人魚姫は愛を謳う





「失礼します」
2回ノックをして扉をあける。いつもならば明るく返ってくるはずの声はなく、室長室はしんとしていた。
頼まれていた書類を持ってきたのだけれど、室長不在ならばどうしよう。
一応重要な書類だから、出来れば直接渡したかった。急ぎのものでもあるので、室長を探しに行くのもいいが、多分ここにいないということはヘブラスカか大元帥に呼ばれているのかもしれない。
しかしどうしたものかと思いつつ、書類が山積みとなっている執務机に近付いてハッとした。
「―――…」
思わず息を止め、ぴたりと足も止める。
椅子に凭れかかり、室長が眠っていたのだ。
リーバーさんには云えないな、と思いつつ、そっと机の端に書類を置き、改めて室長を見た。最近根を詰めて働いていたこともあり、寝顔の顔色はあまり良くない。部屋に私が入ってきたことにも気付かなかったし、やはり相当疲れが溜まっているのだろう。
そういえばさっきジョニーさんが室長を探していた気がしたけど、どうにも起こすのは忍びない。よく眠っているのだ。
いつもリーバーさんから逃げ回っていて働いていないように見えて、実はものすごく大変な仕事をしていることは知っていた。勿論内容が難しいものもそうだけれど、室長の責任は、教団のすべてを左右するものがほとんどなのだ。その肩に圧し掛かる重圧は、きっと想像以上なのだろう。
だから実際、室長にはゆっくり眠る暇なんてないのだ。リーバーさんはわかっていて、一応体裁のために口煩く云っているだけで。
だから、今だけ。
だから。少しだけ。
私の勝手なエゴだけれど、休んでいてもらいたかった。
すると。
「あっ」
カクン、と室長の首が落ちた。起きるか、と身構えてそのまま待っていたが、どうやらまだ目は覚ましていないようだ。なんとなくホッとした。
しかし、ふと見ると、眼鏡がずり落ちている。そのままにしておいたらいつか落ちてしまいそうだ。
どうしよう。
そのままにしておくべきか、ちょっと動かせば外せそうなので外しておくか。
ぐるぐると考えた末、意を決して手を伸ばす。そっと眼鏡に触れ、ゆっくりと慎重に、起こしてしまわないように外す。
伏せられたままの瞼がぴくりと動いてドキッとしたが、どうにか無事起こさずに外してしまえた。
滅多に見ない室長の素顔に、なんだかとてもドキドキした。
まずい。
見とれている場合じゃない。
私にも仕事があるのだ。
ああ、だけど。

―――触れたくなって、しまう。

思わず手を伸ばしそうになった手を慌てて引っ込め、恥ずかしくなった。顔が熱い。多分今の私が鏡を見たら、そこには茹でダコがいるんだろう。
大きく深呼吸をし、気を取り直して白衣を脱いだ。それをそっと室長にかける。
「……お疲れ様です」
小さく呟いて、名残惜しさを振り切って、私は仕事に戻るべくラボへと戻った。


*****


参った。
寝たふりなんて、するんじゃなかった。
いや確かに最初はうつらうつらしてたけども、明らかに途中からは睡魔ではなく理性との闘いだった。
反則だ。
あんなの。
眼鏡を外されるときなんて、思わず目を開けそうになってしまったじゃないか。
ああ、もう。
本当に。

「……参ったね」










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ずいぶん昔に書いて放置していたものの発掘。
あれです、多分時期的にはクロちゃんとかの辺り。多分。もういつのつもりで書いたのかなんて覚えてない…!