った。
そんなを見、潮江は口を開きかけ、何かを云いかけ、しかし何も云わずに口を閉じる。
飲み込んだ。
云いたかった言葉も、告げたかった想いも。
いくらには忍者に向かないと思われていたとて、潮江は忍者であり、の理解者だ。さとくて、さとい。
わかっているのだ。
潮江の言葉は、任務の前には意味を為さない。
彼女は忍だ。
であり、忍。
一度受けた任務は、何があろうと遂行するのが、なのだ。

「行ってくる」

穏やかな笑顔のまま改めて云うを、潮江は静かに見つめた。
暗いというのに、潮江の目にははっきりとが映っている。
とびきり美人である意外は普通の少女な、こんな少女が、何故こんな過酷な運命を背負わなければならないのだろう。
世界は理不尽だ。
理不尽で暴力的で、凄惨でありながら滑稽だ。



呼んだ。
愛した人の名を。

「うん」

答える。
これから、死ぬかもしれないような危険な任務に出掛けるとは思えないほど、穏やかな笑顔を浮かべて。

「無事で」

ただの、一言。
潮江に告げらたのは、この一言だけだった。
その言葉を受けたは、驚いたように大きな瞳を何度か瞬かせたあと、ゆっくりと目を細めて。


「当たり前だ」


2日後、予定通りの時間に学園に帰ってきたは、ほぼ無傷に等しかった。










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最強忍者のヒロインと、潮江。


20100404