あの人は遠くへゆきました。
 あの人は遠くへゆきました。

 あの人はいつだって夢に向かって走り続ける人なのです。

 あの人は遠くへゆきました。

 遠くへ。


 ずっと、遠くへ。






夢追い人





「おはよー」
 中学三年の夏。
 通い慣れた教室の扉をくぐり、入り口の近くの席にいた友人に声をかけた。
 私たちは三年生になった。
 あの人も一緒に三年生になった。
 同じクラスにもなった。

 だけど今、もうあの人はここにはいない。

 あの人は夢を追って遠くへ行ってしまったのだ―――夢を追って、と云ってしまっては語弊があるかもしれない。あの人は夢を追うために、その過程として遠くへ行ったのだ。


 二年の終わりにあったナショナルトレセン。東京選抜は特別推薦枠でそれに参加し、都選抜に選ばれていたあの人も勿論合宿に参加した。

 行ってらっしゃい、と私は云った。
 いってきます、と彼は云った。
 怪我しないでね、と私は云った。
 しないよ、と彼は云った。

 云ったのだ。

 云ったのだ。

 確かに、微笑んで、そう云ったのだ。


 連絡をもらったときは思考が停止したような気分だった。


『怪我して、今、病院にいるんだ』


 微かに震えるあの人の声があまりにも哀しくて、頬を伝った涙が欝淘しかった。今すぐ駆け付けて抱き締めたかったのに、簡単には行けない距離の場所にそんな思いは阻まれた。
 受話器越しのあの人の表情は見ることは出来なかったけれど、それでも予想はついた。
 きっと無理して笑っている。
 落ち込んで傷付いてるくせに、私に心配かけないようにと自分に云い聞かせて、顔も見えないというのに笑っているに決まっているのだ。


 またね、と短く云って、電話は切れた。ツー、ツー、と虚しく機械音が夜の澄んだ空気に溶け込んで酷く寂しかった。

 怪我して、病院に?
 すりむいたとか、そういうのじゃなくて?
 病院に行かなきゃならないほど、酷い怪我なの?

 嘘だと云って欲しかった。
 そうして、性質の悪い冗談云わないでよ、と笑い飛ばしてしまいたかった。

 ―――誰か、嘘だと。

 ―――嘘だと云って。

 すがるような気持ちで受話器を抱き締めた。まだツー、ツー、と無機質な機械音が鳴り響いている。
 受話器を抱き締めたって意味はないのはわかっていたけれど、そうせずにはいられなかった。
 ただ、祈ることしか出来ない自分が嫌だった。嫌で嫌で仕方なくて、しかしどうにも出来ない事実に私は心底無力感を味わった。


 三年生になったとき、私たちは同じクラスになった。二年のときと同じく、同じクラスに。
 違ったのは、あの人は松葉杖を使って生活しているということだけ。
 勉強して、笑って、遊んで、今まで通りの生活。


『もうサッカー出来ないんだ』


 小さく笑ってあの人そう云った。
 本当は、笑えないくせに。
 あの人はいつも自分のことよりも人のことを気にかける。その優しさが私は大好きだったけど、こんなときくらいは、と思ったのも本当だった。

 笑わなくていいよ。

 無理しなくていいよ。

 泣いたっていいよ。

 そう思うのに、結局私は何も云えなくて。困らせるのはわかっていながら泣いた。

 ごめん、私よりも泣きたいのはあなたなのに。

 ごめん、弱くて。

 泣いている私を見て、あの人は云った。


『優しいね』


 違う。優しくなんかない。優しくなんかないんだよ。
 私は弱くてズルイんだよ。優しくないんだよ。

 だって泣くのは私が哀しいからなんだ。

 だって何も云わないのは、口にしたら私が傷付くからなんだ。

 私のためなんだよ。

 私のことしか考えてないんだよ。


 優しくないんだよ、ねぇ、将。



 そして、夏休み直前。
 将は嬉しそうに―――あんな笑顔はあの怪我以来見たことはなかった。だってあれ以来将の笑顔はなんとなく無理が見え隠れしていたから―――私にこう告げた。


『ドイツに行くんだ!』


――ドイツ?


『うん!もしかしたら、足、治るかもしれない!!』


――いつ?


『夏休みに入ってすぐ!』


――じゃあ、もうすぐだね。


『そうなんだ、一番に云いたくて!!』


 酷い、と思った。
 そんなに嬉しそうな顔で云われたら、行かないで、なんて云えるはずないじゃない。頑張って、って笑って云うしかないじゃない。

 酷いよ将。

 私を置いて行くの?

 喉元まで出かかった言葉はなんとか飲み込むことに成功した。
 微笑んで、よかったね、と云った。

 それがあのときの私の精一杯だった。
 泣くな、今は泣くな。
 必死に自分に云い聞かせて笑顔を作った。
 勿論嬉しくないわけじゃない。嬉しいに決まっている。
 また将のプレーが観られるかもしれないのだから、嬉しくないわけはない。だからよかったねと云ったことに偽りはない。

 でも。


(行かないで。)


 心の底では、そう思っていた。
 これにも嘘はない。
 嬉しい反面、どうしようもなく切なかった。

 ねぇ、将。

 将は、寂しくないの?

 私は、


 私は、寂しいよ。


『いってきます!』


 あの人は遠くへ旅立った。


『行ってらっしゃい』


 空港で私はそう云って笑った。








 遠くへ行ってしまった人よ。

 夢追い人よ。








「―――ただいま!」


「…おかえりなさい」








 夢追い人よ、どうか聞いて。








 あなたはいつだって夢を追い続ける頑張り屋さんだけど、時々立ち止まって休憩してね。

 私はあなたのあとを追っていくから、休憩したいときはどうぞ私に寄りかかってね。


 追うしか出来ないけど、

 待つしか出来ないけど、


 それでも私はあなたが好きだから。










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アンチ将みゆ。いや、みゆきちゃんは普通に好きなんだけどさ!違うんだよね、将には似合わないのだよ…
将は、大切なことは無意識に好きな人に一番に報告してると思う。妄想。
というかこれすーげぇ前のリサイクルなので文章書き方違いますね笑っちゃう。でも直す気力とかはないんだぜ!(ちょ)