あの曇天を忘れる日など、きっと来ないのだろう。






賽は投げられた





経費削減エコロジー、という張り紙が、今はものすごく腹立たしい。実際はエコロジーという名のカムフラージュで、壊れてしまったエアコンを修理に回すのが面倒でそのままにしているだけなのだが。
しかし、正直なところ、エアコンなしでこの暑さはしんどかった。曇りだというのに、茹だるような暑さ。真夏の昼間は侮れない。窓全開もむなしく、ただ生温い風が吹き抜けた。

そんな生徒会室には、黙々と仕事を進める生徒会会計しかいなかった。今は、夏休み明けに開催される文化祭のための会計作業に追われていた。本来ならばもうひとり、先輩会計がいるはずなのだが、生憎夏風邪を拗らせてここ最近姿を見ていない。
つまり彼女、一年生ひとりで作業に当たっているわけで。
しかしそうとは思えない仕事振りだった。おおよその内容や仕事は聞いていたのだろうが、それにしても優秀としか言い様のない働きだ。教員提出の手元の資料はほとんど完成している。
ふぅ、と一つ息を吐き、背伸びをしてからペットボトルのお茶を飲む。少し温くなっていた。一体どれほど仕事をしていたのか。考えるのも気だるいくらい、長くこの部屋に滞在していた。

武蔵森学園中等部一年生徒会会計、はとりわけ優秀な生徒として有名だった。真面目で成績も優秀で気立てもよく、だから生徒会という面倒なものにまで所属している。頼まれると断れないということもあるが、それだけ信頼されているということだろう。
誰にでも優しく明るい性格だが、彼女も人間だった。嫌いな人間も、いる。その人も生徒会に所属しているが、今は部活に出ていていなかった。あとで来ると云ってはいたが、正直来なくていいと思う。こんな天気の日にまで一緒にいたくはない。イライラしてしまいそうで怖かった。
しかし、そう自分の思う通りにことがすすむことなど少なく、忙しい足音が廊下から聞こえてきた。
一瞬眉間にシワが寄る。が、慌ててにこりと笑顔を作った。笑わなければ、いけない。
ガチャリ、とドアが開く。

「すまん、遅くなった」

申し訳なさそうに顔を出したのは、案の定の人物だった。
渋沢克朗。
は彼が嫌いだった。

「お疲れ様です」

「そっちも。任せっきりで悪かった」

「……いえ」

渋沢は生徒会長だった。だから、が一人で仕事をしていることを労うのは不思議ではない。けれど、にとっては必要のないことだった。これはが与えられた仕事で、やるべきことだ。やって当然、だと思う。
だから、すごく、イライラした。

「手伝うよ」

「もう終わりますから結構です」

「……早いな」

「いえ」

しまった、と思う。態度に出過ぎただろうか。みれば、渋沢は苦笑していた。
だめだ。

「今日は朝からずっとやっていたんです。さすがに、こんな時間までいれば終わりますよ」

「そうか…」

「お気遣いありがとうございます」

「………」

笑顔を作る。完璧に、にっこりと。
大丈夫、出来る。
は自分に云い聞かせた。
が、渋沢はあくまで渋沢克朗だった。強豪武蔵森サッカー部。一年時からレギュラーをものにし、リーダーシップを発揮する、まさに守護神。責任感の塊といってもいい。
少し考えるようにしてから、口を開く。



「はい」

「無理しなくてもいいんだぞ」

「……は…?」

きょとんと目を瞬いた。云われている意味を理解するまで少し時間がかかってしまった。
そして、理解した瞬間、抱いた感情は苛つき。けれど我慢しようと思った。ここで怒鳴って気まずくなるほうが後々やりづらい。
自分の怒りを必死で抑え、云った。

「何をですか?」

「いや、なんとなんくなんだがな」

「………」

「何でも頑張りすぎると大変だろう?少しは肩の力を抜いてもいいと思うんだが」

「ッ、それは!」

どうしようもなかった。
酷くイライラした。
抑えようが、なかった。

「私が決めることです。先輩が気になさることではないと思いますが」

「そうなんだが、」

「なら、どうぞ何も云わないでください」

、」

「私は大丈夫です」



「なんですか」

どうしようもなくイライラして、どうしても自分を抑えられなかった。一度口を開いたら、止まらなかった。
どうしてこの人はこうなのだろう。いつもそうやって他人を気遣うように接して。それが優しさだとでも思っているのだろうか。だとしたら大きな間違いだ。余計なお世話に過ぎない。少なくとも、にとってはそうだった。
いらない。
イライラ、する。

「ごめんな」

「だから、何がです」

「気を悪くさせるつもりはなかった」

「ええ、わかってます。少しお節介なだけですよね」

「……耳が痛いな…」

「自覚を持たれたほうがいいと思います。先輩の"優しさ"は誰にでも通用するわけではありませんから」

「そうだなぁ」

云いすぎただろうか。ふと思ったが、もう云ってしまったものは取り消せない。多少罪悪感は芽生えたものの、は謝るつもりはなかった。本当のことなのだから、仕方ない。

「なぁ、

「今度はなんです」

「いいと思うんだ」

思わず顔を上げ、は渋沢を凝視した。何の話をしているのかわからなかった。
曖昧に笑った渋沢は、おもむろに手を伸ばし、ぽんとの頭に置いた。何が起きているのか理解できず、のまわりにはハテナマークが浮かんでいる。
そして、渋沢は云った。


「泣いてもいいと、思うんだ」


「――――」

「泣いても誰も笑わないし、責めたりなんかしないから」

「…………」

「泣いていいんだよ」

「、」

は思った。
なんてお節介な人だろう、と。
そして、なんて傲慢な人だろう、と。
余計なお世話だというのに、この人はまったく懲りないものだ。一体なんど云えばすむのだろう。関係ないと、放っておけと云っているのに。

ああ、なのに。

―――込み上げてくるこの涙は、何?

「見ていていつも思っていたんだ。はなんでも頑張るから、疲れてしまうんじゃないかって」

「っ、」

「大丈夫です、とか結構です、とか、そういう類いの言葉は自分に云い聞かせているように、思えたんだ」

泣き顔を見られたくなくて俯いた。ぽたぽたと涙が書類に落ちて染みをつくる。また書き直しになってしまった。
けれど今はそんなこと、どうでもよかった。胸が苦しくて仕方なかった。今まで塞き止めていた我慢か一気に溢れだして、嵐みたいにの心を掻き乱した。

はひとりじゃないだろう?」

「………」

「もっとまわりに頼ってもいいんじゃないか?」

なんというお人好しだろうか。こんなに他人の心配をする前に、自分の心配をすべきだろうに。
だからは渋沢が嫌いあのだ。
呆れるほどに良い人。誰にでも好かれる、太陽みたいな人。

―――の目指す人に、似ていた。

「……本当、お節介ですね」

「自覚はあるよ」

「女の子に向かって泣けだなんて、最低です」

「……悪かった」

「でも」

今になって、漸くは気付いた。
きっと、嫌いなわけではなかった。
多分、憧れていた。
でも、あまりにも完璧すぎたから認めたくなかったのだ。
だから、嫌いなのだと思い込んで自分の心を守っていた。

けど、本当は。


「―――ありがとうございます」


きっと、誰かにそう云ってもらいたかった。



真夏、エアコンの壊れたままの生徒会室。
忘れもしないあの曇天。





その日は丁度、渋沢の14回目の誕生日だった。










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時期的に、渋沢が膝を怪我して少ししたころ。他人より自分の心配してろっていうのは、そういうのがあったから。

私の数年越しの原点となるお話は、ここから始まる物語なわけですね!
あー長かった\(^O^)/
渋沢のお話は、一番書きたかった話なだけに、丁寧に丁寧書きたいです。だから、本当に時間がかかるんですねー。
そしてデフォルト名が私の名前で御免なさい笑 もともとこのために作った名前だったのが、いつの間にか定着してたのです笑

渋沢、幻水、潮江、最遊は、大事に書きたい作品。


20100307