女神の身の回りの世話係である私は聖闘士ではないため、聖域で女神と侍女を除くと唯一仮面をつけずに生活している女である。
どうやらこの人たちはそれが不満らしいのだ。






ファースト・コンタクトは最悪で





「バッカじゃなかろうか」

「何ィ!!?」

「もう一度云ってみろ!!!」

何なら二度でも三度でも云ってやりたくなったが、面倒だったのであからさまに馬鹿にしたため息をつくことで返事にした。
まったく、誇り高き聖闘士が徒党を組んでか弱い女子を取り囲むとは、嘆かわしくて女神に報告なんてとてもじゃないが出来やしない。

「何だ、その顔は!?」

「ッ、とことん人を馬鹿にしやがって…!!」

「女神様の側仕えだからって調子に乗るなよ!」

いつどこで調子に乗ったのか詳しく教えて欲しいものだ。私は女神の側近として常に努力してきたし、これから先だって同じだ。断じて調子になど乗っていない。
しかし今の彼らには何を云っても無駄なのだろう。一体何がそこまで気に入らないの知らないが、ともかく私の言動すべてが腹立たしいようだった。生理的に無理とか云われたらどうしようもないので、出来れば視界に入れないで欲しいところだが。
結局、彼らは聖闘士でもない私が女神の側近であることが許せないのだ。女神の側にいるべきは聖闘士だと、そして叶うなら自分がと、つまりはそういうことらしい。そんなこと云ったら助祭長だの参謀だの他の女官はどうなるのだって話だけど。
女神を敬愛するのは結構だが、側近にまで嫉妬するほど傾倒するのは如何なものか。しかもご丁寧に人気のない場所まで連れ出して。まるでチンピラだ。
こんな茶番はさっさと切り上げて女神のところに帰りたいのだが、どうやら簡単には帰してくれそうもない。恐らく私が側仕えを辞すると云わない限り、解放するつもりはないのだろう。
しかしながら、私は女神の側近で居続けるつもりなわけで、そうなると彼らは私を解放しようとはしないわけで。
どうしたものかと考えていると、頬のすぐ近くを風が切った。正確には、結構な速度に乗った拳が。

「今後女神様に近寄らないと誓え」

はらり、と。
数本の髪の毛が犠牲になり、地面に落ちる前に風に吹かれて消えた。

「あの方の側にいるべきは俺たち聖闘士だ!」

「お前のようなやつはあの方に相応しくない!!」

「身の程知らずにも程がある!!!」

口々に、云いたいことを吐き捨ててくれる。
穏便に終わらせようと思っていたのだけれど、どうやら彼らにはそんなつもりはなく、意地でも私と女神を引き剥がしたいらしい。大した執着心だと思う。
が。
相応しいとか。
相応しくないとか。

「誓え!!」

知るか。
再度振り上げられた拳を、私は右手で薙いだ。そしてその流れのまま、左手に意識を集中して。

―――ォォォン……

聖闘士の私闘は禁忌だ。けれど私は聖闘士ではないので、これには当てはまらない。まぁ彼らは、相手が誰であろうと私闘は私闘なので、後で誰かしらにどやされるのだろうが。

「―――……」

私の放った小宇宙は、彼らの後ろに見えていた柱の瓦礫を跡形もなく吹き飛ばしていた。

「………な……」

呆然とする彼らは知らなかった。
私が聖闘士でもないのに女神の側近である理由を。

「い、今の小宇宙は……!?」

「まさか、お前が!!?」

今更気付いたって遅い。
一気に膨れ上がらせた小宇宙が、チリチリと空気を刺激する。
私は無言のまま、先ほど脅しをかけてくれた聖闘士を蹴り飛ばした。とは軽く云っても光速に近い速さの蹴りを至近距離から見舞ったので、相当なダメージは受けているだろうが。
ろくなガードも出来ずに蹴りを受けた聖闘士は、綺麗に吹っ飛んで壁にぶち当たった。一応聖衣は壊れないように手加減したつもりだけど、もしかしたら今の衝撃でヒビくらいは入ったかもしれない。やべぇあとでシオンに怒られる。
今の一撃を見て、案の定、他の聖闘士はぽかんとしていた。仲間がやられたのに、怒ることも忘れてしまったらしい。
しかしそんなことは私には関係ないので、容赦なく残りの馬鹿も叩きのめしておいた。多分、自分たちがどうやって昏倒させられたのかも彼らはわからないだろう。当然だ。たかだか青銅聖闘士の目に追える速度ではないのだから。
私が聖闘士にならない理由。
それは、なるまでもないから。―――まぁ実は、それだけではないけれど。
ある程度の実力があれば気付いたであろう私の小宇宙に、彼らは気付かなかった。いや、気付けなかった。
聖闘士ではないという現実だけで実力を見誤り、何故聖闘士ではない人物が女神の側近であれるのかを、嫉妬という醜い感情のために、見抜けなかった。
愚かだ。
聖闘士だとか世話係だとか、そんなもの、女神を護るということだけを想っていれば、些細なことだというのに。
全く、同じ女神に仕える人間として情けない。今度シジフォスに、下級聖闘士や雑兵の精神教育でも打診してみようか。
と、深いため息を溢すと。

「―――おいおい…」

ハッとして振り返る。
遠くもなく、されど近くもない距離にある崩れた柱に背を預けて立つ男がいた。
いくら馬鹿の相手をしてからとはいえ、認識してしまえばこれほど強烈な小宇宙に気付けなかった。つまり、それは彼が相当の力を持っているということで。
馬鹿が増えたのだろうか。だとしたら厄介だ。
さっさと逃げるべきかと悩んでいると、その男は呆れたように笑った。

「すげェのな、お前」

「………」

「そう胡散臭そうな顔すんなって。よくない気配を察したんで、これでも一応助けに来たんだぜ?」

結局何もしてないくせによく云う。
とりあえず馬鹿の類いではないことはわかったので臨体制は解くが、警戒だけは解かない。
へらへらしているが、先ほど私に気配を悟らせなかったことといい、恐らくかなりの実力者であることは間違いない。

「なんだよ、信用出来ねぇのか?」

「…このタイミングで現れて今すぐ信じろなんて虫がいいんじゃない?」

云えば、まぁそうか、と納得したらしい。変なやつだ。

「ま、その様子なら怪我はなさそうだな」

「怪我はないけど、髪がひとふさ犠牲になったわ」

「また伸びるだろ」

「そういう問題じゃないの!折角伸ばしてたのに、長さ合わせなきゃならないじゃない」

「いいじゃねぇか、枝毛ケアだと思えよ」

「デリカシーのない男!っていうか枝毛なんてないわよ!!」

信じられない、と吐き捨てると、軽く肩を竦めた。腹立たしい。一体ここまで伸ばすのに何年かかったと思っているのだろう。気に入ってたのに。
けれどこれに関しては目の前の男に文句を云っても仕方がないとわかっているので、とにかく女神のところに帰ろう。
髪については何か云われるかもしれないので、どこかに引っ掻けて絡まったから切った、とでも云っておけばいいだろう。そうだ、このままだとみっともないから、あとでエルシドに揃えてもらう。

「なぁ」

埃を払って踵を返すと、背中に声がぶつかった。
振り返れば、男がニヒルに笑っていた。

「名前は?」

「……人に名前を訊くときは、まず自分が名乗りなさい」

いつから見物していたのかは知らないが、助けに来たと云いながら結局何もしなかったし、なんだか態度が気に食わなくて、知らず言葉に棘が生えてしまう。
じろりと睨み付けてみたものの、男は怯みもせず小さく肩を竦めた。

「ははっ、気に入ったぜあんた!」

何がそんなに嬉しいのか、小憎らしい笑みを浮かべた男は、笑顔のまま私に近付いてきた。
いまいち真意が掴めず困惑していると、もうすぐ目の前に。
え、ていうか近い。

―――近いという、か。

「マニゴルド」

次の瞬間、唇に温かな感触。
触れるだけの、口付けだと気付いたのは、一瞬遅れてからだった。

「―――…」

「お、何だ怒らねぇの?」

じゃあ折角だからもう一回、と再度唇を寄せてきた男――マニゴルドに、私は思わず平手をかましていた。が、バチンという音は響かず、代わりに私の腕はがちりとマニゴルドに捕まれていた。

「っ、何するのッ!!」

「お近づきのご挨拶?」

「必要ないわッッ!!!」

ずるい。
ムカつく。
捕まれていた腕を思い切り振り払おうとすると、マニゴルドはあっさりと離して降参のポーズを取った。それがどこかおどけているようで、余計に腹が立つ。
鏡を見なくても、今自分の顔が面白いほど真っ赤になっているのがわかる。怒りからか、羞恥からか。それとも。
今更誤魔化せないのはわかっているけれど、私は服の袖で力任せに唇を拭うことで、この赤い顔を隠した。

「照れんなよ」

「どこをどうみたら照れてるように見えるわけ!?」

「もしかして初めてだったのか?」

「うるさい」

ギッと睨む。効果がないのはわかっていたが、そうでもしないとやってられない。初めてで悪いか。
するとマニゴルドは一瞬面喰らったようにぱちぱちと眼を瞬き、ふむ、と顎に手をやり何かを考えるような仕種をした。
そして。

「じゃあ、責任取ってやるよ」

「…はあ?」

意味がわからない。
やけに上機嫌ににやにやと笑うマニゴルドは、そうだそうだと勝手に納得したように頷いている。本当に意味がわからない、この男は。

「何云って…」

「ハジメテを奪っちまったお詫びに、お前のことはもらってやるって」

「…………は?」

「お前どうせこのまま女神のとこに戻んだろ?丁度いいから女神にも報告しとこうぜ」

ちょっと待て。
ちょっと待て!
一体この男は何の話をしている?
当事者であるはずの私が完全に置いてきぼりを喰らっているのはどういうわけ?
善は急げとばかりにさっそく私の手を掴んで歩き始めたマニゴルドにまともに反論することも抵抗することもできず、私の頭は大混乱だった。
もう本当にどうなっているのかわからない。
馬鹿な聖闘士に絡まれて。
適当に蹴散らしたら。
助けに来たと云いつつ何もしなかったマニゴルドが現れて。
気に入ったと云われて。
キス、されて。
『もらってやる』って。
そして、何?
女神に報告?
どういうこと?

「どういうこと―――…ッ!?」

「そういうこと」

「わけわかんないったら!!」

「だから云ってんだろ、俺はお前のこと気に入ったの」

「私あんたに気に入られるようなことしてないわ!」

「そういうとこが気に入ったんだって」

「気持ち悪い!!!」

「おいおい恋人にその言い草かよ?」

「こっ」

あっさりと云われ、私はまた顔が真っ赤になったのを自覚した。
ああもう、どうして!

「まぁ心配すんなよ、お前は俺が好きだから」

馬鹿か!
しれっとした顔で云われて私は散々心の中でマニゴルドを罵った。あらん限りの罵詈雑言を吐き捨てた。が、結局それが言葉となってこの男に投げかけられることはなかった。腹立たしい。

「そういやまだ名前聞いてなかったな」

「…あんた、名前も知らない女と付き合おうとしてたの?」

「気にすんなよ」

「気にするわ」

握られた手はいまだ離されない。けれど痛くはなくて、歩く速さも私に丁度いい。どうやら私にぴったりと合わせてくれているようだった。
さりげなくそんなことをしてくるこの男が本当に腹立たしい。腹立たしいったら腹立たしいのだ。

「で、名前は?」

「教えない」

「名前は?」

「教えない」

「…………」

「…………」

自然と二人とも足が止まる。
沈黙は長いようで短かった。
くるりと振り返ったマニゴルドに、私は初めてにっこりと笑ってやった。

「女神が、あんたに会うって云ったら教えてあげる。付き合ってもあげる」

「何?」

勝った、と思った。
そうだ、考えてみれば女神がいきなりこんな不審人物に会うはずがない。というかシジフォスが許すはずがない。
それに私はこれでも女神から愛されてる。女性の少ない聖域の中で、私は一番彼女に近い場所にいるので、他の人よりは信頼も大きいし、時には姉のように思えるとまで云われる親密さだ。
つまり、私がいきなり『恋人が出来たので認めてほしい』なんて云っても、立場的にも認められるはずがないのだ。
気付いてよかった。
成り行きでこんな男と付き合わなければならないようなことにならなくてよかった。

「………」

マニゴルドは考えるように視線をさまよわせていたが、どんな悪知恵を働かせようと無駄だ。シジフォスの過保護っぷりは度を越してるとしか云いようがないし、女神だって暇じゃない。
このまま神殿に帰ればこの男は門前払いされ、私はさっさと神殿に逃げ込む。そしてシジフォスにこの男の出入り禁止の命令を出してもらえば、きっと今後一生この男に会うことはなくなる。ファーストキスを奪われたのは、まぁ犬に噛まれたとでも思って忘れよう。

「いいぜ」

答えたマニゴルドに、私はまたにっこりと笑った。
この後どうなるかも知らずにこの男、呑気なものだ。どうせ女神には会えないのに。

「わかった。それじゃ行きましょうか」

「おう」

私は混乱していたのだ。
そもそも何故この男が聖域にいたかということ、強大な小宇宙を秘めていたこと、私が女神のもとに帰ることを知っていたこと。
ちょっと考えればわかったかもしれないのに。

結局あっさりと女神の前ま通されてしまったこの男が、実は蟹座キャンサーの黄金聖闘士であることを知って絶叫したのは、これから一時間後のことだった。










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もともとは連載にするつもりだったのでいろいろごちゃごちゃしてたり無理矢理押し込めた感が半端ないです笑
そして私はマニゴルドをなんだと思っているのか…がくり

かっこいいマニゴルドに迫られたい!←