激しい動悸、息切れ、たまにうっかり呼吸を忘れて怒張。
これ以上ないほどの緊張感に、アイオリアは本気で心臓が押し潰されそうだった。多分どんなに強い相手と対峙したときよりも強いプレッシャーを感じている。背中にも顔にも嫌な汗を掻いている自覚があった。
知らないうちに拳も思い切り握り締めていて慌てる。そこにはペラペラの紙切れが大事に握られていたのだ。
ぐしゃぐしゃになってはいたものの原型はまだ留めている。格好はつかないが、使えないことはない。
心を落ち着かせるために深呼吸、吸って吐いて吸って吐いて。

「はい吸ってー」

吸って。

「吐いてー」

吐いて。

「吸ってー」

吸って。

「吸ってー」

吸って。

「まだ吸ってー」

吸って。

「はいもっと吸っ」

「吸えるかぁッッ!!!!!」

なんだこれ。
新しい拷問か。






サクラサク





「大丈夫だよ、まだいける。諦めたらそこで試合終了だよ」

「何の話だ」

真顔ではい吸って吸ってと手拍子付きで云ってくるにアイオリアは軽い殺意を覚えた。男だったら完全に殴っている。
コロッセオ近くにある修練場から少し離れた場所にある、壊れた柱の影。2人はこんなひっそりとした場所にいた。
が、2人とは云っても、最初から2人でいたわけではない。

「というか、いつの間に来たんだ?」

吸って吸ってとまだ云っているの頬をつねりあげ――たら、ふぎゃ、と潰れた蛙みたいな変な声を上げた――、そういえばと思い出す。
元々はアイオリア1人だったのだ。
アイオリアはとある用事というか自分に課せた任務を遂行すべく、朝は早起きをして気合いを入れてこんなところに身を潜めていたのだが。
そこへは、何の気配も感じさせないままひょっこりと顔を出したのである。

「え、今更か」

「・・・・・・・・・」

「いやん、リア顔怖いっ。怒んないでっ!」

ぶりっこのように肩を竦めて手を口元に持っていって上目遣いで見られても、生憎アイオリアには通用しない。半眼になって軽くでこぴんをお見舞いしてやると――本気でやったら首がもげる――、痛い酷い!と睨まれた。人を非難する前に、自分がさっき何をしたか思い出して欲しい。素直に従っていた自分も自分だが、結構苦しかった。
基本的に女性には弱いアイオリアではあるが、何故かだけは初対面のときからなんともなかった。しかし決して女性だと思っていないわけではなく、『女性』というよりは『』だからなのかもしれない。新区分、。こんな感じだろうか。

「えーっと、来たのはね、リアが深呼吸始めるちょっと前くらいだよ」

まだ額をさすりながら、ちょっと涙目なは云う。

「何か下に用事でもあるのか」

「うーん、用事っていうか」

野次馬というか。
軽く言葉を濁しながら云うに、アイオリアは首を傾げた。
野次馬するような見世物は聖域にはないと思うのだが。
が、次にぼそりと告げた言葉に、また手の中の紙をぐしゃりと握り締める羽目になった。

「リアが魔鈴さんをなんて云って映画に誘うか、気になって」

何故ばれた。
なんだか変にひきつった笑顔を浮かべてしまったアイオリアであった。
思わず握り締めた紙切れ――何を隠そう映画のチケットをサッと身体の後ろに隠してみたが、すでにそんなことに意味はない。
明後日の方向を見ながら顔を赤くしているアイオリアを、は呆れたように見て云った。

「馬鹿じゃんリア。そのチケット買ってきたの、誰だと思ってんの?」

そう、である。
先日デスマスクとアテネの方まで足を伸ばすと云っていたに、ならばとある映画のチケットを2枚ほど頼むと云ったのは他ならぬアイオリアだ。
たじたじになりながら、アイオリアは往生際悪く言い訳染みたことを云う。

「し、しかし俺は魔鈴を誘うなどとは一言も・・・」

「馬鹿か」

吐き捨てられた。
すごい顔をしていた。
ちょっとトラウマになりそうな顔だった。

「魔鈴さんじゃなきゃ誰を誘うの、そんなラブストーリー」

「に、兄さんとかアルデバランとか・・・」

「気色悪い!」

「うっ」

「家族愛とか友情がテーマの作品ならともかく、ラブストーリーを、しかも結構こってこての純愛ラブストーリーを兄弟友人と観る成人男性って何!?ホモ疑うわよ!?」

苦し紛れに兄と友人を挙げてみれば、ざっくりと切り捨てられた。
確かに映画の内容が内容なのでの反応もわからないでもないし、アイオリア自身人選を間違えた気がしてならなかったが、それにしても酷い云い様だった。

「あのねぇ、悪いけどリアが魔鈴さんを好きなんてバレバレなの。魔鈴さんはどうか知らないけど、少なくともリアが親しいと思ってる人はみんな知ってるんだから」

初耳だ。
アイオリアは、今更なの!と云い切ったを呆然と見つめた。
そんな。
まさか。

「・・・・・・あんだけわかりやすい行動しといて、よく隠してるつもりだよね…」

本気だとしたらある意味尊敬はする。げに恐ろしき無自覚、だ。
驚きやら恥ずかしさやらで青くなったり赤くなったりはたまた白くなってみたりしているアイオリアを、はまるで可哀想な人を見る目でみた。呆れを通り越して、若干気の毒になってきたのだ。これがこれまでの人生を修行に費やした男の結果である。恋の聖戦にはびっくりするほど初心者、青銅どころか雑兵クラスだ。

「まぁ、そんなことは今どうでもいいの」

「よくない」

「まぁ、そんなことは今はどうでもいいの」

何で今2回云った。
思ったが、それはつまりつっこむなという言外の脅迫であることを悟ったアイオリアは、押し黙っての次の台詞を待った。
触らぬ神もとい、つっこまぬに祟りなし、だ。

「で、どのタイミングで声かけに行くの?」

それは今まさにアイオリアが考えていたことである。
今日、件の人物がこの修練場で後輩の訓練に付き合うことは、貴重且つ重要な2人共通の親しい知り合い、星矢から聞いていた。
咄嗟の勢いで映画などに誘おうと決め、チケットまで買ってしまったが、実のところどのタイミングで何と云ってどんな顔で誘えばいいのかさっぱりわからなかった。
何せ知っての通りアイオリアは今まで修行にばかり明け暮れていた朴念仁だから、気のきいた誘い文句など全く予想もつかないのだ。
非常に本当に心から不愉快極まりないが、こんなとき、ミクロの単位でデスマスクの甲斐性が羨ましい。デスマスクになりたいとはマクロの単位で思わないけれど。

「まぁきっと考えてないよね、リアだもん」

「・・・どういう意味だ」

「え、説明していいの?」

「やめてくれ」

きらりと眼を輝かせたに、アイオリアは問うたのは失敗だったことを悟る。きっと止めなければは嬉々として『どういう意味』かを説明してくれたことだろう。
そうなれば、魔鈴を映画に誘うという重要任務を遂行する前に倒れてしまう。主に心が。それは断じて避けたい事態だ。
チケットが無駄になるだけならまだしも、例え勢いであっても、アイオリアが魔鈴を誘おうなどと思ってましてやこうして行動に起こした勇気まで無駄になるのは虚しすぎる。

「とりあえず、私に考えがあるんだけど」

「なんだ?」

「任せてくれる?」

「・・・そうだな・・・・・・」

一体どんな考えなのかわからないことには任せるも何もないだろうと思ったが、どうせアイオリアは考えていなかったのでこのさいに任せてみることにした。
普段のからすると安心は出来ないが、他人の恋路を引っ掻き回すような性格でないことは確かだ。

「わかった、に任せてもいいか?」

「オッケー、じゃあちょっとここで待っててね!」

「は?あ、おい―――…!」

「大丈夫大丈夫!」

親指と人差し指で円を作り、にっこりと笑顔を浮かべたは、行ってきますと告げ柱の影から飛び出した。
向かった先は修練場。
魔鈴がいるであろう、修練場である。
焦って声をかけても、すでにの背中は遠い。しかもスキップしている。
不安だ。
どうにも不安だ。
やはりに任せたのはまずかったろうかと思っても、すでに遅い。の姿は修練場に消えていた。

「・・・・・・やっぱり帰るかな・・・」

ぼそりと。
呟き、ちらりと修練場の出入口、先程が姿を消した場所を見て。
次の瞬間、アイオリアは口から心臓が飛び出すかと思った。
出てきたのは、ではなく魔鈴だった。


*****


死んでもいい。いやまだ死ねない。
しかしそう思えるくらい、アイオリアは幸せだった。
何故なら、隣に、魔鈴がいる。
修行着姿ではない、私服姿。
ベージュのスラックスに黒のハイヒール、白と水色のストライプのシャツの上にはコバルトブルーのカーディガン。グレーのコートは椅子の背凭れにかけられている。
実に魔鈴によく似合うスタイリッシュな格好だ。
聖域では基本的に誰も修行着か聖衣でいるため、このように私服姿を拝めることはまずない。それこそ親しい付き合いがあり、一緒に出掛けたり食事をしたりすれば話は別だが。
云うまでもなく、アイオリアは魔鈴の私服姿など初めて見た。
それだけでも十分昇天物だと云うのに、今は、まるで自分に都合のいい夢でも見せられている気分だった。

「なんだか設定が無茶だったけど、ある意味面白かったね」

場所はロドリオ村の一角にあるオープンテラスのカフェ。

「シャイナなんかと来るとアクションが多いんだけど、たまにはこういう映画もいいもんだね」

現在、仲良くティータイムだった。
こぢんまりとした丸テーブルを挟み、向かい合って。
テーブルにはお洒落なティーセットと、数種類のスコーンとジャム。このカフェ自慢のメニューだそうだ。
お世辞にもこんな可愛らしいものはアイオリアには似合わないが、しかし魔鈴にはぴったりと似合う。魔鈴といえばスマートにスタイリッシュなものを連想しがちではあるが、こういう可愛らしいものも実はよく似合うのだ。決してアイオリアの贔屓目ではない。

―――これってデートみたいだ・・・。

誰が見ても完璧にデートだが、アイオリアは信じられなかった。
だって魔鈴が。
だって自分と。

「アイオリア?」

丁度昼からの上映時間を狙ってきたので、映画館はがら空きだった。特に並ばずとも良い席が取れて、2人は早々と腰を落ち着けた。多分このとき二言三言会話をしたと思う。
そして、時間になり、軽やかな音楽と共に映画が始まる。
が、アイオリアは内容など全く覚えていなかった。というか、そもそも映画に来たことすら忘れかけていた。
隣に魔鈴がいる、そう思うだけで緊張して、何も考えられなくなってしまったのだ。
いつ映画が終わり、どうやってここまで来たのかすら覚えていない。

「アイオリア!」

「っはッ?」

少し大きめの声で呼ばれ、ハッとして魔鈴を見る。すると、魔鈴は仮面の下で大きなため息を溢した。

「どうしたんだい、そんなにボーッとして?」

「い、いやその」

「眠いんだったらさっさと帰って―――・・・」

「眠くない!!」

寝たら、と続けようとした魔鈴を遮り、思わずアイオリアは声を上げた。
もうこんなチャンスは訪れないかもしれないのだ。
時間の許す限り2人でいたいと思うのは当然のことだった。
驚いたように動きを止めた魔鈴に、しまったと思いながらアイオリアは乾いた笑顔を浮かべた。

「リアは多分、どう足掻いてもリアだよ」

これは昨日、アイオリアに魔鈴という爆弾を投げつけてさっさと姿を消したを追って教皇宮に出向いた際、に云われた台詞である。
任せてくれと自信満々に胸を叩き修練場に姿を消したは、当たり前だが魔鈴に声をかけていた。
いつものように後輩指導をしていた魔鈴は、珍しく下まで降りてきたに首を傾げつつ素直に呼ばれるまま、軽く手を上げてのほうまでやってきた。
そして、笑顔で告げたのである。

「リアが待ってるから、ちょっと外出れない?」

まさかのまさか。
は適当な理由で外に連れ出すのではなく、あくまで事実を告げていた。
確かにそれなら一番手っ取り早く目的達成出来るが、なんというか、他にも云い方はあった気がする。
勿論がそんなことを云ってくれたとは思いもしないアイオリアは、魔鈴が姿を現した時点ですでに大焦りだというのに、

に、アイオリアが待ってるって聞いたんだけど」

どうかしたのかい、と首を傾げられて、思わず天を仰いでしまった。
あんまりだ。
それはあまりにあんまりだ、

「・・・用がないなら、私は戻るけど」

すっかり固まって動かなくなったアイオリアを不審そうに見、魔鈴はさっさと踵を返そうとしていた。シビアだ。たまらなくシビアな人である。
アイオリアはハッとした。の行動に半ば生気を抜かれている場合ではない。

「ま、待ってくれ!」

思わず手を伸ばし、魔鈴の細い肩を掴む。剥き出しの肌は柔らかく、温かかった。

「な、なんだい」

「あ、いや、その」

突然のアイオリアの行動に驚いた魔鈴は、若干引き気味になっている。よくない。
今アイオリアがしなければならないことは一つ、魔鈴を映画に誘うことだ。
片方の手に握り締めたチケットを差し出し、何か気のきいた台詞とともに誘えばいい。
だがしかし、その肝心の気のきいた台詞というのが全く浮かんでこないから問題だ。

「アイオリア?」

何も云えないまま、ついでに肩を掴んだまままた動かなくなったアイオリアを見る魔鈴は、どこか心配そうである。
いつでも男らしくはっきりしているこの男が、こうもはっきりしないのは珍しい。もしや重要な何かがあるのかと勘繰ってしまったところで無理もない話だった。
どうしよう。
どうしたらいいのだ。
アイオリアは考えた。
考えに、考えて。

―――ええい面倒、当たって砕けろ!


「明日、俺と一緒に映画に行かないかッ?」


何の捻りも、何の気のきいた台詞もなく、目的だけを簡潔に。
実に、簡潔に。
アイオリアは告げたのである。
これではに文句は云えない気がするが、今のアイオリアにそんなことを考える余裕などあるはずもない。
暫く――といっても実際にはほんの数秒だが、アイオリアには何時間にも思えた――2人の間に沈黙が横たわる。アイオリアにとっては、まるで断罪でもされるようで、恐ろしいことこの上ない時間だ。
ああ、どうして自分はこんな性格なのだろう。
呪ったところで今更どうにもならない問題である。

「―――いいよ」

やってしまっただろうか。やはり何か違う云い方をしたほうがよかったのだろうか。
と鬱々し始めていたところに、魔鈴の声。
アイオリアはきょとんとしてしまった。

「え?」

「映画。行くんだろ?」

「あ、ああ・・・」

え?
あれ?

「何時の上映に行くつもりだい?」

「あ、えーと、昼くらいなら空いてるだろうとが云っていたんだが・・・」

「じゃあそうしようか」

あれ?
これはなんだ?
思考が追いつかず、混乱する。
あれよあれよという間に待ち合わせの場所だとか時間だとかを決め、それが終わると魔鈴は颯爽と修練場に戻って行った。

「楽しみにしてるよ」

そう云い残し背中を見せた魔鈴を、アイオリアは呆けて見送ってしまった。
どう考えても今は魔鈴のほうが男らしかった。危うく惚れ直すところだった。いや惚れ直したには惚れ直したのだが。
とにもかくにも、これにてアイオリアの大勝負、魔鈴を映画に誘うという重要任務を成功させたわけである。あとは当日ポカをしなければ完璧、あわよくば想いを伝えられれば――怖いので結果は考えない――満点だ。

「ゆ、夢か、これは・・・・・・?」

なんだか信じられなくて、自分の頬を思いっきりつねってみた。痛い。どうやら現実らしい。
力いっぱいつねったのでヒリヒリしている頬を軽くさすりながら、暫く呆けていたのだが、不意に思い出す。
が戻ってこない。
あれから暫く時間が経っているし、そもそも魔鈴が外に出てきた時点では修練場には用はなくなったわけなのだが。
魔鈴を誘うことに必死になりすぎて、が出てきたことに気付かなかったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
だって修練場の出入口は一つで、そこは確実にアイオリアの視界に入っていたのだから。
不思議に思って小宇宙を探ってみる。修練場には複数の人数の小宇宙があって、魔鈴のものは確認出来たが、のものは感じられなかった。
いくら関知しにくい小宇宙であるとは云え、この距離だ。感じられないはずはない。
まさかと思い、意識を聖域中、むしろ十二宮に向けてみると、やはり。
はさっさとテレポーテーションで教皇宮の自分の部屋に戻っていたのだ。
なぜわざわざそんなことをと思いながら自分も結果を報告すべく、やや軽い足取りで教皇宮へと向かってみると。

「この度はご愁傷様でした」

が日本人らしく腰から45度の正しい角度で頭を下げていたので思わず頭をひっぱたいた。条件反射である。

「何がご愁傷様だ、何が」

「あれ、もしかして魔鈴誘えたの?」

『もしかして』。
何だかんだ云って、結局はアイオリアが振られるだろうと思っていたのがバレた瞬間だった。
悔しくも腹立たしくもあるが、魔鈴の性格と日頃の付き合いを考えると、確かに振られる確率のほうが高いだろうと自分ですら思うのだから泣けてくる。
しかしながら、今回は女神はアイオリアに微笑んだのだ。

「ああ、明日の昼から、一緒に行くことになった」

先程の修練場で待ち合わせ、ロドリオ村まで一緒に歩いて行くことになった旨を伝えると、はホッ胸を撫で下ろした。

「あーよかった!じゃあ作戦成功だね!」

「作戦?」

「そう、題して『ぶっつけ本番!当たって砕けるな作戦』」

なんだその無茶苦茶なネーミングは。
一瞬突っ込めなかったが、しかしハッとする。

「お、お前、!!魔鈴を呼ぶにしても云い方があるだろう!?」

他にもなんでいきなりだとかせめて自分には断ってから呼べとか、いろいろ云いたいことはあるのだが、とにかくアイオリアが最初に突っ込んだのはそこだった。彼にとっては、心臓が止まるかと思うくらいびっくりなことだったのだ。

「いいじゃん今更だよ。結果オーライ」

「・・・・・・お前、他人事だと思って楽しんでないか・・・?」

「まさか」

そんなはずないと思う?
軽く首を傾げられ、こちらも一瞬意味を理解出来ず首を傾げ、気付いて脱力した。
つまり楽しんでくれているわけだ。
あびれもなく云われると、いっそ諦めもつくというものだった。何しろ相手はなのだから。これ以上ないほどわかりやすい理由だ。
案の定がくりと肩を落としたアイオリアを見、そうして出た台詞が、

「リアは多分、どう足掻いてもリアだよ」

である。
要は、どうせアイオリアはごちゃごちゃ考えたところで魔鈴を前にしたら頭が真っ白になるのだから、だったらぐだぐだ悩んで心を疲れさせるよりもさっさとぶつかって来た方が楽だし早い、ということらしい。
身も蓋もない。
が、の云うように結果オーライであったので結局それ以上文句も云えず、一応は礼だけ述べて仕事に戻ったのだが。

「それにしても」

話は戻って、アイオリアに向かい合わせて座る魔鈴は、紅茶の入ったカップを掌に包み込みながら云った。

「アイオリアがこういう映画を観るなんて、意外だった」

まさか『お前と観たかったんだ』とは云えない。普段はミロやアルデバランとアクションだのホラーだのを好んで観ているアイオリアが、わざわざ魔鈴を誘うためだけに数ヶ月前から良い感じの映画を物色し続けていたなど、云えるはずがなかった。彼の性格上、云えたらまず奇跡だ。
散々何と答えるか悩んだ挙句、

「す、好きなんだ」

と答えて。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

空気が。
ぴたりと。
停止した。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・ああ」

映画がね。
呟いたのは魔鈴で、アイオリアは高速で首を縦に振った。

―――いやいやいやいや。

―――いやいやいやいやいやいや。

当たり前だ。
当然だ。
何を動揺しているんだ、自分。
今は映画の話をしていたんだから、好きだと云ったら映画のことに決まっている。
動揺することなどない。
ないの、だが。

(なんで魔鈴まで黙る―――・・・!?)

居た堪れなくなって、注いだまま置きっぱなしになっていた紅茶を一気に飲み干した。すでに温くなっていたそれは、香りも何もなくなってはいたがまずくはない。いろんな意味でカラカラになっていた喉を潤すには丁度良かった。
気まずい。
非常に気まずい。
どうしたらいいのかわからずゆっくりとカップをソーサーに戻し、ちらりと魔鈴の手元に目をやれば、魔鈴はカップを包み込むように持ったまま、それを口に運ぼうとはしなかった。

「・・・飲まないのか?」

「うん?」

「紅茶」

もう温くなってるぞ、と云えば、魔鈴は困ったように首を傾げてから、こつん、と自分の仮面を指差した。

「これ、してたら無理だろ?」

聖闘士であるための、仮面。
女子の聖闘士は、顔を晒せない掟。
アイオリア自身は別にこの掟に重要性を感じていなかった。むしろ一体どんな意味があるのだろうかと常々疑問に思っているくらいだ。
顔を隠して生活しなければならないことの息苦しさを知らないアイオリアは、その苦しさ、七面倒さを想像することしかできないが、気持ちいいものでないことくらいはわかる。
顔を見られたら、愛すか、殺すか。
最初にそんなことを云い始めた馬鹿の顔を拝んでみたい。
だから、これは仮面の掟について深く考えていないアイオリアだからこその台詞であって、本当に何気なく、口に出してしまった台詞だった。


「別に俺の前で、仮面なんかしなくていいのに」


その、言葉の意味を。
自分で気付くのに、暫く時間がかかった。

「・・・え・・・・・・?」

魔鈴の驚いたような声を、アイオリアはどこか遠くで聞いていた。
魔鈴が呟いたのも随分時間がかかったが、それより少し前に自分の台詞の重さに気付いたアイオリアが、混乱の意識から浮上するにはもっと時間が必要だった。
女聖闘士に対して、自分の前では仮面を外していいと告げることは。
それは、すなわち。

『愛してくれ』と云っているようなもので。

つまりは、告白をしたのと同意なわけで。

そもそもアイオリアは魔鈴に好意を抱いており、確かにあわよくば今日というタイミングで想いを伝えられたら、とは思っていたが、まさかこんな形で伝えてしまうとは。
心の準備なんて、一切出来ていなかった。
今振られたら多分死ねる。ショックで死ねる。
しかし今更なかったことになど出来るはずもなく、あっさりと云ってしまった告白は、しっかりと魔鈴の耳に届いてしまった。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

先ほどよりも、ずっと重く、ずっと居た堪れない、沈黙。
今度こそ魔鈴のほうを、手元すら見られなくなってしまったアイオリアである。空になったカップの底を見て、動けない。
実に男らしくないとは自分でも思う。
しかし、駄目なのだ。
どうしても、魔鈴を前にすると、普段から築き上げていた『自分らしさ』が発揮できない。
魔鈴を見るとどきどきして、とても平常心ではいられない。
これが『好き』という感情なのだと気付いたのは、数年前、星矢が聖域にやってきて、魔鈴の弟子になったときだった。
最初は何でもなかった。日本人で、魔鈴の弟子という少年をただ自分の弟のように可愛がった。
勿論それはずっと変わらない。
ただ、時折修練場で顔を合わせる魔鈴が、星矢の話ばかりをすることが何だか心に刺さった。
弟子なんだから当然なのに、何故か面白くなかった。
アイオリアも星矢は可愛い。可愛いのだが、魔鈴の口から星矢の名前が出るのが、面白くなくて、苦しくなった。
そんなことは誰にも云えなかったが、ある日突然気付いたのだ。
自分は魔鈴が好きなのだ。
だから、魔鈴とずっと一緒にいる星矢に嫉妬していた。
7つも年下の少年に嫉妬するなんて、と愕然としたが、魔鈴が星矢を本当の弟のように可愛がっていたのは知っていたし、星矢も魔鈴を姉のように慕っており、あの2人は姉弟のようなものなのだと思えば少しは心が楽になった。
が、気付いてしまってからはどうしようもなかった。
今まで何気なくしていたスキンシップもどきどきして、他の聖闘士と話しているのを見かけると落ち込んだ。
けれど自分にだけ見せることのある魔鈴という人間性、ほんの少しの弱さ。他の者よりは心を許してくれているのだと気付いて芽生える若干の優越感と、それ以上は発展しない関係への焦燥感。
そして、そんな想いを抱き続けて早数年。
ついに。
ついに、云ってしまった。
しかも考えていたよりも、ずっとあっさりと。
ロマンチシズムの欠片もなく、随分さっくりと。

「・・・・・・・・・」

やってしまったとしか云いようがない。
自分の短慮と浅はかさをここまで呪ったことはない。今だけ、デスマスクになりたい。デスマスクなら、振られたときも上手く対応できるのだろう。

「・・・・・・ふふ」

すでに振られたモードに入っていたアイオリアの耳に、柔らかな笑い声が聞こえた。
魔鈴の、声。

「アイオリア」

その声で名前を呼ばれるだけで嬉しくて、心が弾んだ。
半ば泣き出しそうな情けない顔で、魔鈴を見る。仮面をしているというのに、何故かアイオリアには、魔鈴が優しく微笑んでいるように見えた。幻覚かもしれないとちょっと落ち込む。
そして、魔鈴は。

「無理だね」

云った。
容赦ない。
突き落とすように。
叩き落とすように。
砂の一粒くらいの期待をしていたアイオリアは、冥界まで一気に突き落とされた気分になって、真っ白になった。
振られた。
これ以上ないほど綺麗さっぱり、振られた。
が。

「こんなところで仮面を外したら、大変なことになるじゃないか」

もっともである。
ロドリオ村は、聖闘士もよく訪れる。
当然アイオリアの顔は知られているし、今日は2人連れ立って歩いているところはすでに目撃されている。
今この場で仮面を外すと云うことは、魔鈴の素顔を不特定多数の聖闘士に晒すということになるのである。
確かにそんなことは出来るはずもない。誰に見られたかもわからないのに、その全員を殺しに行くなどは不可能なのだ。
半泣き(しかしプライドに掛けて涙は流していなかった)状態のアイオリアは妙に納得して頷き、やっぱり自分は短慮で浅はかだ、と泣きたくなったのだが、次の魔鈴の台詞に、涙すら固まった。

「帰ったらね」

意味がわからず、停止した。
帰ったら。
帰ったら、何だと云うのだろう。
完全に動きを停止したアイオリアを見た魔鈴は、ゆっくりと立ち上がりながら、改めて云った。

「帰ったら、外してもいいよ」

それは。
つまり。


「アイオリアにはね」


「・・・・・・ッッ」

勢い余って魔鈴を抱き締めたアイオリアが、数秒後に魔鈴の拳で地に沈んだのは、アイオリアの名誉のために黙っておこうと思う。










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ええと、魔鈴さん、お誕生日おめでとう・・・ございました・・・ッ!!何日過ぎたのかとか云わない!知らない!←
はい、3/18でしたね!ごめんなさい・・・orz

この2人は公式だと信じているので、くっつくところを書きたいな〜ってずっと思ってました。ていうかアニメのリアは魔鈴さん好き過ぎると思う(爆笑)そんなリアが可愛くて大好きです!

仮面の掟、私は本当に大嫌いなのですが、使いようよってはとても萌えるなと思いました←
あ、でも基本は嫌いなんですよ!なくなるならなくなるに越したことはないと思います。沙織が聖域に君臨してなくしてほしいものナンバーワンですね^^

多分この後リアはに報告に行って惚気てまた殴られると思います。いかに魔鈴さんが美人だったかという話で1時間経過したころに、しびれを切らしたに張り倒されればいい。
でもも2人が結ばれるのを願っていた1人なので、心から祝福してあげるよ!

今回は名前変換文というよりもノーマルカプ色強いですね、すんません。でも書きたかったから反省はしていません←

では魔鈴さん、遅くなってごめんなさい!
お誕生日本当におめでとう、大好き!!


20100404