僕は彼女が嫌いだった。 僕は近藤さん程清廉な人に会ったことはなかったが、同時に彼女程滑稽な人にも会ったことがなかった。まるで存在ごと蔑むかのような眼で僕をみるくせに、彼女自身が誰より汚い存在で。過去を振り返らないなどと云えば聞こえはいいが、要するに逃げているだけだということに気付かない。なんと愚かで浅はかで醜いことか。結局は僕程聡明な人はいないのだ。その事実は少なからず虚しく、僕に僅かな落胆を抱かせる。これだから嫌なのだ、人と群れるのは。特に、この場所は――真選組は。 彼女は僕の半年前に真選組に入隊したと聞いている。 元攘夷志士。それが彼女の持つ唯一にして最悪の汚点だ。瀕死の状態で倒れていたところを近藤さんに助けられ、最初は真選組を潰してやる腹積もりで真選組に入隊したらしいが、近藤さんの真っ直ぐな心意気に惚れ込んでいつの間にやら本気で真選組になっていたという。馬鹿な話だ。こんな馬鹿げた話があるだろうか。敵対していた幕府側である真選組の大将に心酔する攘夷志士などお笑い以外の何者でもない。どうして彼女はそんなことにも気付かないのだろう。だから彼女は滑稽だと云うのだ。 僕は彼女が嫌いだった。 寝てもさめても局長局長と喧しく、何をするにも近藤さんのため。勿論彼女はそんなことを口にはしていない。けれどわかるのだ。行動の一つ、一挙一動から滲み出ているのだ、近藤さんへの想いが。他の連中にはこれがただの尊敬の念だと勘違いしているのかもしれない。しかし僕にははっきりとわかる。彼女の近藤さんへの想いは尊敬などではない。もっと云うなら尊敬していないわけではないが、違うのだ。これは。この想いは。あの、想いは。太陽のように眩しくて、月のように淡く、星のように輝かしい想いは。 「くん」 「なんでしょう、伊東さん」 「君は驚く程頭が悪いね」 「よく云われます」 「ならなぜ」 「でもね、伊東さん」 僕は彼女が嫌いだった。 彼女は周りを見ていない。これっぽっちも見ていない。何故なら彼女は照らされていないからだ。彼女はコチラ側ではなく、光源なのだ。自身が光るばかりで照らされることを知らない、照らすばかりで己をみることの叶わない人間だからだ。だから知らないのだ。彼女を見る周りの眼など。見えない彼女にとって、見えないものはないものと同じなのだから。 「あたしは馬鹿でいいんですよ」 「―――・・・」 「あたしは護れれば、それだけで十分なんです」 「・・・・・・護る?」 「ええ」 「近藤さんを?」 「第一には、そうですね」 「真選組を?」 「近藤さんを護るのと真選組を護るのは同義ですよ」 「では、何を」 僕は彼女が嫌いだった。 彼女の笑顔が嫌いだった。 「手に届く限りの総てのものを」 僕は彼女が嫌いだった。 諦めることを知らない真っ直ぐでひたむきで無垢な姿がやたらと勘に障った。 「護りたいんです」 僕は彼女が嫌いだったと思っていた。 「伊東さん」 そう思わなければいられなかった。 そうでなければ、 「伊東さん」 そうでなければ。 ―――押しつぶされていたに違いない。 ―――わかっていたから。 「―――あたしはあなたが嫌いじゃありませんでした」 ―――君に憧れ、いつのまにか焦がれていた自分自身に、気付いていたから。 だから僕は彼女を嫌いだと思い込むことで弱い心を守っていた。さながら甲羅に閉じこもる亀のように。 「伊東さん」 見ていないのは僕のほうだった。 ―――君は、ちゃんと僕たちをみていたのに。 「・・・・・・そんな顔をしてはいけない」 「だって」 「僕は裏切り者だ。近藤さんを殺そうとまでした」 「伊東さん」 「くんは覚えているかな。僕が君に頭が悪いと云ったことを」 「ええ、覚えていますよ」 「今更だが、あれ、撤回させてくれないか」 「伊東さん、」 「わかってたんだ、本当は。君は頭が悪いんじゃない。誰より高みにいたから、単に僕には理解出来なかっただけで」 「違う、伊東さんあたしは」 「真選組は今や君ありきだ。近藤さんに恥じない働きをしないとな」 「伊東さん」 「くん」 くん。 くん。 「すまなかった」 ―――僕は君を愛していたんだ。 |
僕は君が嫌いだった、の、逆
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(でも本当は誰より愛していた) -------------------- 近藤さんを見つめる君を見ていたくなかった。心が痛くてたまらなくなるから。思い知らされるから。 君の眼には、決して僕は映らないということを。 20110128 再録 |