理想論





「は?」

「だから、私はもうあなたについて行けないって云ってるの」


 面倒くさそうに云い放った彼女の言葉の意味を三上が理解するには少々の時間を要した。
 つまりは『別れる』と云っているのだ。目の前に立つ、三上が初めて好きになった彼女は。


「……なんで」

「なんで?その口がよくも云えるのね」


 信じられない、と彼女は続けた。
 云う彼女の表情は三上が惹かれたのと同じように強く引き締められており、確固たる意志を貫こうとしているように見受けられた。

 武蔵森学園高等部、彼ら二人の教室は不気味なほど静かだった。誰もいないわけではなくそこには確かに二人の生徒がいるのだが、生憎と二人は先程からだんまりだ。


「ついて行けないって」


 先に静寂を破ったのは三上のほうだった。


「どういう意味だよ」


 三上は部活に忙しくて彼女に『ついて行けない』と云わせるまで構った覚えはない。むしろ構う時間がなさすぎでどうしようか悩んでいるくらいだったのにも関わらず、今の言葉。心当たりがないだけに、どうしたらいいのかわからない。


「………本当にわからないの?」

「…わかんねぇよ」

「じゃあ、本当に終わりね」

「は?ちょ、オイ―――…」


「サヨナラ。」








 立ち去ろうとした君の腕を掴んで抱きしめて好きだと云えばよかった。云えたらよかった。そうすればこんな思いはしなくてすんだかもしれない。
 どうして君が俺から離れたのかわからなくて死にそうだ。どうして。せめて理由が欲しかった。罵倒と一緒でもいいから、せめて納得のいく理由を。

(でもきっとこんなことを考える時点でもう駄目に決まってら)

 サヨナラのほかに言葉が欲しい。なんでもいいからもっと君の声が聴きたかった。

 もし俺が立ち去ろうとする君の腕を掴んで抱きしめて好きだと云えたら君は俺のもとへ帰ってきてくれただろうか。これは俺のくだらない幻想だろうか。それでもいい、それでもいいから俺は、俺は君に傍にいて欲しかったんだ。


 くだらない理想論で世界が作れたらいいのに、なんて柄にもないことを考えてしまったのは、きっと君が何より大切だったからだ。








 立ち去る私を追い掛けて抱きしめて好きだと云ってくれたなら私はきっとまたあなたに縋っていたと思う。きっとじゃあない、絶対だ。
 私があなたから離れたのはあなたをどうしようもなく好きになってしまったから。あなた以外は何もいならい。あなたがいてくれればそれでいい。

(だけどあなたは私がいなくてもサッカーがあるから大丈夫なんだね)

 サヨナラ以外に言葉をかけられなかったのは、それ以外の言葉が見つからなかったんだ。

 もしも立ち去る私の腕を掴んで抱きしめて好きだと云ってくれたら私はもう一度あなたのもとへ帰れたかもしれない。これは私のくだらない幻想だろうか。例え幻想だったとしても私は、私はあなたの傍にいたかった。

 痛かった。

 本当はサヨナラなんて云いたくなかった。だけど云わなきゃ私は壊れてしまいそうだった。結局全部自分のため。自己犠牲をいとわずにあなたについてゆきたかった。
 ついて行けないのは『あなたに』じゃなくて、『私の弱い心に』、だった。
 いつかまたあなたの傍で笑える日がくるだろうか。近い未来、出来るだけ近い未来に。


 くだらない理想論で世界が作れたらいいのに、なんて柄にもなく考えてしまったのは、きっとあなたが何より大切だったから。










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意地っ張りカッコつけの三上。