「広いね」

「よかったじゃねぇか」

「よかったけどさ」

「なんか文句あんのか」

「文句じゃないんだけどさ」

「あん?」

「・・・広すぎて、落ち着かない・・・」

「・・・・・・慣れろ」

一般人には豪華すぎる部屋でした。






vanitas

不安の粒





「バストイレキッチンは部屋に全部備え付けてある。冷蔵庫の食材も全部自由に使え」

「うわー・・・」

部屋に足を踏み入れ、道なり適当に説明を加えながら歩く。
デスマスクの後ろに付いて部屋に入ったは、まず足元に惜しげなく敷かれた絨毯に戸惑った。
踏んでいいのだろうか。いや絨毯なのだから踏むためにあるのだろうけれど、それにしてもパッと見ただけで高価であろうと想像がつく代物を躊躇いなく踏む勇気はにはなかった。とはいえ踏まなければ部屋に入れないのは事実なので、軽く息を飲みながらそっと足を進める。
ローファーの足底に、ふわりと柔らかい感覚。いくらくらいするんだろうとか考えてしまった自分にげんなりした。
そんな一般市民の心境などまるで気にしていない先導者は、さくさくと部屋の中央まで進み振り返る。
絨毯は開き直るとしても、目に入るものすべてが高価に見えて落ち着かないようにきょろきょろとしていたに、デスマスクはにやりと笑った。

「ついでに云っとくと、ここに置いてあるもん全部お宝並に価値あるかんな。うっかり割ったり壊したりしねぇように気ィつけろや」

「それは注意?警告?脅し?」

「脅し」

「最悪だな!」

まぁな、と胸を張ることではない。
おかしそうに笑うデスマスクを睨みつけ、は唯一持参した鞄をテーブルに置く。アンティークショップでしか見たことがないような代物だ。傷付けないように気をつけよう、と密かに思う。

「まぁどうせほとんど使わねー客室だからな。精々好きに使え」

「気軽に使えないプレッシャー・・・」

どこかの映画のように地下牢だの馬小屋だのに押し込められないだけ幸運なのかもしれないが、ここまで豪華な部屋を与えられてしまうのはある意味拷問だ。平穏な一般家庭で育ったには、些か豪華過ぎて少々息が詰まる。好待遇に文句を云うわけにはいかないし、実際本当にありがたいには変わらないが、泣きたくなったのは気のせいではない。
遠い目をして半笑いを浮かべたを不審そうに見たデスマスクは、軽く首を傾げつつ、しかし何も云わずに話を続けた。彼なりの気遣いかもしれない。痛い気遣いだが。

「部屋から出るときは誰か呼べよ。勝手に動き回ると迷うだろうし、さすがに教皇もそこまでは許可してねぇからな」

「はーい」

としてもそれは承知している。見知らぬ場所を1人で動き回るほど大胆ではないし、ホテルではあるまいしそんな勝手な行動を取るつもりもない。右手を上げて小学生のように元気よく返事をする。

「とりあえずもう今日は大人しく部屋にいろ。明日朝また迎えに来てやる」

「わぁいやっさしー!」

「お前は人の話を聞いてなかったのか?勝手に一人で出歩くのは許可が出てねぇっつってんだよ!」

「聞いてたよ!でも迎えに来てくれるのは別の話でしょ」

だから、デスマスクは優しいよ。
笑ってそう云ったを、デスマスクは複雑そうに――ほんの少し照れくさそうに――見て、そっぽを向いた。慣れていないのだ。こんな風に感謝をされることなど。

「・・・変なやつ」

「ありがとうって云っとくわ」

褒めていない、という言葉は飲み込んだ。云えばきっと、照れてこっちが居た堪れなくなるような言葉を返されるような気がしたのだ。これ以上は勘弁してもらいたい、とデスマスクは思う。
変な女だと、思う。本当に。
けれどそれは決して悪い意味ではないから不思議だ。
教皇に面と向かって意見を云うし、何よりも天下の黄金聖闘士相手に怒鳴り散らす。普通だったらその場で息の根を止めてやるところだというのに、この少女に関してはそんな気が全くと云っていいほど起きなかった。驚きすぎて反応が遅れ、あれよあれよという間に教皇との会話が始まってしまったから、というのも理由の一つではあるだろうが、それにしても。
普通の少女に見える。とびきりの美少女ではあるが、強力な小宇宙を持つわけでもなく、特殊な能力を有しているようにも見えない。
しかし、何故か気に掛かる。
放っておけない気分にさせられる。
下心など全くなく――自分でも驚くほどに全くだ――、掛け値なしに放っておけないと、思うのだ。
むず痒い気分だった。
が、決して不快ではない。
本当に不思議だ、とぼんやり考えていると、そういえば、とはデスマスクを振り返った。

「ね、ところで私、あんたの名前聞いてないんだけど」

今更だった。
今まで散々口喧嘩だのくだらないやりとりをしてきたというのに、今更名前を訊くのか。ちょっと順番がおかしいんじゃないかと思った。

「教皇さんとかが呼んでたからもう知ってるけど、あんたの口からは聞いてない」

云って、は真っ直ぐにデスマスクの眼を見る。
本当ならば別に、わざわざ名乗ってやることはない。デスマスクはそこまで親切な部類ではない――お人好しではあるけれど。
が、だからと云って答えてやらない理由もない。
ひとつ嘆息すると、蟹座の男は己を示す『名前』を口にした。

「デスマスクだ」

「それって本名?」

問いに裏はないだろう。
軽く首を傾げたに、デスマスクは答える。

「そーだよ」

頷く。
名前。
己を示す、それは記号。
改めて、噛み締めるように。
繰り返した。

「『俺』は『デスマスク』だ」

そう、聖域で生活を始めた瞬間から。
聖闘士候補として聖域にやってきた瞬間から。
蟹座の黄金聖闘士となって、確固としたものになった、名前。
今の己を現す、きっと唯一のもの。

「・・・ふぅん」

納得したのかしないのか微妙な相槌をしたは、少しの沈黙を挟み、そういえばとデスマスクを指差した。

「ところでさっきの金ぴかは?」

「金ぴ・・・ああ、聖衣か。脱いだに決まってんだろ、あんな堅苦しい格好すんのは格式ばった会議か任務んときだけだ」

「聖衣?」

「だから聖闘士としての・・・」

「あのさ、聖闘士って結局何?」

沈黙。
いちいち疑問を挟むに、デスマスクは苛つくより先に呆れてしまった。

「・・・・・・お前、ホンットに何にも知らねんだな」

「最初っからそう云ってんじゃんよ」

「威張るな」

「教えてー」

「・・・めんどくせーな・・・」

何度も云うが、デスマスクは気が長くなければ親切でもない。
しかし、残念なことに自覚がないだけで非常にお人好しであった。
聖闘士や聖衣についてなど、呼吸をするのと同じように当然のものとして自分に意味を持つ常識を今更説明するなど億劫極まりないのだが、ベッドの端にきちんと正座をして話を聴く体制になっているを見て脱力した。
面倒だ。
非常に面倒だ。
が、結局、ため息を零して悪態をつきながら、この世界についての説明を始めてしまうデスマスクであった。

「・・・・・・へぇ、とかしか云いようがないなぁ」

四半刻ほど黙って話を聴いていただったが、話が一段落し、休憩のためにと紅茶を淹れて一服したところでぼんやりと呟いた。

「人に長々と説明させといてその言い種か」

「だ、だってなんか現実離れ過ぎて・・・」

「ま、無理して理解しようとしなくていんじゃねぇ?」

どうせずっといるわけじゃねーんだし。
何気なく呟いたデスマスクの言葉に、は息を飲んだ。
ずっとここにいるわけじゃない。
それはつまり、帰ると云うことで。

(―――帰るって)

どこに?
世界に?
日本に?
学校に?
家に?

(―――誰のところに?)

「・・・おい?」

今更ながら、疑問に思う。
あの場にいたのは自分だけではなかった。それなのになぜこちらに飛ばされたのは自分だったのか。
偶然か。
はたまた。

(―――必然?)

それが必然ならば、一体どんな理由があったのだろう。
いや、そもそも理由などあったのか。
ただ、単純に。

(―――いらなかったから?)

あの世界に。
自分は必要なかったから、自分だけ飛ばされたのではないのだろうか。
捨てられたのでは、ないのだろうか。
そう、考えて。

(わ、私は、―――・・・)

「おい!」

肩を揺さぶられ、ハッとする。随分思い切ってくれたようで、若干痛い。

「何立ったまま寝てやがる」

デスマスクは呆れたようにため息を吐き、の肩に置いていた手をそのまま頭に移動して、がしがしと乱暴に掻き回した。

「ぎゃ、わっ、ちょっとー!」

「うっせぇ」

十分に髪を掻き回されたの頭は鳥の巣よろしくぐちゃぐちゃになってしまい、手ぐしで戻すのは困難そうだった。
理不尽に切り捨てれ、半眼になってデスマスクを睨んだが、当のデスマスクはしれっとした表情のまま云った。

「辛気くせぇ面すんなよ」

思わず息を止め、はデスマスクをまじまじと見た。
そっぽを向いて紅茶を飲む姿は、決して優しいようには見えない。

「・・・うん」

けれど。

「・・・ありがと」

それで、十分だった。
欲しかったのは無条件な優しさではない。まして同情でもない。
出会ってからはほんの数時間しかたっていないが、彼の人となりを知るには事足りる時間だった。
勿論、一から十まですべてをわかったとは思わない。人とは、そんなに簡単なものではない。
けれど、デスマスクの根底にある不器用でぶっきらぼうで、一見素っ気なく見える優しさを感じるには十分だった。
彼は、優しい。
そう思うと、なんだか心が温かくなってきて、自然と笑顔がこぼれた。

「私、デスマスクのこと嫌いじゃないわ」

「良い男だからな。惚れるなよ」

「え?なんて?」

「良い男だからな」

「・・・鏡持ってこようか?」

「ほぅほぅ。それを云ったのは誰の口だ?」

気の毒そうに眉尻を下げ云ったに、デスマスクはにっこりと笑顔になって手を伸ばす。そして逃げる間を与えず、その柔らかい頬を人差し指と親指でつまんでやった。

「ぎゃー!痛い痛い!!」

「何か云うことは?」

「デッちゃんかっこいい!男前!!」

「誰がデッちゃんだ」

トドメに軽く両側にひっぱってやり、そこで漸く頬を解放する。
相当痛かったのか、は涙目になって頬を抑え、労わるようにさすった。

「い、痛かった・・・」

「痛くしたんだよ」

「きゃ、ドSねっ」

「おうよ、特にベッドの中じゃな?」

「いやらしい・・・」

「そんだけ元気なら大丈夫だな」

「・・・・・・デッちゃん、良い男だわ」

惚れないけど。
笑顔のまま告げれば、デコピンされた。普通に痛い。
じんじんと痛む額を押さえながらデスマスクを睨み付け、恨み言でも云おうと口を開こうとしたところでノックが聞こえた。お陰で喉元まで出てきていた恨み言を飲み込んでしまい、なんだか気持ちが悪い。

「っていうか、誰?」

この世界に来て数時間、まともに話したのは教皇とデスマスクだけだし、シュラとシャカはほんの少しかかわったくらいで、他には誰とも話してはいない。
つまり、わざわざ訪ねて来られるような心当たりはないのだ。
首を傾げていると、ああ、とデスマスクが云う。

「アフロディーテとシュラだな」

「なんでわかんの」

「小宇宙」

「ああ、電波ね」

「電波じゃねっつの」

「私からすれば立派に電波です。でもそれ便利だねー」

人の努力の賜物を、便利の一言で終わらせないでほしい。デスマスクは呆れるよりもげんなりしてしまった。
こんこん、と再びノック。

「はーい!」

今開けますよーと暢気に歩きながら云って、この客室自慢だというアンティークなドアノブに手をかけ、力を込めて、開けて。

―――バサッ・・・


「―――――・・・・・・」


目の前に広がった光景に、は文字通り、言葉を失った。










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デスは本当にイイ男だと思います。結婚してくれ!!!←


20100627