己の無力さに泣くものかと、私は私自身の未来に誓った。






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乱太郎が泣きながら学園に帰ってきたときは一体何事かと思った。しかも全速力で走ってきたようで、かなりの疲労が見受けられた。
水を差し出し一先ず息を落ち着かせ、話を聞いてみるとまさに飛び上がるほど驚いた。
まさかが大怪我をして倒れただなんて。
しかも、乱太郎の話では種子島で右肩を二発撃たれ、更に貫通しなかった鉛玉を自らクナイで抉り出したという。見ていなくとも想像出来る。それでは出血は大量だろうし、傷口だって酷いことになっているはずだ。
未だに泣き止まない乱太郎を居合わせた三反田に任せ、自分はすぐさま治療道具の準備をした。仙蔵が私に知らせを寄越したということは、此方に来い、という意味だろう。人使いが荒いが、正しい判断だ。
荷物を背負い、乱太郎にはあとからゆっくり来るように声をかけ、一目散に海に向かった。
途中出門表のことで小松田さんに捕まりそうになったけれど、撒いてしまった。帰ってからがうるさいだろうがこの際構っていられない。そんなことよりもの治療のほうが大切だった。


海について浜辺で最初に目にしたのは、おびただしいほどの血の痕だった。一目で危険だとわかるほどの量だった。酸化が始まったようで、まわりが少し黒くなっているのが生々しかった。
一刻を争う事態なのに間違いない。止めていた足を再び動かし、水練館へと向かった。
館の戸を叩くと、青い顔をした鬼蜘蛛丸さんが出迎えてくれた。挨拶もそこそこに、早足に歩きながら口を開く。
「疲れているところ悪いけど、早速頼むよ」
「はい。容態は?」
「よくない。応急手当はしたが、いかんせん出血が多かった」
「わかりました。では、私が治療を」
「頼む」
恐ろしく端的なやりとりだったが、十分だった。
奥の部屋に近付くと、つんと鼻を突くにおいがした。鉄のような、錆のような。高学年になるにつれて慣れてしまったもの。血のにおいだった。慣れたとはいえ、いつまで経っても気持ちのいいものではない。
歯を喰い縛った。これは、の血なのだ。命を護るために流された、勇敢な血なのだ。
一時的な診療所となった部屋に足を踏み入れると、そこには館中の人間が集まっていた。みんなそれぞれ青い顔で落ち着かない様子だった。
無理もない。はこれまで無敵だった。向かうところ敵なしの、兵庫水軍の守り神だったのだ。
当然、が血を流して倒れるところなど見たことがなかった。ところが、無敵を信じていた守り神は、種子島に撃たれ、倒れた。その衝撃たるや。
とにもかくにも、治療をしなければならない。それにはこの部屋には人が多すぎた。
鬼蜘蛛丸さんに頼んで最低限の人払いをしてもらうと、室内に残ったのは兵庫水軍の主たるメンバーときり丸、しんべエ、仙蔵、それに文次郎だった。
兵庫水軍の人たちに軽く会釈し、仙蔵と文次郎に目で頷いた。心なしか、二人とも顔が青い。
戦場ではこの程度の出血はざらにあることだ。人が死ぬのも珍しくもなんともない。しかし、それとこれとは別の話だった。
仲間なのだ。友人なのだ。
何より、なのだ。
失うかもしれないと思ったら恐ろしくて堪らなかったに違いない。いくら戦場に慣れても、友人を失う恐怖に慣れることはないのだ。
「治療を」
「ああ」
「ですがその前に、第三共栄丸さん」
「なんだい、善法寺くん?」
いいから早くしろ、と云わんばかりの文次郎を手で制し、部屋にいる人を見回して告げた。
「治療は私が。補助は立花に頼みます。それ以外の方は、申し訳ありませんが退出を」
「なぜだ」
食い下がったのは案の定文次郎だ。極度の緊張と恐怖で苛つきが最高潮に達しているのだろう。目の下の隈をさらに濃くし、鋭く睨み付けられる。しかし残念ながら、全く怖くない。冷静に続けた。
「治療は私しか行えない。補助には一人いてくれれば十分だ」
「傍についているくらい構わんだろう」
「駄目だ。どうせお前がいても何にもならん」
「しかし」
「邪魔だ」
率直すぎる台詞だったが、こうでも云わなければこいつはここに居座るに違いないのだ。
溢れんばかりの殺気を隠しもしないでこちらを睨み付ける文次郎を、負けじと睨む。
「わかれ、文次郎。お前はが目を醒ましたらやることがあるだろう?」
「だが…」
「これ以上目の下の色を濃くしてくれるな。二人を頼む」
最後は小声で囁いた。
二人とは、きり丸としんべエのことだ。
まだ一年生なのだ。いくら一年は組が実戦経験豊富でも、こんな場面に遭遇したことなどないだろう。先ほどから固く口を閉ざし、顔色を失くしていた。
ちらりと二人に視線を投げた文次郎に、もう一度云う。
「頼んだぞ」
あとはさっさと背を向け治療を始めた。ここまで云えば、この男ならば未練がましく居座ったりはしない。
本当は文次郎もわかっているのだ。自分がいても何にもならないことを。
しかし、それで諦められるほど簡単な話ではなかった。理屈ではなかったのだ。
だからあえて辛い言葉をぶつけた。今の文次郎にはこれが一番手っ取り早い方法だったから。
しばらくその場に立ったままでいたが、その内二人を連れて外に出るのが気配で感じた。ちなみに兵庫水軍の人たちは、この間にそっと外に出ていた。ひとまずはホッとした。
そんなため息を横目にした仙蔵が小さく笑う。
「難儀だな」
「まったくだ。なんでああも頑固かな?」
「何せのことだからな。熱くなるのも仕方あるまい」
「まぁ、ね――仙、悪いけど綺麗な布とお湯をもらってきて。出来るだけ沢山」
「わかった。…そういえば、乱太郎はどうした」
「多分まだ学園。あとから来ると思うよ」
云い終え、ふぅ、と息を吐く。
眠るの顔色は悪い。呼吸も浅かった。
一度大きく深呼吸をし、呟いた。
「今、助けるから」
これは約束ではない。
誓いだった。


治療が終わったのは、空が蒼から藍色に染まったころだった。
多分これで大丈夫なはずだ。出血で失った血液は造血丸を処方し、傷口は縫い付けた。あとは、の体力頼みということになる。
肝心なことがしてやれない無力感は未だ拭えない。けれど出来ることはすべてやった。
余った包帯を握り締め、私は仏に祈るのだ。どうか彼女を生かしてくれと。
処置を終え部屋を出ると、待ち構えたように戸の前に立ちはだかっていたのは文次郎だった。
予想していただけに呆れてものも云えなかった。しかしその辺り、伊達に六年間同室の仙蔵は違う。呆れたのは同じだったが、冷静に言葉を発した。
「ご苦労なことだ。どれくらいいた?」
「半刻ほど」
「呆れるな。だいたい貴様、二人はどうしたんだ」
「疲れて隣の部屋で寝ている。…あれだけ気を張り詰めていたんだ、無理もない」
「そうか」
「伊作が来たからには大丈夫だと云い聞かせたら、漸く納得して眠った」
「ほう。さすがに信頼されているようだな、善法寺委員長?」
「よせやい」
からかうように云った仙蔵に、盛大に迷惑そうな顔を返してやった。
頼りにされては仕方がないのだ。特に、こんな場所では。
自分がいるから怪我をしてを大丈夫だという考えは、だいたいにして大間違いだった。私にも手に負えない怪我はたくさんあるし、治療の甲斐なく死んでしまった人も多くいる。
だから、安心して怪我などされては困るのだ。
それに、私のような人間は、怪我をしてからでないとどうにもできない。全てが後手に回っている。護ることが、出来ないでいる。
今回だってそうだ。治療は出来てもが失った血液を取り戻してやることは出来ず、ましてや受けた痛みを取り除いてやることも出来ない。
もどかしかった。悔しかった。どうしようもない憤りが身体中を駆け巡り、あの悲惨な傷口を見て胸が張り裂けそうだった。
恐らくは、鉛中毒を避けるために鉛玉をクナイで抉り出すという暴挙に及んだのだろう。その判断が正しかったのかは果たして一体疑わしい。
抉り出してから安静にしていたのならばともかく、仙蔵の話を聞けば、多少庇いながらであれその後も変わらず動き回ったという。
これでは本末転倒もいいところだ。
死ななかったのが奇跡といえる。幸いそうはならなかったが、もしかしたら左の肩から先は失うことになっていたかもしれない。
そう改めて考え、ゾッとした。のこともだが、その作業をする自分にもだ。どうやら友人を切り刻むことを嫌悪するだけのまともさは自分の中に残っていたようで、些か安心した。
「あまり気に病むなよ」
云ったのは文次郎だった。
「あいつの怪我はあいつの責任だ。…結局は俺たちがどうこう云える問題じゃない」
「文次郎……」
「それに、そんなことをあいつに云ってみろ。自分の不注意だと云い張るぞ」
「だがそれは乱太郎を護るためだったんだろう」
「そうだ。がいなければ今頃は乱太郎が床の上だったろうな」
事も無げに云う。しかし確かにその通りだった。が身を呈して乱太郎を守っていなかったら、横になっていたのは乱太郎だったのだ。
上級生が下の学年を護るのは最早義務だ。それはわかっている。
「……つくづく思うよ」
「うん?」
吐き出した息は重かった。それでも気分の重さは変わらない。
「私はきっと、忍者に向いていない」
云えば、文次郎と仙蔵は顔を見合わせ、こちらに向きなおって異口同音に云った。
「何を今更」
素晴らしき我が友人である。


結局この日、は目覚めなかった。
疲労と衰弱が合わさって、体力も免疫も落ちきっているのだろう。今何かの病気にでもかかったら、それこそ命取りだ。夜が更ける前に学園から帰ってきた乱太郎に補助を頼みながら、懸命にに付き添った。
「伊作先輩」
「うん?」
「お訊ねしてもいいですか?」
私が海について二度目の晩のことだった。
一緒に看病に当たっていた乱太郎がおずおずと口を開いた。まるで訊いていいものなのかと考えあぐねているようでなんだかおかしかった。
笑いを噛み殺しながら先を促す。
「なんだい?」
「先輩は、……」
口ごもる乱太郎はどこか悪戯をみつかった子供のようだった。
焦らせないように優しく促すと、やはり遠慮がちに口を開いた。
「先輩は、どうして忍者になろうと思ったんですか?」
この質問には些か驚かされた。よもや、こんなところでこんなことを訊かれようとは。
しかしそんなことはおくびにも出さず、答えた。
「私の家は、代々医者なんだ」
「はい。以前お聞きしました。だから、普通ならば先輩も医者になるものだと思ったんです」
「そうだね。多分、それが本当に普通なんだ」
では何故、と純粋に疑問に思っているのであろう瞳が問いかける。数年前の自分もこうだったのだろうか。考えて、やめた。どうせすべては過去のことだ。
確かに改めて考えると、私は少し変わっているのかもしれない。医者の家系に生まれ、普通ならばそのまま医者の道を歩むべきだったはずの人生。しかしそうしなかったのは私の意志だ。
医道を志しながら、私は単に医者になることを拒んだ。今考えてみると、きっかけは些細な反抗心だった。
家系を十代遡っても、私の家の家長は医者だった。中には辺り一帯を納める城主専属の城医になった者までおり、実は意外と凄い家系の生まれでもあるらしい。
その話を初めて聞いたのは十年前。当時私はわずか五つ。長男として、善法寺の跡取りとして、ほんの少し自覚が芽生え始めた頃だ。
医者になることには何の疑問も抱いていなかった。物心がついたころから、お前も先祖のような、父のような医者になるのだと繰り返し聞かされていたし、父や父を手伝う人たちを見て、いつか私も、と思ったのは決して他人に云われたからではない。
しかし、七つになった頃、ふと思ったのだ。
町には医者がいる。城にも医者はいる。
それでは、戦場には?
自慢ではないが私は昔から勉強熱心だった。純粋だったのだ。新しいことやわからないことを学び、それを自分の身に付けることが楽しくて仕方なかった。それが医学関係のことでしか発揮されなかったのはまた別の話であるが。
実際を知らずとも、当時の私は戦場というものを話に聞いて知っていたから、ただふと疑問に思って訊ねてみたのだった。
戦場では血が流れる。傷付くことも死ぬことすらも、戦場ではありふれたこと。戦とはそういうものなのだ。
そんな戦場には、ちゃんと医者はいるのだろうか、と。
そして、母から返ってきた言葉を私は一生忘れはしない。

「戦場は死場所。あすこに要るのは人の為に死ぬ者たち。私たちの代わりに血を流すことが彼らの役目。死に役の者たちに、医者など必要ありません」

私は人を生かし救うのが医道だと思っていた。例え死に床にあっても、全力で命を捕まえるのが、医者の仕事だと。
それはつまり、戦場であろうと同じなのだろうと。
私は母が嫌いではなかったし、母の云っていることが間違いだとも思えなかったから、ただ口をつぐんで黙り込んでしまった。幼い私には完全には理解出来ない難しい話だと気付いたのだ。
しかし、それはあまりに哀しいことだと思った。戦場で彼らが血を流すのは民の為だ。即ち、私たちの為。そんな彼らを、いくら戦場にいるからといって、傷付いても何もせずに死なせてしまうのは、酷く哀しい。
今にして思えば、私が忍術学園に通うことを決めたのはこのときだった。
母が死に場所だと云った場所で、死を恐れずに血を流す者たちの為の医者になろうと、私は決めたのだ。


「先輩?」
どうやら知らない間に物思いに耽っていたらしい。ぼんやりとの横顔を眺めたまま黙り込んでしまった私を見つめ、乱太郎は不安げだった。
「ああ、ごめんよ」
「いえ。…やっぱり、訊かない方がよかったでしょうか……」
云うや、乱太郎はしょんぼりと肩を落としてしまった。思わず笑いながら違うよと云えば、乱太郎は不思議そうに私を見た。一体私はどんな顔をしていただろう。
そんなことを思いながら、云った。
「乱太郎はどうして保健委員になったんだい?」
「私は……」
「あ、そうか。強制だったっけ」
「うぅ、はい…。で、でも今は嫌じゃありません!やりがいのある委員会だと思っていますから」
慌てて取り繕うように云ったが、しかしこの子の言葉に嘘はないことを知っていた。最初は泣きそうな顔で出ていた委員会も、今では今日はどんなことを学べるのだろうと、キラキラした目で臨んでいるのだ。
その様子が五年前の自分に少しだけ似ているような気がして、なんだか微笑ましく思えていた。
「うん。いいことだね。最初と大違いだもの」
「せ、先輩!」
「ふふ、冗談だよ。でもね、私もそうだよ」
「え?」
首を傾げた乱太郎に、にっこりと笑う。
「私も、やりがいがあるから、ここにいるんだ」
医者という仕事の大変さは知っている。それこそ嫌と云うほど見てきた。
傷の手当をする。病の処置をする。時には死の淵にあった命を拾い上げ、時には苦渋を飲んで手放す。
救えない命を目の前にしたときの虚しさや無力感、自分に対する一抹の怒り。
すべてを知った上で、私はこの道を選んだ。
より多くの危険を伴うであろう戦場で医術を施すことを、私は選んだ。
町で医者をするのがつまらないとかそういうことではない。
ただ、医者など必要ないと母が云った場所で、生きる人たちのための医者になってみたかった。
救えないのは苦しい。けれど、自分よりも、苦しいのは本人だ。
今こうしての目覚めを待ちわびながら、一番苦しいのは一体誰か。
である。
彼女以上に苦しいものなどいない。私や乱太郎、文次郎の苦しみすらも、彼女の前では微々たるものだ。
医者はとても辛い。
私が選んだのは、忍の人生すべてと向き合う、そんな道だった。
「まぁ、本当は私が忍術学園に入る必要はなかったのかもしれないけれど」
それでも知っておきたかった。
これから先、自分が相手にする仕事の実際を、身を以て知りたかった。
「私は医者になるから、忍を知らなければならなかったんだ」
「医者になるから…?」
「そう。だって、戦場には医者が必要だろう?」
笑えば、小さな後輩はわからないと首を傾げた。
それを見て、私はまた笑う。
「いいよ。今はわかろうとしなくとも」
こう云ってはなんだが、私と乱太郎は似ている。顔とか性格とかそういうものではなく、根本的な部分が。
だからきっと、彼もわかる。
学年が上がるにつれて、戦場に出るにつれて、忍という生き物を知るにつれて。
多分、その中には知りたくもなかったようなことがたくさんあるかもしれない。けれどそれすらすべて知って欲しい。そうして、成長して欲しい。
「今にわかるよ」
だからせめて、今はまだ。


が目を覚ましたのは、一件の騒動から丸三日経った日で、その時もまたいろいろあったのだが、それはまた別の話である。










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長かったし最後どうしたらいいのかわかんなくなったので、丸投げしてみた\(^O^)/