ロドリオ村中の花屋で薔薇を買った。
真っ赤な薔薇。
あの人の育てる薔薇には適わないけれど、美しいこの花を両手一杯に抱き締めて、あの人のもとへ。






愛の花





「明日の昼は絶対宮にいてね。絶対よ!!」

そう念を押されたのは一昨日のことだ。
シュラとデスマスクが運悪く当日に任務が入ってしまったため、その夜は前祝いで力作のディナーを食べ、食後のワインを楽しんでいた。
やはりワインはフランスボルドーのものに限る。葡萄の風味が好みだ。
チーズもよく合う。ブルーチーズはあまり好きではなかったが、これは別格だった。
ちなみにこのワインとチーズは悪友二人からのプレゼントだが、ちゃっかり二人も食べている。プレゼントというよりは、自分で味わいたかったのだろう。ありがたいには変わらないので文句は云わないが。
未成年だからと、一口もワインを飲まないはキツいジンジャーエールを飲みながらチーズはつまんでいた。予想だが、きっと成人したら彼女は大酒飲みになるような気がしてならない。
ご機嫌に2切れ目のチーズに手を伸ばそうとしたは、そういえばと手を止めた。

「ディーテ、明後日は執務?」

「いや、休みだよ。丁度ぶつかったんだ」

「よかった。じゃあ、出掛けたりは?」

しないよね?と言外に云われている気がしてならないのだが。
わかりやすいのが可愛らしいと思いながら、やんわりと首を横に振った。

「折角の休みだ。宮でゆっくりするよ」

「ほんと!」

笑顔で答えれば、もパッと華やかな笑顔を咲かせる。馬鹿だと自覚はあるが、やはり可愛い。
頷きながらまた笑顔を返し、先程から無言な悪友をちらりと見れば、こちらの話題には口を挟もうともせず黙々とワイングラスを傾けていた。
それは私の物だと云ってやりたくなったが、何か含んだような笑みに引っ掛かって首を傾げる。
問いただそうかと思い口を開きかけたとき、じゃあ、といの呟きに思わず黙ってしまった。

「じゃあ、夕方は絶対に宮にいてね」

「そりゃあ、いると思うけれど・・・」

「薔薇園なんかも駄目だからね?ちゃんと宮にいてよ?」

「おやおや・・・」

びしりと指を突き付けられ、念を押されて驚いた。薔薇園も一応と云わずに双魚宮の一部なのだが。しかし今のにはその弁解は聞いてもらえそうにない。
両手で降参のポーズを取りながら、苦笑する。

「わかった。ではリビングで寛いでいることにしよう」

「絶対だからね?」

「ああ。だが、理由は聞かせて貰えないのかな?」

きっちり忠告したことで一安心したらしいは、ホッとしたようにジンジャーエールを口にしていた。
そこへこちらとしては当然な質問をすれば、は一度視線を宙にさまよわせたあと、にっこりと笑う。

「まだ内緒」

「明後日のお楽しみかい?」

「そう。びっくりしてもらいたいから!」

悪戯っぽく笑い、はチーズをかじった。
どうやら何か企んでいるようだが、一体何をする気だろうか。
だが今回はシュラもデスマスクも、当日は任務で聖域を離れる。つまり何かをするには一人だけであり、云えば悪友二人の協力を受けられない状態なのだ。こちらとしては、それだけで悪ふざけの可能性が格段に減るのでいいのだが。
ご機嫌になってジンジャーエールとワインを口に運ぶを微笑ましく、愛しく見つめながら、視界の端にはむさ苦しい男が二人。こちらの話題に興味などないようにワイングラスを傾けながら、その顔には何やら知ったような笑みが浮かんでいる。
面白くない。非常に面白くなかった。

「任務が長期になることを祈るよ」

「どういう意味だコラ」

「しばらく帰ってこなくていいという意味さ」

「手厳しいな」

「私の優しさはのものなのでね」

「あら嬉しい」

残り一つとなったチーズに手を伸ばそうとしていた卑しい蟹の前から皿ごと奪い、の前に置く。お食べと笑顔を見せれば、花を飛ばしながら頷いた。
恨めしそうにこちらを睨んでいるが、これは私がもらったものなのだから文句を云われる筋合いはない。というか少しは遠慮をしろ、と思う私は間違っていないはずだ。
デスマスクに問うても恐らく答えははぐらかされて茶化されて終わるだろう。なので一応の常識人、シュラをちらりと見ると、一度に視線を投げてから軽く肩を竦めた。知っているが、それはの云うように明後日のお楽しみにしろ、ということだろう。
シュラまでそうなら仕方がない。この二人が知っているのに私一人が知らないと云うのは面白いことではないが、それがから私へのプレゼントだというなら納得せざるを得ないだろう。
諦めて、二日後を楽しみにすることにした。

「では改めて」

話も一段落し、飲み物もそれぞれのグラスに入っているもののみになったころ、柄にもなく真面目な表情を作ったデスマスクが居住まいを正した。
それが完全に作り物な真面目面だとわかっているので腹立たしいやら面白いやら複雑だったが、全員がならってグラスを掲げた。

「我らが美の女神の生誕に、乾杯!」

「・・・馬鹿にしてるのか」

「褒めてんだろ」

「私は男だ」

「はいはい」

手元にあった薔薇を投げつけてやった。残念ながら避けられたが、蟹の頬には赤い線が引かれている。ち、毒薔薇にすればよかった。
は大笑いし、シュラは堪えようとして失敗して噴き出している。はいいが、シュラは後でおぼえてろ。
このあと結局、蟹が持ってきたワインをもう一本空けるまで飲んで騒いでそのままリビングで寝て、解散したのは朝になってからだった。いい加減女の子なのだから、いくら私たちとはいえ男の前で無防備に寝るのはどうなのか。今度じっくり話す必要がありそうだ。
そして、当日である今日。
私は云われた通り、リビングで寛ぎ、やってくるであろうを待っていた。
何をするのかは予想できないが、一人でやることなので悪いことにはならないだろう。
少し小宇宙を探ってみれば、どうやら今は磨羯宮の辺りのようだ。急いでいるのか、走っているらしい。
そんなに急がずとも、と思わず笑みが零れる。そうだ、きっと息を切らせてやってくるのために冷たいローズピップティーを用意しておこう。の好きなものだし、丁度昨日新しくブレンドしたものがある。彼女は喜ぶだろう。
の笑顔を想像しながらいそいそと準備をし、キッチンからリビングに戻ってきたとき丁度玄関から声がした。

「ディーテ!」

思った通り、私を呼ぶ声は弾んでいる。の体力でこの十二宮の最後であるこの双魚宮まで走るのは骨だろうに、きっと彼女は私のためになるべく急いで来てくれたのだ。
可愛いではないか。
そう思うと頬の筋肉が知らず緩んでしまうが、一度引き締めて玄関へ向かう。

「やぁ、来たね―――・・・」

と、扉を開けて、言葉を失った。
ふわり、と鼻腔を甘い香りが抜ける。
ひらり、と眼前を一片の花弁が舞う。
そして、視界を支配したのは、赤。

「アフロディーテ、誕生日おめでとう」

「―――・・・」

「私が初めてこの世界に来たときは、ディーテがこうして私に薔薇をくれたよね」

勿論覚えている。忘れてなどいない。
ついでに、その後のことも。

「あの時私は、そんなものいらないって突っぱねちゃったけど、すごく罰当たりなことをしたって今でも思ってる」



「本当に勿体ない事をしたって思ってるの。折角ディーテが丹精込めて育てた薔薇だったのに、思いっきり払い除けちゃって台無しにしちゃって」

・・・」

両手いっぱいに抱える真っ赤な薔薇に視線を落としながら、は云う。
あの時のことは忘れたことがない。
きっと喜ぶだろうと思って、薔薇園の中でもとびきり美人に咲き誇ったものばかりを選んでブーケにして彼女に差し出したら、真っ青な顔でそんなものはいらない、そんなものは持たないでと叫ばれた。
意味がわからなかった。
突然自分の世界ではない、よくも知らない世界に飛ばされた少女の気を少しでも明るくしたいと思っての気遣いが、むしろお節介になってしまったのだろうかと思った。
今にも泣き出しそうな顔をするくせに、決して涙は流さず、青い顔で、頑なに首を横に振る彼女が理解できずに苦しんだ。
けれど、しばらくしてその意味を知ったとき、あのときの自分を殺してやりたくなるほど恨めしく思った。
どうやら私は、の母にそっくりならしいのだ。写真なんかは持っていなかったので確認しようはないのだが、私をもっと小柄にして女性的にして、髪と瞳が濃茶で、泣きボクロが逆になったら殆どそのまま同じになるそうだ。
そこまでそっくりだと云われると非常に気になってしまうのだが、彼女の母を見ようにもそれは叶わない。ここがの住んでいた世界ではないから、というのもあるが、もうひとつ、動かしようがない事実がある。
の母は、彼女の眼の前で死んでいるのだ。
それも、あのときの私のように、両手にいっぱいの花束を抱えた状態で。
余所見運転の車にぶつかって即死だったという話だ。一瞬車にぶつかられたくらいで死ぬのか、と思ったが、それは聖闘士の常識であって世間の常識でないことくらい知っている。
恐ろしかっただろう。
知らない世界に飛ばされて、ただでさえ不安定になっているところに、目の前で死んだはずの母とそっくりな人が、死んだときと同じように真っ赤な薔薇を抱えて現れて、冷静でいられる人間はそう多くはないはずだ。
いくら知らなかったとはいえ、私は非常にまずいことをしたのだ。
随分あとになってそのことを詫びたとき、彼女は気にしないでと笑った。知らなかったのだから仕方ないと。いつまでも忘れられない自分が悪いのだからと。
はきっと、本当に私を恨んだりはしていないのだろう。それはわかる。
けれど、彼女が悪いなんて云うのは嘘だ。
普通、目の前で大切な人間を失って、そのことがトラウマにならないことはない。
だから彼女は悪くない。悪くないのだ。

「ディーテ、あのね」

顔をあげたは、真っ直ぐに私を見上げた。
今私は、一体どんな表情をしているだろうか。きっと情けない顔をしているに違いない。
そんな私の頬に、はゆっくりと手を伸ばして触れる。温かかった。

「私は嬉しかった」

「・・・・・・・・・」

「私の目の前で、私のせいで死んだ母さんが、また私の前で笑ってくれたような気がして」

「・・・・・・」

「同時に怖かった。恨まれてるんじゃないかって思って、怖かったの」

「・・・・・・」

「でもディーテは笑ってくれた。私に、笑ってくれた」

「そんなの」

「うん。なんでもないことだって云うよね。でもね、私は嬉しかったの。本当に」

柔らかく吹いた風が、薔薇の香りを舞いあがらせる。
まるで私たちを包み込むように、優しく香るその甘さは、涙が出そうになるくらい温かい。

「だから、私はあなたに謝らなくちゃいけない。あのときのこと、忘れてないのは知ってたよ。だってあれ以来、ディーテは私の前で薔薇は二輪以上手にしなくなったもんね」

「それは・・・偶然さ」

「出来すぎよ。意外に嘘が下手だね」



「冗談」

咎めるように呼ぶと、ふふ、と笑い、一度は腕の中の薔薇をいっぱいに抱き締めた。
そして、その真っ赤な薔薇を、私のほうに差し出した。
あのときの、私のように。

「私は、ディーテの薔薇が大好き。どこの薔薇園に行ったって、こんなに綺麗な薔薇はお目にかかれないわ」

「・・・光栄だね」

「本当だからね?ふふ、それでね、本当だったら一番大好きなディーテの薔薇が良いんだけど、ディーテが育てたものをディーテにあげるのはなんだかちぐはぐでしょ?だから、ロドリオ村にある花屋さんから赤薔薇を買い占めてきたの」

ちょっとした悪戯をしてきたかのようにこっそりと、そして楽しげにはウインクをした。
確かに彼女の云うことには一理あるが、それにしても、村中の薔薇を買い占めるのはやり過ぎな気がするが。
明日あたり、私の薔薇を譲ってくれと云う電報が届きそうだな、とぼんやり考えていると、は再び薔薇を見つめ、云う。

「あのときのことを、なかったことには出来ない。それは、私の母さんがもう戻ってこないのと同じように、現実だから」

一体彼女はどれだけ願っただろう。
永遠の眠りに就いた母が、再び眼をあけることを。
本来ならあってはならない死の克服。
肉体すら消失したはずの私たちは、しかし女神の力によって奇跡の復活を遂げた。
あってはならないことだった。
けれど現実、私たちは復活した。
それは彼女も理解していることだ。
同時に、願わなかったはずがないのだ。
私たちは復活した。
ならば母も、と。
普通なら、願わないはずはない。
けれど今の彼女はもう知っている。
それが叶わぬ願いであること。そして願ってはいけないことだと。

「なかったことには、出来ないの」

失った過去も。
傷付いた過去も。
全部があって、今がある。

「だからせめて」

ゆっくりと顔をあげ、数回瞬きをした後。

「幸せな思い出に変えたい」

の笑顔と、真っ赤な薔薇。
差し出されたそれを、私は受け取ってもいいのだろうか。
私のためであることは明白だ。
しかし私に受け取る権利など。
私の躊躇を読んだらしい彼女は、有無を云わさずその薔薇を私の胸に押しつけてきた。

、」

「馬鹿ね、ディーテ」

戸惑ってを見れば、彼女は呆れたように息をついた。

「間違えないでよ。これは誕生日プレゼントなの」

「しかし」

「ああ、もう頑固者!受け取りなさい!!」

まるで横暴である。
勢いで受け取ってしまったが、内心私は途方に暮れてしまった。
嬉しい。
彼女が私のためにと用意してくれたのだ、嬉しくないはずがない。
きっと彼女のプレゼントだったら道端の小石でも宝石以上の価値があるものになるだろう。
が、これは。
いくらいいのだと云われても、困ってしまう。

「あのね、私はもう大丈夫よ」

両手を腰に当て、軽く首を傾げて。
云う。

「わかってるでしょ?私は本当に、もう大丈夫。大丈夫じゃないのはディーテのほうよ」

「・・・私が?」

そう、と彼女は当然のように頷いた。
金色に輝く瞳は私を射ぬき、思わず呼吸を忘れた。

「過去は戻らない。母さんは戻らない。私はそれを受け止めてる。でもディーテは、自分が復活した事実に囚われてる」

「・・・・・・・・・」

「ねぇ、私は今が幸せだよ」

「・・・・・・」

「みんなが復活したの、嬉しくないはずないじゃない。しかも、今は三界がうまくやって、地上は平和そのもの。喜ばないわけがないわ」

「けれど」

「だけどこれ以上はあるの」

「、」

「ディーテ、これ以上の幸せはあるよ」

・・・」

「私はあなたが私なんかのことで過去を悔むなんて耐えられない。そんなの幸せじゃない」

「私は、」

「くどいようだけど、忘れてだなんて云わない。だから今日、今、この場で、薔薇と母さんの思い出を幸せなものに変えて頂戴」

お願いよ、と。
まるで子供に云い聞かせるような笑顔で云うものだから、心底私は自分が嫌になった。彼女にこんなに気を遣わせて、あまつ、それさえつい今しがたまで気付かなかっただなんて。
これでは、どちらが年上だかわからないではないか。

「・・・わかった。ありがたく頂こう」

ここまで云われて拒絶できるほど、私はわからず屋なつもりはない。
押しつけられた薔薇を抱え直し、改めてを見た。
可愛い
恋愛感情は、微塵もないけれど、愛しいと思う。
強くて、優しくて、でもとても脆くて。
そんな彼女が大切だ。
が望むのならば、出来ることはなんでもしてやりたい。
だから。

「・・・では私は、この薔薇のお礼をすることにしよう」

「だからこれは誕生日プレゼントだって・・・」

最後まで云わせず、畳みかけるように私は云った。

「薔薇があるんだ」

大きな瞳を更に大きくして、は黙った。
それを確認してから、にっこりと笑う。

「真っ赤な薔薇のブーケを、作ろうか」

もしかすると呼吸も止まっていたのかもしれない。
一時停止してから、大きく息を吸い込んだの顔はどんどん紅潮していって、そうして。

「―――うんっ!!」

嬉しそうに、笑った。










-------------------

超遅くなりましたが、アフロディーテ、お誕生日、おめでとうございます!!

力こそ正義だと、何の臆面もなくそう云い放つ彼は間違いなく聖域一の男前!
そして、そう固く信じる裏で誰よりサガの救済を願っている優しい人だと思います。
どんなに力があっても彼を救えるのは、もうここにはいないたった一人だとわかっている。でも救いたい。
そうやってもんもんしてるのが年中だと思いますが、中でも一番サガを大切に想っているのがディーテだと思ってます。はいはい妄想妄想^^^^

ちなみにここの話はすべて連載終了後、聖戦終了後の死亡組全員復活前提のお話です。ああ、早く連載本編書きたいな!ていうか書き始めてるんですが終わらない(´ω`)
いろんなものに浮気しつつ、頑張ろうと思います笑

では、アフロディーテ、本当にお誕生日おめでとう!大好き!!


20100313