2人を包み込んだ淡い光は、一度強力なフラッシュのように強い光を発した。そうして、瞬きの間には収束して、そのときすでに2人の姿はもうなかった。
テレポーテーションは、黄金聖闘士ともなればある程度の距離を行うのは容易い。しかし、ギリシャから日本までともなれば話は別だ。それなりの素養がなければ難しいが、シャカには息をするように容易いことだった。だからこそ、教皇は彼に少女を送らせることを決めたのだろう。
そして、2人が完全にこの場から消えて。

「・・・教皇!」

声を荒げたのは、蠍座スコーピオンのミロだった。
碧い眼に炎を燃やし、厳しい表情をして憤りを隠そうともしない。真っ直ぐなところはいつまでたっても変わらない、と場違いにも思いながら、教皇は黙って次に来るであろう台詞を待った。

「どういうおつもりですかッ!!」

何を云われるか予想がついていただけに、実際に予想通りのことを云われると酷くがっかりする。
軽いため息をついた後、しかし教皇は敢えて何も云わずにいた。すると、特に教皇の言葉など期待していなかったのか、ミロは捲し立てるように云う。

「このような異常事態であるのに、張本人をあっさりと帰すなど!!あの娘の言葉をすべて鵜呑みにするおつもりですか!?」

「ミロ」

今にも教皇の前に飛び出して胸倉をつかみかねない勢いのミロの肩を掴んで引きとめたのは、水瓶座アクエリアスのカミュだ。彼も困惑はしているようだが、常日頃からクールを謳っているためにこんな場所で取り乱すような真似は絶対にしない。
熱血という言葉がよく似合う親友を、カミュは静かに諭した。

「教皇には教皇のお考えがある。そうかっかするな」

「しかし!」

「―――ミロよ」

と。
ここで、暫く2人の様子を黙って眺めていた教皇が漸く口を開いた。ミロとカミュはさっと口を閉じ、教皇に向き直る。
それを確認し、軽く頷いてから教皇は広間にいる全員を見渡した。

「あの少女についてどう思う」

それは、突然な問いだった。
まずミロの問いには答えていないと云うのに、教皇は逆に問うた。一瞬全員がぽかんとしたが、教皇に問われれば答えないわけにはいかない。

「妙な娘だとは思いましたが・・・、邪悪さは感じませんでした」

最初にそう漏らしたのは牡牛座タウラスのアルデバランだ。彼もやはり困惑した表情を隠せずにはいたが、自分の直感を信じて云った。

「確かに、邪悪さはなかったかと」

「それ以前に、小宇宙自体あまり感じませんでした」

続いて、獅子座レオのアイオリア、そしてシュラだった。アイオリアは直接少女と言葉を交わしたわけではないので、一連のことを傍観していた感想であり、シュラは実際に少女と接した――というか首を落そうとした――上での感想を。

「感じないというのは些か大袈裟ではありますが・・・でも、限りなくないに等しい」

「割に、一度掴めばわかりやすい」

それに続けたのはカミュだった。

「ミロ、お前は」

最後に問われ、ミロは考えた。
教皇の少女に対する扱いに思わず声を荒げはしたものの、それは驚いた勢いだったというのもある。改めて少女について自分が最初に抱いた感想を思い浮かべてみる。

「・・・邪悪さも感じないし、嘘を云ってるようにもみえませんでしたが・・・」

そうなのだ。
だから余計に、戸惑う。
突然現れたあの少女は真実を云っているのだろうと、ミロは直感はした。
けれど、今聖域は、聖戦が始まるかもしれないという緊迫した状況で。
そんな状況で、あんな真っ直ぐで穢れなど知らないような少女が現れるという異常事態が起こり、取り乱すなと云うほうが無茶ではある。
歯切れ悪く云い、視線を落としたミロを見た教皇は、深く座り直してから云った。

「お前がここを想って云っているのはわかる。しかし」

恐らく。
己の勘が正しければ。
一息ついてから、教皇は云った。

「あの娘は、シャカと共に戻ってくるであろう」

呟くような教皇の言葉が理解できず、数人が首を傾げた直後。
シャカの小宇宙と共に、淡い光が再び広間に煌く。テレポーテーションの光だ。
何故この場所でテレポート出来るのかは今は置いておくとして、戻ってきたシャカの隣には。





vanitas

嵐の後に





教皇宮の広間に、再びテレポーテーションの光が満ちる。シャカが戻ってきたのである。
しかし。
何かおかしい。
シャカは1人ではなかった。
少女を日本に送り届けるのが彼に任せられたことであるのに、人影は1つではなかった。2つ。
出発する前と変わらぬ、人影。
教皇間で待っていた彼らが掴んだのは。
シャカの小宇宙と。
彼女の。
―――少女の、微弱な小宇宙。
そして光はゆっくりと収束し、人影はやがて視認出来るようになり、シャカと少女の姿を、彼らは見た。

「只今戻りました」

静かに口を開いたのはシャカである。軽く教皇に頭を下げた。
その、腕に。
顔色が悪いというよりも、むしろ顔色を失くしたような少女が、シャカの腕に捕まっていた。
何事かと思えば、よく見るとガタガタと震え、シャカの腕を放してしまえば今にも倒れそうだった。
それを見た教皇は、改めて自分の考えが正しかったことを確信する。

「・・・やはりか」

「・・・やはり、とは?」

己の腕にしがみつく少女を気にした様子もなく、淡々とシャカは問う。
微かに眉がつり上がったように感じたのは、送ることを命じておきながら共に帰ってくるであろうと予想されていたことへの苛立ちからだ。しかしそれを口にすることはせず、シャカは黙って教皇の言葉を待った。

「その娘は」

恐らく、と前置きして。
教皇は、云う。

「この次元の人間ではないのだ」

「な・・・?」

この言葉に驚いたのはシャカだけではなかった。この場にいる全員が、息を飲み、目を見開いて言葉を失った。
この次元の人間ではない。
つまり、異次元からの来訪者。
そんな馬鹿な話があるのだろうか。
あり得ないとは云い切れないが、あり得ないと云いたくなることではある。
何が起こるかわからない世の中ではあるが、そんな突拍子もないことまで起こるのだろうか。
黄金の誰かがそれを云ったのであれば笑い飛ばしてしまえるが、しかし実際に口にしたのは教皇だ。これではとても笑えない。
教皇曰く。
本来世界は常に不安定であり、神々の存在は、世界を安定させるが同時に他次元には何らかの影響を与えるのだという。しかしだからと云って、常に他次元への干渉があるわけではない。そんなことがあっては世界はとても安定などしない。何かの拍子に――それが何なのかまでは、わからないらしいが――不安定な要素が重なり、極稀に異次元へ繋がるゲートが開くことがあるそうだ。大体の場合、その異次元ゲートに吸い込まれるのは世界に対して害のないその辺の動物だの樹だの石だの、そういったものであるらしいが、今回はたまたま、この少女が巻き込まれたのだろうと、そういうことらしい。
だから恐らく、自分の住む場所に戻ったところで、それは『この次元でのその場所』であるだけであり、『彼女の帰る場所』ではない。
そういうことなのだと、云った。
沈黙は、一分だったのか十分だったのか。
誰も口を開かず、呼吸すらもしているのか危ぶむほどの沈黙。
ともかく空間を支配していた沈黙を破ったのは、魚座ピスケスのアフロディーテだった。

「―――それで?この少女をどうするつもりです」

一番の問題は、そこだ。
仮に異次元からの来訪者だとして、どう扱えばいいのか。
黄金聖闘士にとって、教皇の言葉は絶対だ。信じる信じないを論じる必要はない。必要なのは、これからの対処を話し合うことだ。
アフロディーテの言葉にハッと我に返った彼らは、口々に云う。

「とにかくどうやってここに現れたのか調べる必要はあるだろう」

「そうだな、こんなことがもし敵に知れたら大変なことになる」

「我々でも知らないような手でテレポーテーションが出来るならば一大事だ」

「しかし、神の力が干渉しているとなると、我々の力でどうにかなるのか?」

「さぁな。だが、何もしないよりはましだろう」

「この少女は?」

「そうだな・・・」

「必要はないだろう」

「処分するか」

「殺すのか?」

「そこまでする必要はあるまい」

「この少女とて好きでここに飛ばされたわけではないのだから」

「だが、何があるかわからんだろう」

「だからと云って殺す必要はないだろうに」

「ではどうするのだ」

「それは・・・」

そのとき。
ブチッ、と。
何かが切れる音がして。
バシンッ、と。
何かが思い切り叩きつけた音がして。
咄嗟に彼らは後ろを、今まで放っていた、少女を振り返ると。

「か―――・・・」

少女が。

「か弱い女の子が不安で今にも倒れそうだってのに放置して殺すだ殺さないだごちゃごちゃごちゃごちゃと!!誰か一人くらい声かけて慰めるとかないわけ!!?あんたらそれでも男なの!!?」

吠えた。
泣いてはいないが、泣く一歩手前のような顔で、一気に捲し立てたために上がった息を整えようともせず、思い切り肩を上下させながらそこに立っていた。
自分たちが怒鳴り散らされることなどここ暫くあり得ないことだったので、黄金聖闘士たちは思わずぽかんとしてしまった。金色の鎧を纏った屈強な男たちが口を半開きにして固まる光景は、滑稽と云うよりは異様である。
それを指摘する人物はいないわけだが、教皇はぼんやりそんなこと思った。そして、苦笑交じりに云う。

「殆ど男所帯故、配慮に欠けた。すまぬな」

教皇ともあろう人間が、一般の人間に言葉だけでも謝罪するとは大事である。しかしまだ怒鳴られた衝撃から立ち直りきっていない黄金たちにそんなことを咎める余裕はなかった。黙って教皇と少女のやり取りを見ているしかない。
漸く落ち着いたのか、泣きそうなのは変わりないが息を整えた少女は、教皇の言葉に少し冷静さを取り戻したらしい。
慌てて首を振る。

「こっちこそ、ごめんなさい。迷惑かけてるのは・・・私なのに」

考えてみれば、自分も大変だが、きっと彼らには彼らの事情があるのだ。それを、いくら気が動転していたからとはいえ、今のはよくない。
謝らなくては、と思う反面、それよりも気になることがあった。これは放置できる問題ではない。
失礼かとは思いつつ、少女は口を開いた。

「あの・・・私が異次元から迷い込んできたっていうなら、あっち世界では私はどうなってるの?もし家出扱いになってたりしたら、家族に迷惑かかるから困るんだけど・・・」

この言葉に、一同は再び言葉を失った。
それは何気ない疑問であり、当然な疑問であるというのは理解出来る。
しかし。
けれど。

この少女は今、自分の心配をしていない。

「なぁ、この状況で家族の迷惑なんか気にするんだ?」

「え・・・・・・」

問いかけたのはミロだった。
不自然な少女を警戒しつつも、少女のある種の不可解さに大きく首を傾げた。
普通ならば、こんな状況に追い込まれて気に掛けるのは自分のことだ。これからのこと、元の世界での自分の処遇。誰だって可愛いのは自分であるはずなのに、この少女ときたら、自分のことをそっちのけで家族の迷惑を心配している。
追い込まれた状況だからこそ考えられるのは自分自身のことであるはずなのに、彼女は自分を一切省みていないのだ。
疑問に思わないほうが、おかしい。
これはこの場にいる全員の疑問の代弁と云っても過言ではないだろう。口にはしなかった、或いはミロが先に口にしただけであって、問おうとしていた者は他にもいたのだから。
予想もしていなかったのか、戸惑ったように視線をミロに移して固まった少女に畳みかけたのはカミュだった。

「先程のテストのことといい、貴女は自分のことより周りのことをまず考えるようだ。悪くはないが、もう少し自分の心配をすべきではないか?」

息を、吸い込む。飲み込む。
吐き出すのが、難しかった。
問いかけた2人を交互に見ながら、少女は言葉を詰まらせた。

「そ・・・そんなの・・・」

何故。
どうして。
そんなの。
弁解を、理由を。
云わなければ、云ったほうがいいのだとわかっていたが、声が出ない。何を云えばいいのか、頭が働かない。

「ミロ、カミュ」

教皇が静かに2人の名前を呼ぶ。
それ以上は云うな、という意味だった。それに気付かない2人ではない。納得は行っていないものの、教皇に逆らうつもりもない。黙って軽く頭を下げ、一歩後ろに下がった。
その様子をぼんやり見ていた少女に、改めて教皇は問うた。

「少女、訊くが、聖闘士を知っているか」

キョトン、と眼を瞬かせる。
何を云うのだろう、と不思議に思った。
セイント。
聖なる?
英単語かと思ったが、なんだか違うもののように感じる。
考えたが、少なくともそんなものは聞いたこともない。正直に首を振った。

「・・・知らない」

わかっていたかのように、教皇はひとつ頷く。
そして、続いての質問。

「そなたは口が堅いか?」

「・・・多分」

答えながら、何故そんなことを訊くのかと怪訝に思う。
口が堅いかどうかなど、今のこの状況打破に関係あるようには、思えないのだけれど。
しかし少女の内心など知らずに教皇は更に問う。

「不自由な思いをしても耐えられるか?」

「ど・・・どの程度かにもよるけど、それなりには・・・」

なんだか、穏やかじゃない。
ここまで問われて勘付けないほど、少女は愚かではなかった。軽く口元が引きつる。
そしてそれは、この場にいる男たちにしても同じことで。

「きょ、教皇・・・まさか・・・?」

まさか。
教皇の考えていることに気付いてしまった彼らは、まさか違うであろう、そんなまさか、いくらなんでも、と思いつつ、まさか、と口にする。
しかして教皇は、そんな彼らの戸惑いなどまるで意に介さず、あっさりと云った。

「では、決まりだ。そなたの面倒はここで見よう」

「な・・・ッ!!?」

「馬鹿な!!」

絶句する少女と、思わず暴言を吐いたのはアイオリアだった。
殺すのは反対だが、ここに置くというのは話が全く違う。
ここは、聖域は女神の地。
限られた者だけが生活する聖なる場所。
自らを選ばれた人間だなどというつもりは毛頭ないが、だからと云って得体の知れない少女を生活させるのは女神への冒涜にも思えたのだ。

「何、元の世界への帰り方を見つけるまでの間だ」

「しかし!!」

「そ、そうだよ、そんな迷惑はかけられない!!!」

当人である少女ですらも反対なようだ。普通はひとまずの止まり木を確保できて喜ぶ場面だとは思うのだが、この少女はどこまでも予想の外を行く。
尚も自分を省みようとはしない少女に些かの不自然さを感じつつ、抗議のために再び口を開こうとするが、鋭い小宇宙を感じて思わず固まる。誰のものか、考えるまでもなく、教皇のものだ。
先ほどのミロとカミュのように、黙れ、と暗に云われ口を噤む。
黙ったアイオリアを一瞥すると、教皇は少女に諭すように云った。

「しかしそうは云ってもな。聖域の外は安全の保証はないし、第一身寄りもない娘一人を放り出すような真似はしかねる」

「で、でも・・・」

「なんだ」

少女にも、云ってることはわかる。
言葉は通じるようだが、しかしここが勝手知ったる場所でないことは明白で。そんな場所に1人身寄りも知人もいない状況というのは非常に危険で、恐ろしい。
けれど、けれども。
それでも、提供されたものを無条件にありがたく受け取るというのは、頂けない。

「あの、冷静に考えたんだけど、やっぱりこんなの異常事態だよね?」

「そうだな」

「私、逆の立場で考えてみたんだけど。つまり、ほら。今の私みたいに異次元?から飛ばされて、知らない場所に現れたのが、この金ぴかの人たちの誰かだったらって」

金ぴか。
複雑そうな顔をした黄金には気付かず少女は続ける。

「もし、集会中の広間だとか、授業中の教室だとかにいきなりこんな見たこともないような格好した人が現れたら・・・・・・」

ざっと黄金聖闘士たちに視線を流し、うん、と自分一人で納得したように頷いた少女はピッと指を立て、自信満々に云った。

「迷わず通報するね!」

黄金は若干傷付いた。何も『迷わず』を強調してくれなくてもいいと思う。
そんな少女の断言に、やや呆気に取られたように教皇は軽く首を傾げた。

「・・・・・・してほしいのか?」

「ち、違うよ!ただ、私だったら・・・っていうか多分あっちの世界ではそうするって話」

まぁ恐らく、ここが聖域でなくアテネ市街やロドリオ村であれば、そういう対応になる可能性は高い。

「それに異次元だのなんだのっていう話も絶対に信じないと思う。笑われて終わるよ、きっと。・・・・・・ここではそういう話もアリなの?」

「いや、そうではない。単に世界観の違いだ。我々は生憎、『普通』とは云い難い種類の人間でな」

「・・・・・・でも・・・」

先程黄金聖闘士たちを怒鳴り付けた威勢はどこへやら、居心地悪そうに視線を下に落としながら少女は云う。

「自分で云うのもなんだけど、私ってかなり不審人物なんじゃないの?」

確かにそれは自分で云うものではない。
おかしな娘だと内心思いながら、教皇はそれを認めた。

「そうだな」

「うっ、やっぱり肯定すんのね・・・」

否定されるわけがないと思いながら口にしたのは、やはりどこかで期待していたからだろう。不審人物だと云われて喜ぶ人間は誰もいない。
頭を抱えてしまった少女を見、教皇はゆっくりと幼い子供に云い聞かせるように云った。

「不審は不審だ。しかし、害は感じない」

「・・・・・・・・・」

「先も云ったが、そなたのような少女を見知らぬ土地に放り出すような真似は出来ぬ。ここに女神がおわせば、同じような選択をなさるだろう」

泣き出しそうな顔になりながら、少女は教皇を真っ直ぐに見た。
それだけでも、実はすごい。
普通ならば、教皇という女神の次に偉く、そして強い者を何の恐れもなく見つめ返すなど出来ないのだ。ここにいる黄金聖闘士たちともなれば話は別だが、村にいる者でさえ、親しみを持って接していながらどこか上に立つ者への畏怖は拭えずにいる。
しかし、この少女は。
ただ、真っ直ぐに、教皇を見つめている。

「異次元からの来客など初めて故、不便な思いをさせるだろうがそこは我慢してもらうしかないがな」

「あの・・・、でも・・・」

「何、例えるなら、街で迷い子を見つけたのと同じなのだ。裏道などに幼子が迷い込んで来たら、危なっかしくて放って置けまい?」

「はぁ・・・」

「女神はすべての人間に対して深い愛情を持っておられる。困っている者を助けるのが我らの役目だ」

「・・・・・・・・・」

「そこまで気にするならば、こちらの義務に従ってやるのだとでも思えばよい。どのみちそうするしかなかろう?」

「それは、そう、なんだけど・・・」

「元の世界に帰るまでの時間だ。いつになるかはわからぬが、方法を探そう」

「・・・・・・・・・」

「まだ何かあるか?」

「・・・・・・なんか・・・」

「なんだ」

ありがたい話ではある。
たった1人、世界から吐き出されてしまった少女には、天の救いにも思えるような話だ。
教皇の云っていることが正しく、いちいちもっともであることも、わかっている。
けれど。
これは、なんだか。

「―――話がうますぎて、胡散臭い」

「ぶはっ」

真顔である。
少女は真剣に云ったつもりなのだが、傍で聞いていたデスマスクは、思わず噴き出した。

「黙れデスマスク」

「お前正直すぎんだろ!」

「だ、だって!!」

隣にいたシュラがジロリとデスマスクを睨みつけるが、まったく気にせず彼は大笑いした。大した神経である。
少女は焦ったように身を乗り出し、必死に訴えた。

「だってこんなの私にしかおいしい話じゃないよ!助けてくれるのは正直とっても助かるけど、おいしい話の裏には大抵・・・・・・って、ま、まさかあんたたち・・・」

「んだよ」

「わ、私を慰み物にでもするつもりね!!?」

ピシリ。
教皇も含め、今日一番に冷たい一時停止の時間だった。不覚にも全員が、息をすることすら忘れたのだ。情けない話であるが。
最初に覚醒したのはデスマスクだった。彼も一時停止させたのだから、この少女、なかなか侮れない存在である。

「んなわけあるかッッ!!!」

「ぎゃ!!嫌!!!触んないで穢らわしい!!!」

「っだとこら、誰がてめーみてぇな貧相なガキに欲情するかッッ!!!!」

「ガキ!?私これでも17よ、花も恥じらう女子高生よ!!?それを捕まえて貧相なガキって、目ぇ腐ってんじゃないの!!!?」

「何ィッ!!!??」

「何よッ!!!!」

「いい加減に、しろ」

ゴンッ、と。
容赦ない鉄拳――まぁ一応少女に対しては抑えた力ではあったのだろう――が脳天に落ちたところで、自業自得を責めても同情は欠片も誘われず。
じんじんと痛む頭を押さえて鉄拳制裁を喰らわせた張本人、シュラを睨むように振り返っても、逆に冷たく呆れたような視線が突き刺さって心が痛んだ。トラウマになりそうなので、その目は是非ともやめてほしいと少女は思った。思っただけで云えなかったが。

「教皇の御前で馬鹿な話をするな」

「で、でもこの白髪が」

「白髪じゃねぇよタコ」

「っさいタコとか云うな蟹」

「蟹とか云うなガキ」

「また云った・・・!!!」

「・・・・・・懲りんようだな・・・?」

「ごめんなさい」

先程よりも更に冷たくなった視線に頬をひきつらせた少女は、改めて硬く作られそうになったシュラの拳を見て即座に謝った。賢明な判断である。その手が拳であったことの慈悲を、少女はまだ知らない。

「では、決まりでよいのかな?」

「へ?」

教皇だった。
どこか笑いを堪えたかのような声で問われ、少女は一瞬きょとんと目を瞬かせる。
ややあって。

「あ、え、えっと」

さっきまで何のことで揉めていたのか思い出し、結局答えを出していなかなったことに気付く。

「どうやらデスマスクとは馬が合うようであるし、その様子なら生活に困りもすまい」

「うまい話の裏には・・・」

「話の裏はない」

きっぱりと云われ、少女は再び言葉を探して固まった。

「で、でも・・・・・・」

必死で頭を回転させ、云うべき言葉を探す。
本当は結局のところ、自分には選択権など殆どないことを彼女は知っているのだ。
見知らぬ世界に1人放り出され、1人で誰の力も借りずに生活するのは無理なのはわかっている。
けれど、どうしても悩んでしまう。迷ってしまう。
それは彼女の生い立ちからすれば仕方のないことなのだけれど、現時点ではそこまでは彼らも知り得ないことだった。
悩んで悩んで、暫く悩んで。
漸く少女は、云う。

「・・・いいの?」

「良い」

「・・・・・・・・・・・・」

迷いなく頷いた教皇を見、少女は黙った。
黙って、黙って、暫く黙って。
意を決したように、なら、と声を上げる。

「お願いがあります」

毅然とした声だった。
17と云っていたが、とてもそんな少女が発する声とは思えないくらいに、しっかりとした声。
それに少々驚きながら、教皇は訊き返す。

「・・・何だ?」

「私に何か、手伝わせて」

「それならば簡単な雑用を・・・」

してもらうつもりだ、と云おうとしたのだが、最後まで云う前に少女はそんなの、と云った。

「勿論やる。それ以外にも、何か私に手伝わせて欲しいの」

「・・・・・・・・・」

「例えお世話になるのが少しの間でも、ここに迷惑をかけることには代わりない。だから、ちょっとでもいい、役に立ちたいの」

少女の眼は真剣だった。
真剣な眼差しで、教皇を見る。

「出来ることは限られてるだろうけど、ほら、私幸いギリシャ語わかるみたいだし、きっといろいろ役に立つよ!」

正直、人手不足が慢性化している聖域であるとはいえ、こんな一般人の、云ってしまえば部外者である少女にまで手伝ってもらわなければならないことなど、ここにはない。
しかし、この少女の直向きなまでの気遣い――否、恐らくは恐れ。何もしないまま世話になるのは嫌だという倫理感。それをきっぱりと断ることは、いくらなんでも気が引けた。

「・・・そうか」

「うん!」

少女は恐らく、そんな自分の感情には気付いていない。だからこそこうも真っ直ぐに云えるのだ。
が、教皇は気付いてしまった。
この少女の根底にある何か。さすがにそれが何であるかまでは知ったことではないが、しかし少女の中のその蟠りがこうして少女を不安定にしている。
少女自身気付かない、不安定さ。
それに気付いた時、少女がどうなるのか、教皇は興味があった。

「わかった。そちらは追って知らせよう」

「ありがとう!」

教皇の言葉を聞き、少女は安堵にパッと笑顔を咲かせた。
先ほどの間抜けなやり取りのおかげで忘れはぐっていたのだが、この少女は恐ろしい美少女なのだ。
そんな笑顔を真っ向から受けた教皇は一瞬息を飲んだが、それを誰にも気付かせることなく会話を続けた。

「では、名を聞かせてもらえるか?ここに留まると決まった以上、『少女』と呼び続けるのもなんであろう」

「あ、そういえば名乗ってなかったね」

うっかりうっかり、と少女は軽く頬を掻き、云う。



己が名前を。



告げる。

「・・・良い名だな」

教皇自身、なぜそんなことを口にしたのかわからなかった。気付いたら、云っていた。彼女によく似合う似合うだと、思ったのだ。
予想外の言葉にはきょとんと眼を瞬いた後。

「―――ありがとう」

少女は、は。

本当に嬉しそうに、はにかんだ。










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20100507