「…………失敗した…」 砂糖と塩を間違えるなんて、少女漫画の主人公くらいだと思ってた。 |
アップルパイの行方
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なんだその可哀想な生き物を見る目は。普段はいっそすがすがしいくらい冷ややかな目で私を見るくせに、こんなときだけ哀れむなんて。屈辱だ。屈辱すぎて涙が出そうだ。 「砂糖と塩を間違えるなんて、少女漫画の主人公くらいだと思ってたよ」 「一字一句違わず同じことを思ったよ!」 思わずテーブルに突っ伏せば、頭の上に降りかかる憐憫。本気でやめて、ただでさえ落ち込んでるんだから。 普段は料理といえば卵焼きくらいしかしない私が、どうして今日に限ってこんなもの―――アップルパイなどを作ったのかといえば、答えは至極簡単なこと。 今日は一馬くんの誕生日なのだ。幼なじみの英士と、従姉弟の結人の共通の親友。真田一馬くん。 髪と少しきつめの瞳は真っ黒で、愛想がいいとも社交的ともお世辞にも云えないおかげで怖い人と勘違いされやすい彼の好きなものはリンゴジュース。 前に四人でご飯を食べていたときに、リンゴジュースの上にアップルパイを頼んだ瞬間私の頭には『一馬くんはリンゴ好き』という言葉がインプットされた。そしてその情報は、親友たちに裏付けて間違いない。 私が一馬くんに片想いをしていることは、幼なじみも従弟も知っていた。教えた覚えはないのだけど。(って云ったら、ばればれなんだよ一馬は気付いてないけど、ってすごく馬鹿にした顔で云われた。むかついたけど、一馬くんにばれてないならそれでよし。) 私は残念なことに料理が得意な女の子ではないのだけれど、今日は大好きな一馬くんの誕生日。ここはひとつ、女らしいところをアピールして、そろそろ友達という枠を打ち破りたいところだった。 確かに打ち破れそうである。友達以下に。 「今から作り直す時間もないし……」 最悪なことに、ろくに料理もしない上にお菓子すら初めて作る私は、作りたてを食べてもらいたいというアホというか無謀というか浅はかすぎる乙女心を実行に移していた。 その結果が、これ。 しかもついさっき、あと10分でこちらにつくと、英士のケータイにメールがきた。今ほど一馬くんに来るなと云いたくなった瞬間はない。 「せめて予行練習くらいするんだったね。お気の毒」 「気の毒に思ってないくせに、心にもないこと云うなよぅ」 「じゃあ正直に云うけど、馬鹿じゃないの」 「正直すぎる!ただでさえ傷付いてるのに更に塩を塗り込むってどんだけSなの!しかも塩とか云うな!」 「Sじゃないし自分で云ったんだよ馬鹿」 「だってだってだって……!」 言い訳をするならば、絶対に心配しないと過信していたのだ。というか、誰がこんなものを作るのに失敗などすると思うのだろうか。パイ生地は冷凍のパイシートを使用、具はリンゴを切ってカスタードクリームを敷いただけ。いや確かにカスタードクリームを失敗したら大変なことになることは過去にへまをやらかした母親を見たおかげで知っていたのだけれど。 しかし私は本格的に料理の道に足を突っ込むつもりはなかったわけで、本屋で最も簡単に作り方を説明している本を購入してきたはずだった。その名も『ぶきっちょさんのアップルパイ』。つまりは不器用な人でも作れると。ありがたいことじゃあないか。 そして私は見た目だけなら完璧なアップルパイを作り上げた。見た目だけなら。 繰り返すが見た目だけなら本当に完璧なのだ。きつね色に焼き上がり、きらりと艶やかなパイ生地。シナモンの独特な香りと甘いバニラビーンズの香りとが絶妙で、さて味見にと小さく切り分けたそれを口に運んで――― 「ぐふッ」 ―――撃沈した。 しょっぱい。 なんていうかもうあらゆる意味でしょっぱかった。口に広がったのは濃厚なカスタードの甘さではなく、殺人的な塩っぽさ。甘さを予想してのこのギャップは、いっそ凶器だ。 何故間違えた。 何故気付かなかった。 改めて砂糖と塩を見比べれば、明らかに違うものとわかるのに。確かに容器は同じだけど、実際スプーンで掬ってみれば質感は全く違うし、においだって微かに違う。 ああ、もう、何故。 頭を抱える私、相変わらずの表情で一馬くんにメールを返信する英士。こいつに傷心の幼なじみを慰めるというコマンドはないのか。 「何のメリットがあるわけ」 「いやないんだけどさってやめて人の心読むの」 「馬鹿じゃないの口にしてたでしょ」 ていうか、ないのかよ。 あからさまに馬鹿にしたように続ける幼なじみは、いつの間に鬼になったのだろう。確か昔はもっと思いやりとか優しみとか、あったようななかったような。あれ、もしかして私過去を美化してただけかな?考えたら虚しさで死ねそうだったので、忘れてみることにした。 キッチンの壁時計に目をやると、3時5分前。あと5分で一馬くんがやってくる。 「今から既製品買いにも行けないし…」 「じゃあ結人に頼んだら」 「あ、英士あったまいーってんなわけいくか騙されないぞ!結人は一馬くんと一緒に来るんだから!」 「諦めは肝心だよ」 「え、深読み推奨?何を諦めろって云ってんの?」 「女らしさとか」 「巨大なお世話だァ!!!」 ほんとに何この優しくない幼なじみ。さっきから冷たすぎる。いや英士が急に優しくなったりしたらそれはそれで怖いし嫌だけど、それにしたって酷すぎる。あとコンマ一ミリくらいは優しくしてくれたってバチは当たらないのに。 ちきしょう!と男らしい悲鳴をあげて再び机に突っ伏す。勢い余って額とテーブルがコンニチハしてすごく痛い。心も痛い。私ってなんて可哀想なんだろう。 「悲劇のヒロイン演じてるところ悪いけど」 「悪いと思うなら慰めてよ」 「一馬と結人、今玄関前だって」 鮮やかなシカトの後、迎えに行けば?とは云われるまでもない。英士の台詞が云い終わらないうちに亜高速で飛び上がり、マッハで玄関に向かう。郭家の玄関は昔ながらの曇り硝子張りでスライド式。いいよね日本家屋。ぼんやりとふたつの人影が見えた。云わずもがな一馬くんと結人である。 いろんな意味で上がった息を深呼吸して落ち着かせ、素早く姿見で格好を確認。髪は乱れてない。汗も――冷や汗しか――かいてない。服装よし。 「いらっしゃい、一馬くん!お誕生日おめでとう!」 「え、俺はナチュラルにシカトなわけ?」 「おう、サンキュー。英士は?」 「一馬まで……!」 「今キッチンにいるけど、先に部屋行っててって」 「誰か気付いて俺の存在!」 「うるさいよ結人。はやく行け」 「すみませんでした」 こんなやりとりは日常茶飯事なので、一馬くんが私たちを見る目は若干呆れている。またやってるよ、という感じ。 微笑ましげに見られるのは悪い気はしないけど、結人とセットにされるのは心外なので、ちょっと泣きそうな顔をしている結人を後ろから蹴っ飛ばしてみた。危うくつんのめって床とコンニチハしそうになるのを踏みとどまる。ちっ、さすがにスポーツマンてことか。私みたいに痛い目みればよかったのに。このぽっちゃり系が。八つ当たりなどでは、断じてない。 「お前俺のこと嫌いだろ」 「蛇の脱け殻くらいには、好きよ」 「なんだその微妙に屈辱的なたとえ!」 うるせぇいいからさっさと英士の部屋行ってろ。 もう一度蹴っ飛ばしてやろうと構えると、ヒィと情けない悲鳴をあげて結人は階段をかけあがった。どんだけ怖がってるんだ、あの馬鹿。 と。 階段に足をかけた状態で動きを止めている一馬に気付いた。心なしか、その顔色は優れない。 「一馬くん?」 心配になって声をかけてみると、大仰に肩をすくませた。え、何? 「ええと。大丈夫?」 「あ、ああ。先行ってる、な」 「……?」 再度声をかけると、一馬くんはそそくさと云って結人のあとを追うように階段を昇っていってしまった。何だったのだろう。あの微妙な沈黙は。 が、考えたところできっとわからないだろうから、私は早々に考えることを放棄してキッチンに戻ることにした。今はとりあえず、塩味アップルパイをどうするかのほうが問題だった。 キッチンまでの短い道のりで、何か手はないだろうかと必死に考える。 上からしこたま砂糖をふりかけるとかどうだろう。プラマイゼロとかになんないかな。なんないか。今時小学生だってその足し算が見当違いだとわかるに違いない。 英士に手伝ってもらったらこうなりましたとか―――だめだ。明日以降平和に生きられる自信がない。私はまだ平和な人生を歩みたいのだ。 いっそ作ってないことにしてみるとか。あ、これいいな。一応バースデーケーキは他に用意してあるし、一馬くんにはびっくりさせるつもりで教えてなかったし。結人がブーブー云いそうだけど、まぁいいか。 よし、これで行こう。 そうと決まればあんな殺人武器は処分するに限る。うっかり置きっぱなしにして、おじさんやおばさんが食べちゃったりしたら目も当てられない。土下座しても償いきれない気がする。 というわけで、あのアップルパイという名の悪魔は、ゴミ箱ぽいだ。勿体無い?じゃあお前が食え。 「英士、あのさぁ」 キッチンのドアをあける。 静寂。 見回すが、誰もいない。さっきまでダルそうに食卓テーブルについていた英士は影も形もなかった。 「―――あれ?」 ついでに、あの、アップルパイも。 え? なんで? 意味がわからん…が。 っていうか。 「あ、ンの……………」 消えた英士とアップルパイ。 ―――嫌と云うほど予想がついた。 握った拳がギリリと音をたてる。爪は伸ばしてないから切れたことはないだろうけど、それなりには痛い。が、今はそんなもの気にならない。 消えた英士。 消えたアップルパイ。 「馬鹿英士ィィィィィ!!!!!!!」 あの野郎、一馬くんのところに殺人アップルパイ持っていきやがった! ----------------------- ぶきっちょさんシリーズは実は難しいよね(どうでもいい) 思いの外長くなったので、2つにします。 ヒロインは、英士の幼なじみで、結人の従姉で、一馬に片想いまっしぐら。口は悪い。そんな子 実はずっと書きたかった、一馬片想い連載ヒロインだったりする^^ 一馬、誕生日おめでとー! で、いつだっけ?(何ィィィィ) |