隣を歩いていたはずの人物がいきなり立ち止まったので、反射的に自分も立ち止まった。
 休日、俺は部活、こいつは勉強のために行っていた学校の帰り道。
 差し掛かった公園の入り口でのことだった。






紫陽花





?」


 いつも通り、別に面白くもないがつまらなくもない、あえて云うなら心地の良い会話をしていたはずが、ふと公園の中に視線を移した途端に黙り込んだ挙句立ち止まりもしたものだから、俺は怪訝に思って名前を呼んだ。
 しかしは聞こえていないのか無視しているのか、俺の声には反応せずに固まっている。なんだ、なんだってんだ。
 が何も云わないので、なんとなし俺はの視線を追った。それは当然公園の中で、曇っていて今にも雨が降り出しそうなせいか、いつもならでっかい声ではしゃいでいる子供や、それを微笑ましそうに見ている老人や保護者の姿は見当たらなかった。

 人はいない。
 ならば、はどこを―――というかむしろ何を見ているのか。
 一瞬頭を過ぎった考えに背筋が冷たくなった。いや普通にありえんから!何考えてんの俺!
 ブンブンと頭を振り、もう一度の視線の先を目を凝らして見た。
 そうして、漸く見つけた。
 おそらくアレだ。を立ち止まらせた、に見つけられたものの正体は。


「・・・

「亮くん、」


 俺が呼んだのと同時、も俺を呼んだ。大人しく俺は、なんだ、と聞き返す。相変わらず、の視線はアレに向けられたままだ。


「―――先、帰るね」


 先帰るってオイオイお前ん家あと五百メートルもねぇだろ。
 とは思ったものの、俺は黙っての背中を見送った。ていうか、止める間もなく走っていきやがったけど。


「・・・公園で死ぬなよ・・・」


 公園の端に植えられた紫陽花の木の根元付近、そこに横たわっていたのは、年老いて力尽きたのであろう猫の死骸だった。



 どうしてここにいるの、と云われても、帰らずお前が戻ってくるのを待ってたからだとしか云いようがなかった。素直にそう云えば、困ったような顔をされてしまったわけだが。


「帰ってよかったのに」

「お前一人で穴掘れんのかよ」

「・・・が、頑張ればなんとか・・・」

「その細ぇ腕で?」


 自称他称共に目付きが悪いと評判の目での腕の辺りをジロジロと見ると、どこ見てるの、と自宅から持ってきたらしいスコップで殴られそうになった。いや待てそれは普通に鈍器だお前は一時のノリで俺を殺す気か!
 慌ててスコップを取り上げさっさと公園の中に入る。は少し遅れてついてきた。悪かったよ、と云えば、亮くんヤラシイ、と返された。こいつは最近渋沢に似てきたと思う。反応とか云うこととかそっくりだ。うわ、渋沢が二人いるみてぇで気分悪ぃ!ついでに鳥肌もたった。チキン肌、これ笠井に見せてやりてぇ。

 ともあれ、俺は内心が普通通りだったことに安堵していた。
 立ち止まっていたときの顔から考えると、もしかしたらかなり落ちたかもしれないと思っていたからだ。


「どこに埋めるつもりだったんだ?」

「あそこ」


 そう云ったが指差したのは、紫陽花の並ぶ小道の一番端、ついでにそこは公園の隅にも当たる場所だった。なるほど、そこなら子供も滅多に行くことはないだろう。
 一度は取り上げたものの、俺はスコップをに手渡した。え、と戸惑いながらそれを受け取ったを尻目に、俺はさっさと猫を抱き上げる。少し、温かい。まだ死んでそう時間は経っていないらしく、死後硬直もしていなかった。


「私、やるのに」

「いいんだよ」

「でも、私が勝手に、」

「いいから」


 ぴしゃりと云う。
 ごめんね、と呟いて、それからはありがとうと続けた。

 別に、こんなこと礼を云われるほどのことじゃない。



 誰かに見つかると面倒なことになりそうだったので、俺は手早く穴を掘った。
 少し大きめの身体をしていたので、悠々入れるように五十センチ程度の幅で深めの穴を掘る。意外にも土が固かったから骨が折れたけど、がいた手前何も云わず黙々と掘った。二十分かそこらで穴は掘り終わった。
 それから静かに猫を横たえ、優しく土をのせた。
 線香とか花とかはいきなりだったから用意できなかった代わりに、俺たちは土で汚れた手を長い間合わせた。


「つき合わせてごめんね」


 がその場に立ち尽くしていたので、俺も動くに動けずどうするか考えていたとき、ポツリとが呟いた。
 十五センチほど低いに目をやると、まだの視線は猫を埋めた場所にあったが、やがてゆっくりと俺を見た。


「やっぱり亮くんは優しいなぁ」


 それが皮肉とかからかいとかじゃなく、本心で云っているのがわかるから、俺は何も云えなかった。これを云ったのが根岸だったり近藤だったり中西だったり、はたまた渋沢だったりしたら言葉の前に拳が出てること必須だけどな。

 優しい?俺が?ドコが!


「何にも云わないでも、いろいろ気付いてくれるところとか」

「は?」

「ね、云わなくても、わかるよ。亮くんはすごく優しい」


 ありがとう、私嬉しいの、とは笑う。


「・・・俺は」

「ん?」

「お前の方が優しいと思うけど」


 驚いたようには俺を見上げた。おいおい、そこまで驚くことはねぇだろ。
 何が、どこが、と問うに俺は云う。


「普通、たまたま見つけたからって猫の死骸埋めてやろうなんて思わねぇよ」

「・・・・・・、そう、かな」

「そうなんだよ。しかもお前、自分でやろうとしたし」

「それは・・・」

「当然だってか?残念ながら、その当然すら出来ねーやつが世の中には腐るほどいるんだよ」

「・・・・・・」

「つうか俺はヤだっただけだしな」

「え?」

「俺は、お前があーゆー顔すんのが嫌だったんだよ」


 別に猫がかわいそうだと思ったから、とか、そのままにしといたらあとで子供が見つけて気分悪くなるだろうから、とか、そんなんは正直どうでもよくて。
 俺は単に、があんな顔すんのが嫌だっただけだ。あんな顔されんのが嫌だっただけだ。
 だから、云ってしまえば、猫を埋めたのは慈善活動じゃなくて俺のため。俺の前でがあんな顔すんのが耐えらんなかったから埋めただけ。うわ、俺ってばすげーヤなやつ。

 自分で云ったくせに思わず眉をしかめると、は小さく笑った。もう、さっき猫を見つけたときみてぇな泣きそうな顔じゃない。
 それだけで俺も救われるってもんだ。


「さて、帰るぞ」

「―――うん」



「何?」

「・・・明日、花でも買ってくるか」


 一瞬キョトンと目を瞬かせ、え、と目を泳がせ、それから、は嬉しそうに笑った。



 この日は夕方、丁度俺がを家に送って、寮に着いたときから雨が降り始めた。バケツなんかじゃ生温い、最早プールの水を引っくり返したかのような土砂降りの雨だった。
 そういえば、あの猫を埋めたのは紫陽花の根元だった。

 次の日、前日に云ったように花を持って二人で公園へ行くと、公園の紫陽花は見事に咲いていた。

 とりわけ、あの猫が埋まっている辺りの紫陽花は、色鮮やかに咲き誇っていた。










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